2009年11月 2日 (月)

『正義と微笑』

太宰治の『正義と微笑』を読みました。

進学を控えて自らの進路に悩む学生、芹川進が
たくさんの「むずかしい人生問題」に直面し、
葛藤、煩悶を乗り越えるべく奮闘し、道を切り開き、
巣立っていく様が日記形式ではつらつと綴られています。

妥協を知らない瑞々しさ、
「頭に油をぬって顔を洗って断食をする」覚悟、
覚悟相応のたゆまぬ努力、
時々打ち明ける弱音、
それを突破する若さ。

何も飾らず、地に足をどっしりと着けて、
現時点での自分の本当の力だけを信じて、
慌てず騒がず一歩ずつ歩いていこうとする、
とても気持ちのいい青年です。

 
 「わがゆくみちに はなさきかおり
 のどかなれとは ねがいまつらじ」

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2009年10月31日 (土)

『さらば愛しき女よ』

レイモンド・チャンドラーの『さらば愛しき女よ』を読みました。

 前科者の大男マロイが出所したその足で八年前に別れた女を探して
 女が以前歌っていたバーに出向く。
 しかしそこはすでに当時のバーではなく、
 女もいない。
 マロイはそこで殺人を犯してしまうのだが、
 そこに居合わせてしまったのがフィリップ・マーロウだった。

というのはストーリーではなく、
オープニングのほんのワンシーンです。
いきなり巻き込まれます。
そしてさっそくマーロウの行動に目が離せなくなりました。

『長いお別れ』でもそうでしたが、
マーロウの魅力は、どうしてそこまで???
と思うほど仕事に忠実で、
何があっても最後までやり遂げようとするところだと思います。
そして最後に、どうしてそこまでしてでもやり遂げようとしたのか、
マーロウの信念がちらりと顔を覗かせるのです。

寡黙なダンディズム、というわけではなく、
むしろ比較的よくしゃべるのですが、
それでも孤独なアーバン・カウボーイといった感じで、
カッコいいヒーローとして間違いなく一つの到達点だと思います。

マロイをはじめとする脇役たちも存在感があって、
一冊が丸ごと魅力的です。

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2009年10月29日 (木)

『平岡淳子詩集 クリップ』

先日の『詩とファンタジー』の日記にコメントをくださった
平岡淳子さんの詩集『クリップ』(2005)を読みました。

短い詩がたくさん収録されています。
秋の空のように清々しくかわいい詩の数々です。

恥らう気持ちとか、
健気な恋心とか、
時に大胆になれる本心とか、
ドキッとするほどピンポイントで狙い澄ましたような告白が、
短いことばの後ろから顔を覗かせています。

短さゆえに、

 これはこういう気持ちなのかな、
 こんなことがあったのかな、

と多くのことをどんどん想像してしまいます。

昼間に陽のあたるリビングでぽかぽかと読んでいる時と
夕方になって電気も点けずに独りで読んでいる時とでは
またちょっと何となく印象が変わったりして、
詩の不思議を感じます。

時々やなせたかしさんの絵が挿入されていて、
かわいい本です。
読むと素直な気持ちになれる素敵な詩集です。

帯に「恋する人へ贈る一冊」とありました。

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2009年10月26日 (月)

『詩とファンタジー 秋日号 2009 No.9』

やなせたかし責任編集の

 『詩とファンタジー』

という雑誌を初めて買って読みました。

「永遠の少年 忌野清志郎の詩」というタイトルで特集が組まれて、
清志郎さんの音楽の歌詞が6篇収録されているのです。

清志郎さんの曲は聴いていると歌詞がすっと頭に入ってきて、
とても情感深く、情景がありありと思い浮かぶのですが、
それは清志郎さんの声の特質の一つであると同時に、
チャボさんのギターや梅津さんのサックスなどの存在も大きいはずです。

もちろん歌詞だけを見せられても頭の中では歌が鳴っていて、
清志郎さんのボーカルやバンドの音が聞こえてくるんだけど、
それでも全ての音を取っ払って、
歌詞カードなら横書きのところを縦書きにされたものを読んでみると、
剥き出しになった詩の素晴らしさ、力強さ、そして優しさを改めて感じます。

すっと果てしなく広がっていって、
そこから大きな物語が始まる入口のような感じがします。

1曲につき見開き2ページが使われているのですが、
その歌詞がイメージする絵を全体に描いていて、
その上に清志郎さんの歌詞が置かれ、
絵と歌詞で一つの作品となっています。

そういう条件も重なってのことかもしれませんが、
絵本や童話を読んでいるような温かな気持ちになってきます。

チャボさんと町田康、やなせたかしさんが寄せているコメントもいいです。

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2009年10月24日 (土)

『夕暮れをすぎて』

この間の『ランゴリアーズ』に引き続き、
スティーヴン・キングを読んでいます。
今回は、

 『夕暮れをすぎて』

という短編集です。

これまでは「スティーヴン・キング=ホラー」と思い込んでいて、
ずっと読むこともなく敬遠していたのですが、
これなどはぼくの苦手ないわゆるホラーではなく、
日常の何かが少しズレてしまい、
そのズレの積み重ねでどんどん非日常の世界、
あるいはもう一つ別の世界、
そして狂気の世界に巻き込まれていってしまうという、
むしろぼくの好きな展開の作品が目白押しです。

「ウィラ」はしばらく何の話をしているのか分からず、
ちょっと首を傾げながら読むことになるのですが、
だんだん、

 あ、そういうことか、

というふうに、
登場人物たちの置かれている状況が分かってきて、
それからは切ない気持ちになってしまうファンタジーです。

「ジンジャーブレッド・ガール」は、
突然いきなりの方向転換というか、

 えっ、そういう話なん???

ととても驚かされて、
そこからは緊張感が一気に張り詰め、
坂道を転がり落ちるように話が進み、
主人公は心臓が破裂する寸前まで走り続け、泳ぎ始める、
といったスリル満点で息をもつかせぬサイコ・スリラーでした。

まだこの二話しか読んでいないのですが、
各話ともそれぞれ雰囲気が全然違って、
それはそれぞれ別の翻訳家が担当しているということも
ある程度は関係しているのかもしれませんが、
とにかく読んでいて楽しい短編集です。

だけどやっぱりちょっと怖いです。

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2009年10月15日 (木)

『「斜陽」への旅 太宰治と太田静子の真実』

録画してあったテレビ番組、

 『「斜陽」への旅 太宰治と太田静子の真実』

を見ました。

『斜陽』の主人公、「姉」のモデルとなった太田静子さんと
太宰治の間に生まれた太田治子さんへのインタビューや、
実際に治子さんが『斜陽』の舞台となった山荘を訪れたり、
太宰治の故郷の青森に旅したり、
太宰治と太田静子さんが交わした書簡が紹介されたり、
『斜陽』の舞台裏がふんだんに紹介されました。

太田静子さんは妻子ある太宰治と出会い、
両者ともに魅かれ合い、
太宰治が『斜陽』を書くために、あるいは書いた結果として、
治子さんが生まれました。

静子さんは古い道徳を押しのけてでもという覚悟で
太宰治との恋に立ち向かい、治子さんを生み、育てたのですが、
亡くなるまで太宰治の奥さんに申し訳ない気持ちを抱き続けていたそうです。
凄まじい覚悟です。

弱くて静子さんの覚悟に応えられなかった太宰治は、
『斜陽』を完成させ、
そのラストシーンで「姉」の手紙として、
自分の思いの丈を書ききったのかなと思います。

静子さんが治子さんという小さな命を授かったことで、
『斜陽』のラストも変わったということです。
身勝手でどうしようもなく情けない男の一面を見せられた気がしますが、
そこに小さな希望の光が見えることが唯一の救いです。

だけど遺された治子さんが、
こうして番組の企画で父親のふるさとに足を向けたり、
そこでもやはり父親の生家では予期せぬ感情に襲われたり、
『斜陽』の世界そのままに、誠実で、繊細で、逞しく、
人知れず深い哀しみを背負ってしまっているようで、
少し気の毒でした。

文学の深みといえば聞こえはいいですが、
その犠牲となった人の翻弄された生活というものが
一方ではあるんだなあと思うと、
胸が締めつけられる思いがしました。

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2009年10月14日 (水)

『斜陽』

太宰治の『斜陽』を読みました。

 戦後の没落貴族の家庭を舞台に、
 最期まで誇り高く高貴で優しく美しかった母、
 生きるために破滅の道をひた走ってしまった弟、
 病に倒れた母のため、生き抜くために古い体制と葛藤し続けた姉、
 弟が慕い、姉が希望の光を見い出した流行作家、
 戦後の混乱の中に家族の暮らしが徐々に、そして確実に傾いていく、

といったストーリーです。

姉のナレーションで物語られていくのですが、
とにかく逞しく、誠実で、繊細です。
誰も軽く生きている者がいません。

 「不良とは、優しさの事なのではないかしら。」

と姉が独白するシーンがありましたが、
その言葉が非常に重く響く、そういう誠実さ、繊細さです。
ですが、同時にそれが故の弱さ、甘さがあることも認めて
しっかり生きている人たちです。
そういう逞しさです。

 「幸福感というものは、悲哀の川の底に沈んで、
 幽かに光っている砂金のようなものではなかろうか。
 悲しみの限りを通り過ぎて、不思議な薄明りの気持、
  :
 静かな、秋の午前。日ざしの柔らかな、秋の庭。」

というような儚く甘美なイメージが、
全編にわたって残酷なまでにノスタルジックに揺れています。

陽はまた昇るということを知っているからこそ、
沈む夕日を見て美しいと感じることができるのかもしれません。
それはとても贅沢なことなんだと思いました。

かつては栄華を極めていたはずの一家が堕ちていく様、
その人知れず耐えるしかない哀しみ、辛さといったものを
余すところなく描ききる筆力は、驚愕に値します。

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2009年10月 9日 (金)

『ユーディット』

ヘッベルの『ユーディット』を読みました。

 圧倒的な暴君ホロフェルネスの軍隊に町を包囲され、
 なす術もなくなったところで一人の美女ユーディットが立ち上がり、
 敵軍の陣営に単身乗り込む。
 そしてその身体を捧げてホロフェルネスの油断を誘い、
 町の危機を救う。
 ユーディットが無事に帰ってきたことに町の人々は勢いづくが、
 ユーディットは素直に喜ぶことができない……、

といったストーリーです。

旧約聖書続編に『ユディト記』というのがあり、
それを題材にした戯曲です。

敵将の首をとったユーディットが素直に喜べないのは、
ホロフェルネスの首にナイフを突きつけた時は、
町を救いたいという気持ちではなく、
自分の貞節を奪った相手に対する
自己中心的な復讐の感情しかなかったからです。

町を救った代償として背負ってしまった罪の意識は、
意図していなかった犠牲ということなのだと思います。
心の本当に深い部分には
周りからの称賛も届かないものなのかもしれません。

皮肉というか悲劇というか、
劇的な変化をもたらしながら
自らはただ通り過ぎていくだけのヒロインやヒーローが、
歴史には存在するのだと思います。

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2009年10月 7日 (水)

『春にして君を離れ』

アガサ・クリスティーの『春にして君を離れ』を読みました。

 一男二女がみんな独立し、夫と幸せな生活を送っているジョーンは
 バグダッドに住む病気の次女を見舞ってイギリスに帰る途中、
 辺りには砂漠しかない町で足止めを食ってしまう。
 強い陽射しが照りつけ、強烈に明るい砂漠で
 一人取り残されたように感じたジョーンは他にすることもなく、
 ふと、これまで幸せだと思っていた人生は
 もしかしたら自分の思い込みだったのでは、と思い始める……、

といったストーリーです。

ひたすら子供や夫のためを思ってしたこと、言ったことが
実はことごとく子供や夫の意向を無視する形となってしまい、
それでも自分が容易に折れずに毅然とした態度を取ったからこそ
今の幸せな家庭があるのだと信じて疑わなかった妻が、
ひと時の心細さからか、自信を失っていくのです。

その結果としてそれまで目を伏せてきた事実が明らかになり、
自分の身勝手さを大いに反省するのですが、
慣れ親しんだ我が家に帰ってくると、
やはりこの家では自分がしっかりしないと、
とまた以前の考え方が頭をもたげてきます。

我の強い妻のジョーン、
思いやりと優しさですべてを受け止める夫のロドニー、
ジョーンに反発し、ロドニーを尊敬する子供たち。

物語の主人公となって
身勝手な人物という印象を一手に引き受けているジョーンだけでなく、
ロドニーも子供たちもみんなが衝突を避け、
とりあえずいい家庭を演じながら、
結局はそれぞれがよかれと思ったとおりに行動し、
家族になりきれていない一家の哀しい話です。

だけど家庭内の話だから哀しみが漂うけれど、
社会においては誰もが身に覚えのあることだと思います。

よかれと思ってやったことは何でも許されるというわけでは決してありませんが、
少なくとも自分なりに相手のことを思って何かをするということは、
(おせっかいにならなければ)ステキなことだと思います。

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2009年9月29日 (火)

『秘密の窓、秘密の庭』

スティーヴン・キングの『秘密の窓、秘密の庭』を読みました。

ジョニー・デップ主演で映画化された『シークレット・ウィンドウ』の原作です。

 妻と離婚して失意のどん底に沈んでいた小説家のもとに
 突然見知らぬ男が現れ、
 「おれの小説を盗んだな」と言うのです。
 自分が発表した年の方が先だと主張するのですが、
 それを裏付けて相手を納得させることができず、
 そうしている間も相手はつきまとい、嫌がらせを繰り返し、
 周囲では人が死に、自宅が焼け、
 疑いの眼差しを向けられ、あるいは向けられているように思い始め、思い込み、
 次第に追い込まれ、狂気の世界に飲み込まれていく……、

といったストーリーです。

主人公の身の回りで起きる出来事も不気味なのですが、
心理描写が細かくて、
主人公の神経質な性格がものすごくリアルに浮かび上がり、
何が現実で何か想像、もしくは妄想で、
何を誰が信じているのかいないのか、
相手が一体何者なのか、目的は何なのか、
途中から全く分からなくなり、
巨大な不安に襲われました。

ものすごく簡単に言うと、自分は騙せないということです。
知らんぷりはダメです。

憎悪や悔恨、罪悪感といったものはどこまでも執念深く、
デ・ニーロが主演した『ケープ・フィアー』(1991)を思い出しました。

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2009年9月22日 (火)

『藪の中』

芥川龍之介の『藪の中』を読みました。

真相は藪の中、などと言う時の表現が元々あってのこのタイトルではなく、
この作品があっての表現のようです。

何度読んでも面白いというか、
何度も読まないと分かった気になれないというか、
話が分かってくると今度は、

 作者はどこだ?

と思いながら読むなど色々な楽しみ方があるというか、
手の込んだ物語に込めた作者の意図さえもやはり藪の中、
という気がしてきて、
とにかく迷い込めます。

併録されている『竜』も面白かったです。
登場人物たちの一日はまだまだ続く、
といった感じで終わるのですが、
その先の物語として念頭に置かれているのが、
あの面白い『鼻』だということです。
こういう他の作品との連携を思わせる構成も面白いです。

380円でたっぷり楽しめました。

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2009年9月19日 (土)

『地獄変』

芥川龍之介の『地獄変』を読みました。

 実力と自惚れを備えた絵師が、
 「地獄絵」を描くには地獄を目撃しないといけないといって、
 周囲に対して様々な犠牲を強いるのだが、
 やがて自身も最愛の娘を犠牲にしないといけなくなる。
 そしていざその時になると絵師は……、

といったストーリーです。

芸術と道徳の相克、矛盾、
ということを芥川龍之介自身がテーマとしていたということですが、
道徳が生活ということであるとするなら、
芸術は、あるいは芸術とは呼ばなくても作品は、
その中から生まれ出てくるものであってほしいと思います。

ここに出てくる絵師などは、
芸術を追い求める過程でその目的を見失ってしまったところが
あったのかもしれません。

作品や芸術のために犠牲にしていい生活などなくていいと思うのは
凡人の考えかもしれませんが、
生活の根ざすところに人々のソウルがあるのは間違いないはずです。

だけど、芸術のために悪魔に魂を売るか、それとも引き返してくるか、
天才のみが辿り着く十字路にはこの絵師が見たような魅惑の焔が燃え盛り、
その先を美しく照らし出しているのかもしれません。

スリリングな展開の中でそんなことを考えさせてくれる迫力のある作品でした。

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2009年9月16日 (水)

『偸盗』

芥川龍之介の『偸盗(ちゅうとう)』を読みました。

舞台は羅生門で、
『羅生門』の続編のような物語ととらえることもできると思います。

『羅生門』に出てきた下人の行く末のような盗賊が徒党を組んでいて、
仲間内でも裏切りがあったり、嫉妬があったり、
行き場を失った者たちがその日限りの生を全うするために
凄惨な刹那の連続を生き長らえたり、
その中で命を落としたりする話です。

そのあまりの無慈悲さに救いはないはずなのに、
作者の眼差しに優しさがあるのか、
ちょっとだけ希望が見える、
と思っていたらラストにはそんな感傷を軽く吹き飛ばしてくれる
エピソードが用意されていました。

巻末の解説で、

 「作者自身、"安い絵双紙"のようなもので、
 "いろんなトンマな嘘がある"し"性格なんぞ支離滅裂だ"
 として、自分の一番の悪作だと自嘲している」

とあったのはショックでした。
もっと芥川龍之介の作品を読み込めば、
こういう位置づけにも納得できるのかもしれませんが、
今回読んだ限りでは、
『羅生門』の続編、あるいは完結編としてとても興味深かったです。

生きるとか、生き抜くとか、
その時に近くにいて自分と関わり合う人たちといったことを
深く考えさせられる物語だと思います。

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2009年9月12日 (土)

「個展 忌野清志郎の世界」

先月から原宿で大絶賛開催中の

 「個展 忌野清志郎の世界」

も、いよいよ明日が最終日のようです。

清志郎さんが描いた油彩、絵本の原画、イラスト、スケッチの数々の他、
ステージ衣装やツアーグッズ、ポートレートなどが大公開されていて、
さらにはおそらく公開しきれてなかったものなども含めて、

 「忌野清志郎の世界」

という本が発売されています。

当然購入済みなのですが、
個展が関西にも来ることを祈りつつ
その時まで見ないでおこうと思って、
まだぱらぱらとしか見ていません。

それなのに個展は、名古屋、仙台での巡回展が決定されながら、
関西方面で開催されるというニュースを未だ聞けずにいるのです。

個展では30分程度の秘蔵映像が7種類、
日替わりで上映されているみたいだし、
清志郎さんの幅広く奥深い世界を味わうことができて、
間違いなく激しく魂を揺さぶられるソウルフルな個展になっているはずです。

ぜひ、関西にも来てもらいたいです。

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2009年9月 7日 (月)

『ランゴリアーズ』

スティーヴン・キングの『ランゴリアーズ』を読みました。

 ロサンゼルス発ボストン行きの夜間飛行便に乗っていた
 乗客の大半と乗務員たちが、忽然と姿を消してしまう!
 眠っていた人たちだけはどうやら消えずに済んだようで、
 果たして夜間飛行中のジャンボジェット機に何が起きたのか、
 生き残ってしまった11人はどうなるのか、
 無事に着陸さえできればこの摩訶不思議な状況から逃れられるのか、

といったハラハラドキドキのストーリーです。

11人の中にはたまたま乗り合わせた回送中のパイロットの他に、
盲目の少女や、イギリスの大使館員と名乗る男、
西部劇のヒーローに憧れるヴァイオリン研究生、
大切な会議に向かう途中だった銀行の重役、
ミステリ作家、教師など、様々な事情を抱えた人がいて、
その人たちが力を合わせたり、
自分の事情に取り憑かれたように和を乱したり、
そしてもちろんスティーヴン・キングならではの設定や展開があり、
読んでいる間は背後から巨大な不安がひたひたと迫ってくるような、
時にうわぁ~っと迫ってくるような、
そんな恐怖から逃れたくて必死で走り続けるように、
一気に読みました。

時空のよじれ感が見事に描写されていて、
何が起きているのか分からないけれど
確実に何かが忍び寄っているという不安や恐怖心が
最高潮に達するぐらい煽られます。

何かのきっかけで、
さっきまでの世界とさっき以後の世界ががらりと変わってしまうんじゃないか
という不安は、ふとした瞬間に思うことがたまにあると思います。

ぼくも最近はなくなりましたが、
地下街や駅構内などの通路を左右に分かつ柱のあっちを歩くかこっちを歩くかで、
その先の世界が違ってしまうんじゃないか、
というちょっとしたトラウマを抱えていた時期があります。

この本を読んでからは、飛行機に乗ることが怖くなりそうです。

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2009年9月 5日 (土)

『満月 空に満月』

海老沢泰久の『満月 空に満月』(1995)を読みました。

井上陽水の幼少時代から、
1973年に25歳で『氷の世界』をリリースするまでの話です。

子供の頃から周囲と違う自分に気づいていて、
それがコンプレックスになっていたというエピソードは
先日の『LIFE 井上陽水 40年を語る』でも
本人が語っていた通りです。

それでも音楽に関しては自分の才能を信じて疑わず、
売れる前から狭い範囲では認められ、
ボブ・ディランをきっかけにぴんときて、
とうとうその才能を発揮するきっかけを掴むのですが、
その間の心もようが丁寧に細やかに描かれています。

父親の期待を裏切って三浪しても、
レコードデビューまでこぎつけながら全く売れなくても、
自信を失わず、飄々とした姿勢を崩さなかった陽水と同じように、
書かれているエピソードや構成も淡々としていて、
それがかえってリアルに大迫力で迫ってきて、
静かな巨人の素顔を垣間見せられた気がします。

陽水という名前について、
「(太)陽=あったかいもの」と「水=つめたいもの」という
両極端の意味を持っているとして、
自分が持て余していた二面性について
説明というか納得を試みるところがあるのですが、
そこはとても興味深かったです。

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2009年9月 2日 (水)

『青年は荒野をめざす』

五木寛之の『青年は荒野をめざす』(1967)を読みました。

 20歳の青年ジュンは新宿でトランペットを吹いていたのだが、
 本物のジャズ・ミュージシャンになりたくて放浪の旅に出る。
 ロシア行きの船に乗り込み、ヘルシンキ、パリ、マドリッド……、
 とヨーロッパ各地を旅しながら様々な人と出会い、
 自分に欠けていたものに気づき、
 自分がこれから進むべき道を知り、
 荒野に足を踏み入れるような旅を続ける、

といったようなストーリーです。

大学生の頃に読んで非常に感動した本なのですが、
今回読み終えて、当時ほど魂が打ち震えなかったことに愕然としました。
それはぼくの成熟なのか惰性なのか。

主人公や他の登場人物の世間に対する姿勢に共感はするのですが、
それで自分も奮い立たされるということがなかったのです。
最後まで落ち着いて読むことができてしまったのです。
前回は居ても立ってもいられなくなったことをよく覚えています。

それが今回は、

 「きみは若いよ」

みたいなことを言うつもりはないのですが、
少し懐かしさのようなものを感じてしまったのです、偉そうにも。
自分で一番嫌いな態度です。

自分はどっか高いところから見物でもしているみたいな気になっているのか、
それぞれなりの精一杯で日々を生きている人たちを見て、
分かったようなことを言っていい気になっているのです。
サイテーです。
「最低」とちゃんと漢字で書く価値もないぐらいしょうもない態度です。

苦労も世間も怖いものも知らない方が、
よっぽど力強く毎日を過ごせるのかもしれません。

自分でそんなつもりはなくても、
思わぬ形で思い知ってしまうことはあるものなんだなと思いました。
危ないところでした。

前回とは全く違った形になったけれど、
またしても大きな影響を受けました。
すごい本です。

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2009年8月27日 (木)

『ジミ・ヘンドリクス 鏡ばりの部屋』

ジミ・ヘンドリックス(1942-1970)の伝記『鏡ばりの部屋』を読みました。

帯には、

 「ギター、女心、そして体制に火をつけた男。」

と紹介されています。

4枚目のスタジオ・アルバム「First Rays of the New Rising Sun」にも
"Room full of Mirrors"という曲が収録されていて、

 「かつて俺は鏡に囲まれた部屋に暮らしていた。
 そこでは目に映るのは自分の姿だけだった…」(訳:ぼく)

というような内容のことを歌っています。

見た目の穏やかさに隠れて分からないかもしれないけれど、
内面には深い哀しみを湛えていて、
何かと折り合いをつけようとし続けていたのだと思います。

キャリアを歩み出したばかりでまだ少年のようなジミが
スタックス・レコードにスティーヴ・クロッパーを訪ねていくシーン、
ボブ・ディランに憧れ続けていたということ、
イギリスに渡って名を上げ始めた頃に
ストーンズのメンバーに会ったエピソード、
一晩で意気投合したジャニス・ジョプリンの存在、
ジミのプレイを目の当たりにしてクラプトンやジェフ・ベックが
廃業を考えたというエピソード、
マイルス・デイヴィスとの出会い、
その他にも大御所ブルースメンたちとのセッション、
そしてもちろんエクスペリエンスやバンド・オブ・ジプシーズの誕生と消滅など、
ものすごい交友関係が紹介されています。

だけどやっぱり印象的なのはギターに対するジミの情熱です。
何かを吹っ切ろうとするかのようにギターだけを抱えて走り続けるのですが、
激動の60年代はそんなジミの足首を後ろから掴むように、
ドロドロした世界にずるずると引きずり込んでいくのです。

栄光の時代でも常に寂しさが漂って感じられるのは、
幼い頃の家庭環境の貧しさを忘れられなかったからだと思います。

観客が"Foxy Lady"や"Purple Haze"を聴きたがる一方で、
ジミはアコースティックに持ちかえてR&Bをやりたがっていたという事実も興味深く、
それが実現していたら伝説の第二章が始まっていたのかな、
なんて思うとやっぱり寂しくなります。

イギリスに渡って圧倒的な存在感を一気にアピールするようになってから
その活動に終止符を打つまでにほんの四年しか経っていなかったなんて、
まるで一瞬の夢だったかのような印象を受けます。

まさに黒いグルーヴがうねりまくっていた27年間だったことが分かります。
ジミヘン・ファンはぜひ!

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2009年8月24日 (月)

『The Complete Peanuts 1971-1974 Box Set』

"The Complete Peanuts 1971-1974 Box Set"が
はるばる海の向こうから届きました。

↑日本のアマゾンでは来月発売のようですが、
アメリカのアマゾンではすでに発売中です。

1950年に連載が開始された頃は、
スヌーピーはちゃんとした犬だったし、
ウッドストックもちゃんとした鳥だったし、
チャーリー・ブラウンの顔は丸顔を通り越して横長の楕円形だったけれど、
20年も経つと、
スヌーピーは色んな格好をして色んな職業に成りすまし、
ウッドストックは飛び立つとすぐにひっくり返ってしまい、
チャーリー・ブラウンの顔はまん丸になり、
ぼくのイチオシ・キャラクターのペパーミント・パティも大活躍しています。

四年分のエピソードを二冊に収めたこのボックスセットは毎年出ていて、
半世紀に及んだ全回分が完全収録されるには、
あと6~7年かかる計算になる(と思う)のですが、
毎年この時期が楽しみです。
色んな読書や仕事をそっちのけにして読んでしまいます。

いつも一気に読んでしまって来年を待ち遠しく思っているのですが、
本当は連載時のように、一日一エピソードのペースで、
つまり50年かかって読みたいぐらいです。

そうやって噛み締めながら読んで、
チャーリー・ブラウンたちの世界にいつの間にかじりじりと、
チャーリー・ブラウンたちに気づかれないように入り込んで、
気がついたらチャーリー・ブラウンたちと一緒に野球をやっていた!
なんてことがあってもおかしくないと思えるぐらい、
ぼくにとって自然な世界にしたい作品なのです。

50年分のどれもこれもが愛すべき話で、
その中でも特にいい話だなあと思う回もあるのですが、
だけどそれだけ取り出して読むよりは、
コツコツ描いて積み上げられた魅力は、
コツコツ読んで感じ取っていきたいなあと思っています。

しばらくまた楽しみが増えました。

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2009年8月22日 (土)

『旅する清志郎。』

アマゾンで注文していた『旅する清志郎。』が届きました。

表紙の隅っこに、

 「日本ブルース&ロックのキング忌野清志郎が、
 日本やキューバを自転車で駆け抜け、
 大好きな温泉でまったりと休日を過ごす。
 そんな貴重な旅の時間を記録した写真を満載…」

と紹介されていますが、
まさにそんな本です。

写真も満載なら、
時々紹介されている清志郎さんの言葉も感銘を受けるものばかりで、

 「どんな険しい坂道も、長い道のりも、
 いつかは着くだろうと……、
 そんな気持ちで走っているんです
  (中略)
 あきらめたくはないっすよね」

なんて言葉は、
それをサイクリングに限らずバンドマンとしてもずっと実践してきた
清志郎さんの口から改めて言われると、
ずしりと胸に響きます。

 「自転車はブルースだ…」

で始まる一連の言葉は、きっとこの先、
ぼくは忘れることはないと思います。

自転車にまたがって進む先を見つめる真剣な眼差し、
旅先で子供たちや地元の人たちと触れ合う優しい眼差し、
温泉旅館で卓球を楽しんでいる時のカメラを意識した眼差し、
どれもこれも素晴らしいです。

付属のDVDにはキューバでのサイクリングの様子や、
地元で数々の賞を受賞しているという若手ミュージシャンの
エクス・アルフォンゾとの対談の様子などが収録されていて、
20分程度と短いものですが非常に充実しています。

ぱらぱらとめくるだけでも楽しいし、
じっくり読むにも読み応えがあるし、
本を閉じた後はとにかく何かを始めたくなるような、
そんな本です。

2006年に出た『サイクリングブルース』もオススメです。

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2009年8月18日 (火)

『白』

芥川龍之介の『白』を読みました。

昨日に引き続き、「蜘蛛の糸・杜子春」に収録されている短篇です。

 「白」というのは犬の名前なのですが、
 この犬が友達の犬のピンチに助ける勇気を振り絞れず、
 こそこそと逃げ帰ったことから宿無しとなり、
 自らの臆病を恥じながら各地を放浪し、
 黒い心を殺すためにあえて窮地に飛び込んでいくような生活を送りながらも
 忘れられないのは可愛がってくれていたご主人様との思い出……、

というようなストーリーです。

白だの黒だのと出てくるのですが、
この「白」に関しては様々な境遇を経験しながらも、
自分の臆病さに気づいてからはピュアで熱くてハードボイルドを究めた感があります。

助けた仔犬におじさんは何処に住んでいるのかと訊かれ、

 「おじさんかい? おじさんは――ずっと遠い町にいる」

と答えるシーンなどは紋次郎レベルのカッコよさです。

話の顛末から教訓めいたメッセージを読み取ろうと思えば
読み取れることはたくさんあると思いますが、
そんなことよりも「白」のひたむきさにしびれます。

この短編集には色んな雰囲気を持つ作品がたくさん収録されていて、
読みやすく、しかも読んだ後は清々しく、大好きな本です。

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2009年8月17日 (月)

『蜜柑』

芥川龍之介の『蜜柑』を読みました。

「蜘蛛の糸・杜子春」に収録されている短篇です。

 汽車で乗り合わせた田舎娘に対して、
 その粗野な顔立ちや服装に最初は軽蔑したような気持ちにしかなれず、
 こうした下品な娘と旅をともにしなければならないなんて、
 まさに退屈な自分の人生の象徴だとまで思っていたのですが、
 その田舎娘が汽車に乗りこんできた理由、
 トンネルに差しかかろうかという時になって
 車内を煤だらけにしてまで窓を開けた理由に思い至り、
 それまでの憂鬱な気分が一気に吹き飛び、
 朗らかな心持になる……、

といったストーリーです。

解説にもありましたが、
これは作者が実際に体験した出来事のようです。
そうなんだろうなと深く頷けました。

それほど大したことではないけれど、
その間の自分の心情の揺れ幅が大きいために
後々まで忘れられない出来事というのがあったりしますが、
これもそういうことだったんじゃないかなと思います。

ほんの5ページで書かれた、心温まる素敵なエピソードでした。

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2009年8月13日 (木)

『ドリアン・グレイの画像』

オスカー・ワイルドの『ドリアン・グレイの画像』を読みました。

 美しい青年ドリアン・グレイをモデルに友人が描いた肖像画は、
 ドリアンが愚行を犯すたびにその責を引き受けるかのように表情を醜く崩し、
 一方で本人は若さと美貌を保ち続ける。
 しかしとことんまで快楽に耽り、
 肖像画が見るに耐えないほど残忍な表情を浮かべるようになり、
 ようやくその愚かさに気づいて善良な人間に生まれ変わろうと思った時には…、

といったストーリーです。

純粋な心の持ち主だったはずのドリアン・グレイが、
その美貌ゆえにあえて魂を汚す道を選び、
それを大人になったと思い違いし、
ますます悪と罪、放蕩の日々に明け暮れるのですが、
胸の内に巣食う醜悪さは偽りの美貌が隠してくれるのです。

そして周りはみんないなくなってしまったというのに、
自分だけはとうに死に絶えた魂を抱えながら虚しく生きのび、
そのことに気がついて新しい人生を求め、
善良な人間に生まれ変わろうと決心したつもりが、
やはり偽りの心は肖像画に見抜かれるのです。

なんとも恐ろしい話ですが、
肖像画は唯一残された良心だったのかもしれません。
そう考えると、これは成熟と引き換えに誰もが経験する苦悩と痛みの物語
と言えるのかもしれません。
しかしオスカー・ワイルドは本文中で、

 「経験とは人間が自己の過失につける名前にすぎない」

としっかりと書いてあります。

慙愧の念に苛まれたドリアンがナイフを握るラストは衝撃的です。

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2009年7月29日 (水)

『ロックで独立する方法』

清志郎さんが「Quick Japan」という雑誌で
2000年12月から2002年2月にわたって連載していた

 『ロックで独立する方法』

が単行本になったものです。

「バンドマンの夢と現実」「業界からの独立」「バンドからの独立」……
といったタイトルがつけられて、
清志郎さんの音楽への想いや、バンドへの想いが綴られています。

Quick Japanの担当者だった山崎浩一さんという方との対談を、
山崎さんがまとめた形ということで、
清志郎さんの純粋な文章というわけではないみたいですが、
それでも清志郎さんがこんな想いで歌を作っていたということが分かって、
興味深いし、勇気づけられます。

独立ということは物事の責任を引き受けるということだと思います。
色んな面倒ごとがついてくるのを承知の上で責任を引き受けたくなるほどの
愛情や情熱を傾けることのできる対象を持てるのは、
幸運なことだと思います。

それだけの幸運を掴んだら、
あとは自分で決めて引き受けるということだと思います。
そしてそのために必要なものは、
自分を信じる力です。

「ロック」を「翻訳」に置き換えながら一気に読み切りました。

 
↓この雑誌も素晴らしいです。しかも300円!

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2009年7月17日 (金)

『1Q84』

村上春樹の最新作『1Q84』を読みました。

  

面白かったです。
坂道を駆け下りるみたいにぐいぐい読まされました。

夢を見ているような浮遊感、
登場人物の全員に自己投影できる俯瞰的な視点、
ぷるんっ!と何かがはじけて目が覚めたような既視感、
ぎゅっ!と心臓を鷲掴みされたような緊迫感、
こんがらがる話が頭や体の中で降り積もって落ち着くまでに
少し時間がかかりそうな気もしますが、
こういう展開はとてもしっくりきます。

一度にたくさんのイメージをどばっと放流させたような本ですが、
それを細部にいたるまで丁寧に描ききるところはさすがです。

この物語がぼくの中でもっと揺るぎなく落ち着いたら、
目を閉じて、かっと見開いた瞬間に
そのたくさんのイメージを目の前に解き放ってみたいです。
そして解き放ったイメージの群れの中に
ぼくも紛れ込んでみたいです。

紛れ込むことでまた読み手としての切り口を増やせるかもしれない、
そんなことを夢想させるファンタジックな本です。

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2009年7月10日 (金)

読書の夏。

『1Q84』を読みたいと思いながら、
二、三日前から『ドリアン・グレイの画像』を読み始めてしまっています。

いつからうちにある本なのか、
ページをめくるたびに古い匂いがして、
実家の納屋を思い出します。

古い本と納屋の匂いは、
記憶の中でそのまま夏に直結しています。

古い本は時々ページに挟まっているちっちゃい変な虫さえいなければ
もっと好きになれるのに、ちょっと残念です。
あんまり布団の中で読もうという気にはなれません。

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2009年7月 9日 (木)

『きりのなかのはりねずみ』

この間『羆嵐』を読んだのは、
今リーディングをしている本が熊に関するものなので、
それを読み始める前に、
熊に関して何かしらのイメージをちょっと持っておこうと思ってのことだったのですが、
うちには『羆嵐』の他にも、熊が出てくる本があります。

『きりのなかのはりねずみ』という絵本です。

ロシアの作品を翻訳したものなのですが、
かわいい「はりねずみ」と「こぐま」が出てきます。

こぐまくんといっしょにお茶を飲みながら星を数えようと思って、
こぐまくんの大好きな「のいちごのはちみつに」を持って
はりねずみくんがこぐまくんの家に出かける話です。

夜の話なので絵は暗い色調なのですが、
それが道中の心細さをうまく演出し、
お友達との再会をとても待ち遠しいものにしています。

お互いのことを素直に思いやり合うはりねずみくんとこぐまくんがとてもいじらしく、
この絵本を読むとぼくの中に残るピュアな部分がもぞもぞと動き始めます。

同じ熊の話でも、『羆嵐』やぼくが今リーディングをしている本とは、
全く違う熊の印象を与える絵本です。
熊も人間と同じで、見た目だけでは判断できない奥深さを当然持っています。

そのあたりのこともぼくの翻訳で紹介できるよう、
今やっているリーディングを頑張ります。

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2009年6月25日 (木)

『羆嵐』

吉村昭の『羆嵐』を読みました。

大正4年12月12月9日に北海道天塩山麓の開拓村を突然襲った
体長2.7メートル、体重383キロ、年齢7、8歳の雄の羆による惨事を
描いたドキュメンタリーです。

本当に怖かったです。
漆黒の闇に潜む羆を想像してしまって、
夜読んでいると後ろとか向こうの部屋とかが気になって、
心臓に悪いです。

一軒目の被害が出てから、
被害地の住民と周辺地域からの応援部隊の間に温度差があったりしながらも、
知恵をしぼって逃げたり、警察の力に頼んだりするのですが、
銃器を携えて規律が取れたはずの数百人規模の警察隊が
一頭の羆の前では無力だったり、
醜態を晒しながら右往左往したり、
事件解決までには色々とドラマがあるのですが、
片がついてからもさらに壮絶なドラマがありました。

底知れぬ自然の厳しさとか、
土地に根づくということとか、
生かされている人間とか、
自然と人間とか、
そういうことを知る者と知らない者とか、
物語のタイプは違うけれど、
ぼくの好きな『リトル・トリー』をちょっと思い出しました。

そういえば『リトル・トリー』では倉本聰が帯の文を書いていましたが、
この『羆嵐』ではあとがきを書いています。
昭和52年に富良野の原生林の中に小屋を建てて移り住む前の日に
この本を読んだそうで、
まだ電気が引かれていなかった初日の夜は怖くて一睡もできなかったそうです。

あとがきは昭和57年に書かれているのですが、
当時を振り返りながら実際に現場に足を運んでいて、
事件が残した傷跡の大きさをさらに浮かび上がらせていました。

凄い本です。

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2009年6月16日 (火)

『羆嵐』

週末とかちょっと時間の空いた時に、

 吉村昭の『羆嵐』

を読んでいます。

大正4年12月に起きた日本獣害史上最大の惨事、
冬眠の時期を逸した一頭の羆が、
北海道天塩山麓の開拓村を襲うのですが、
本当に恐ろしいです。

10年ぐらい前に一度読んだことのある本なのですが、
この先どうなっていくのか覚えていないので、
村の人々と同じように恐怖に怯えながら読み進めています。

淡々とした筆致が出来事の不気味さを際立たせているようにも感じます。
ものすごい臨場感です。

ぼくのよく行くアウトドアショップなんかには、
大きな熊のぬいぐるみにTシャツを着せてあったり、
熊がかわいくこっちを向いて笑っているデザインのTシャツがあったり、
熊がうわっと手を広げたところをデザインしたTシャツがあったりしますが、
今はとてもそんな気分にはなれません。

だけど、人間の側から見た羆や自然の恐ろしさを読み取っていっても、
それはもしかしたらこの本を読んだことにはならないのかなあ、
なんて思いながら読んでいます。

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2009年6月15日 (月)

『本人vol.10』

太田出版から出ている

 『本人』

という雑誌のvol.10で清志郎さんが特集されています。

写真が数点と、
以前『Quick Japan』という雑誌で八回にわたって連載されていた

 「ロックで独立する方法」

の第六回「独立は自由か面倒か?」が掲載されています。

写真はオフショットというか、
メイクもしていない普段着の清志郎さんで、
佇まいや表情がカッコいいです。
憧れちゃいます。

「ロックで独立する方法」は、素晴らしく読み応えがありました。
ふむふむと何度も大きく頷きながら、
自由の重みを噛み締めさせられました。
ぜひ全八回分をまとめて発売してほしいなあと思います。

全部で280ページ強の雑誌で、
清志郎さんの特集は写真も含めてほんの20ページ程度なのですが、
十分に読む価値ありです。

さらに、

 『小説推理』

という雑誌の7月号には、

 「スイートソウル自転車随想記」

ということで過去に六回にわたって連載されていたエッセイ、
「忌野清志郎のL.S.D.」が全て再掲されています。
自転車に関することから『夢助』のレコーディングを控えての心境まで、
清志郎さんの当時の日常に対する想いが自由に綴られていて、
こちらも非常に興味深く読みました。

さらにさらに、1987年に発売され、93年に文庫本にもなった

 『忌野旅日記』

が見事に復刊されています。

これは三浦友和や、坂本龍一、ブロックヘッズ、細野晴臣、井上陽水……、
といった清志郎さんのゴキゲンな仲間たちを紹介した本で、
どんな大御所たちも清志郎さんにかかれば
些細なエピソードも逃さずネタにされてしまっています。
これも清志郎さんの普段の観察眼や発想、姿勢に感激すること間違いなしです。

以上、最近のオススメの三冊でした。

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2009年6月 4日 (木)

『Moomin 4』

『Moomin 4』を読んでいます。

 ムーミン・パパが時計とミシンを掃除するために
 二ついっぺんに分解し、
 組み立て直したらなぜかタイムマシンができてしまい……、

というような話で始まりました。

こっちは色々あってそんな呑気な気分なんかじゃないというのに、
まったく、癒されます。
常に自分のペースというのはすごいことです。
そういう意味でもムーミンはすごいです。
特にムーミン・パパはすごい。

最近はダンディーな男のお洒落アイテムとして
帽子が気になっているのですが、
ムーミン・パパもそう言えば……。

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2009年5月27日 (水)

翻訳のための読書。

気がつけばまた読書から遠ざかってしまっています。

翻訳と次の翻訳の合い間は経済的なことを考えると
短いに越したことはないのですが、
落ち着いて読書ができる期間だと考えると、
それ以降の翻訳のためにもなくてはならない時間でもあります。

翻訳を重ねれば重ねるほど、
読書から学ぶことが多いということがよく分かるので、
今も本当は本が読みたくて仕方がないぐらいです。
読んだことのある本でも、
何を意識しながら読むかによって吸収できることが変わってくるはずです。

何を練習する時でもそうだと思いますが、
自分なりのテーマを持って臨めば、
必ず自分の力になってくれます。

そう思いながら読み始めた本が、
始めに設定したテーマなど忘れてしまうぐらい面白いと、
それはそれで嬉しいし、
読書はいずれにしても有意義な時間を保証してくれます。

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2009年4月13日 (月)

ランダム・ウォーク・ブックス。

元町にランダム・ウォーク・ブックスという洋書屋さんがあるのですが、
次の企画になりそうな本を探すときに、
時々そこに行っています。

装丁やタイトルやページ数から気になった本を適当に手に取ってみて、
ぱらぱらと読んで、
値段を確認して、
帰ってきてからAmazonでチェック、
というのが大体の流れです。

企画になりそうな本を探すというのも大きな目的の一つなのですが、
ついでに写真集を眺めたり、絵本を読み漁ったりするのも楽しいです。

昨日は

 "Dylan: Visions, Portraits, & Back Pages  "

という写真集を見つけました。
5000円ぐらいしたのですが、
最終ページが折れ曲がっているという理由で30%オフ(!)になっていて、
何度も買おうと思っては思い直し、
だけどやっぱりこういう出会いは大切にしないと、
と思ってレジまで持っていきかけたのですが、
やっぱり思い直し、
その思いを断ち切るように店を出たのでした。

だけど帰ってきてAmazonでチェックしてみると、
やっぱり30%オフになった値段よりも安かったです。
ぽちっとショッピングカートに入れかけたのですが、
ここでもやはり思い直し、引き続き検討中です。

本屋さんやレコード屋さんを訪れては、
そのたびに欲しいものばかりが増えていっています。

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2009年3月23日 (月)

『背の曲がった男』

『まがった男』("The Crooked Man")の原作の翻訳、

 『背の曲がった男』

を収録している短編集「シャーロック・ホームズの思い出」が家の本棚にあったので、
原文をProject Gutenbergで拾い読みしながら、
さっそく読んでみました。

デヴィッドのくだりは、
最後に訳注という形で処理されていました。

デヴィッドという名前の人物がいて、
時にデーブと呼ばれたり、デイヴィーと呼ばれたり、
さらには日本ではダビデと呼ばれている人物とも関係があったり、
名前や愛称にまつわる部分は翻訳では難しく、
工夫が必要になってくる箇所です。

名前に関する部分に限らず、
基本は原書に書かれていることを過不足なく日本語で再現したいのですが、
文化的な背景などの相違から小説を読む前提が違う、
という決定的な要素についても考えないわけにはいきません。

だから訳注をつけたり、カッコの中に説明を付記するというようなことも
場合によっては検討しないといけないのですが、
どうしてもそこでいったんリズムが途切れてしまいがちです。

かといって、原文に書かれていることだけだと、
ちんぷんかんぷんのまま終わってしまうということも十分に考えられます。

文末に必要最低限の訳注を掲載するという方法は、
原作のスリリングな面白さを損ねることなく、
読者にも優しい結果となっていると思いました。

一概に解決方法をパターン化できるようなものではなく、
その時々で一番いい方法を考えていくしかないのだと思いますが、
問題点はある程度前もって意識しておくことができます。

だからできるだけたくさんの本を翻訳家としての立場から読むことも、
やっぱり必要です。
今手がけている翻訳だけで精一杯、なんていうのは言い訳にすぎません。
今手がけている翻訳をさらに完成度の高いものにするためにも、
他から学ぶべきことはたくさんあるはずです。

やる気が湧いてきました。

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2009年2月16日 (月)

『素面の、酔いどれ天使』

一年近く買わずにずっと我慢していたのですが、
我慢しきれずに買ってしまいました。

著者のパトリック・ハンフリーズは、
過去にもトム・ウェイツの伝記を書いているようで、
今作もデビュー前から2006年リリースの最新アルバム『オーファンズ』まで、
各アルバムやそれらにまつわる数々の興味深いエピソード、
レニー・ブルース、ケルアック、ディラン、スプリングスティーン、
エルヴィス、リッキー・リー・ジョーンズ、コッポラ、ジャームッシュ……
といった関わりのある人物との接点などについて詳しく語られているようです。

まだ読み始めたばかりなのですが、
さっそく面白いです。
各時代のトムの心境や置かれていた状況などを知った上で
レコードを聴くのも、きっと楽しいことになると思います。

翻訳の合間の楽しみがまた一つできました。

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2009年1月14日 (水)

ヘミングウェイ短編集。

翻訳が軌道に乗ってきたせいで、
まとまった時間を取って読書をするのが難しくなってきたのですが、
幸い今読んでいるのが短編集なので、
それほどまとまった時間でなくても読み始め、読み終えることができます。

新潮社から出ている全三巻のヘミングウェイの短編集なのですが、
これは数年前にも読もうとしたものの、
よく分からなくて途中で放り出したことがありました。

だけど今はヘミングウェイに夢中ということもあってか、
面白くてたまりません。
あっという間に今は第三巻のもう後半を読んでいます。

色々勉強になることも多く、
その中でもさっきふと思ったのは、

 ①内容と同じぐらいタイトルが重要だということと、
 ②最後に結末を迎えるとは限らないということです。

①に関しては、読んだ内容だけでなく、
それに対してこういうタイトルがつけられているんだと思うと、
また読後感がちょっと変わってくるということです。
ストーリーに負けないタイトルの重みを感じます。

②は、たとえば一時間のTVドラマがあったら、
1/4ごとにCMで区切られていますが、
途中の2nd/4に該当する部分だけを読まされて、
残りの1st、3rd、4th/4に思いを馳せたりする余地が残されている、
といった感じで、ちょっと乱暴な感じもします。

いずれにしても、
一人の作家の具体的な経験や記憶が普遍性を勝ち得ているというか、
少なくともぼくとは時代も環境も遠くかけ離れているのに、
こんなに共感できるなんて、すごいです。

ヘミングウェイはすごいです。

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2008年12月14日 (日)

短編小説集。

最近は短編小説集をよく読んでいます。

そのときの注意事項として、
あと何ページなのかをできるだけ知らずに読むことを心がけています。

読みながらついつい何ページまでなのかなと先をめくってしまいがちなのですが、
あと何ページかがだいたいでも分かっていると、
具体的な展開までは分からないまでも
まだもうちょっと続くということは分かってしまいます。
突然終わりを知った方が後に残る余韻の深さが違います。

一話で一冊の長編の場合はそういうわけにはいかないので
読み終わりたくないと思いながらページを繰ることになりますが、
短編小説を読む場合、特にその作品を初めて読む時は、
何ページあるのかは知らない方がいいです。

初回というのは一度きりのことなので、
楽しむための工夫をすれば満足感も倍増です。
短編の楽しみは最近になってようやく分かってきたようにさえ思っています。

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2008年12月10日 (水)

『沈黙』

村上春樹の短編『沈黙』(1991)を読みました。

どこにでもいる平凡な人間の、
実は誰もが秘めている卑劣さ、弱さ、脆さ、儚さ、愚かさ、
そして強さ、もしくは強くあろうとする力、
が、じんわりとものすごい迫力で描かれていました。

爽快、の対極に位置するような作品です。

奥の奥底で蠢くマグマのように、
表面からは見ても分からないけれど、
確実に活動していて、
いつ噴火するかもしれず、
そしてそのマグマは底なしで、
だけどそのことに自分で気づきさえしないことの無責任さ。

人間が他人に対してどれだけ怖い存在になり得るか、
なってしまい得るか、
ということを見事に描き切っていました。

読み終えて、
ずっとソワソワしていた気持ちが沈静化し、
だけどそこに描かれていた真実、
目を逸らすことのできない真実が、
あまりに真実すぎて、
やっぱりまたソワソワしてきます。

凄い小説でした。

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2008年11月23日 (日)

ヘミングウェイ強化月間。

今月は気がつけば「ヘミングウェイ強化月間」となっています。

本棚にあった短編・長編、原書・翻訳を引っ張り出してきて、
毎日の中でかなり優先的に時間をとって読んでいます。
最近は単発の読書しかできていないかったので、
こうして少しでもまとまって読書をするのはワクワクしてきます。

そして今日は梅田に出かけたのですが、
ジュンク堂のヒルトンプラザ店がリニューアルオープンし、
洋書がほぼ全品50%オフということだったので、
"Essential Hemingway"という短編集を買ってきました。
たくさん収録されていてしばらく楽しめそうです。

ジュンク堂の洋書セールでは
欲しいと思ったタイトルが何でも揃っているわけではありませんでしたが、
それでも普段なら一冊しか買えないところが二冊買えるわけだし、
欲しいと思ったものがあればAmazonよりも安く買えるので、
行ってみて良かったです。

それにしても洋書コーナーで本を探すのは未だに苦手です。

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2008年11月 9日 (日)

『Moomin 3』

アメリカから船に乗って、
二週間もかけてはるばる我が家にやって来たのは

 『Moomin The Complete Tove Jansson Comic Strip, Volume Three』

です。

1953年からLondon Evening News紙に連載されていたものを、
これも完全出版していくみたいです。
一昨年から始まって年に一冊のペースなので、
今回がVol.3です。

昔TVで観ていたほのぼのとしたムーミンとは違って、
全体的にちょっとシュールでダークな雰囲気があります。
だけどVol.3まで来ると、
それぞれのキャラクターの性格も分かってきて、
そんなシュールでダークな世界に暮らすムーミンたちの
素朴な生活や、ぼくたちと変わらない悩みなどに
共感が持てるようになってきます。

自然や人生の厳しさに対して、
まったく肩肘を張ることなく立ち向かっていくというか
受け流していくところなどは、
頼もしいのか頼りないのか、
とにかく愛らしいです。

ムーミンやスノークメイデンが恋に友情にと悩みが尽きない一方で、
大人のムーミンパパやムーミンママが自由奔放なところも、
とてもおかしいです。

細かいところまで描き込まれた絵もとても可愛く、
ストーリーを追うだけではなくて
一コマ一コマ、隅々まで目でも楽しむことができます。

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2008年10月29日 (水)

36年前の新刊。

実家からみかんと梅干しと紋次郎が
ダンボールに入って送られてきました。
これから寒くなるこの季節に、
みかんも梅干しも紋次郎も欠かせません。

紋次郎というのは、
昭和47年に講談社から出た単行本(第五巻)の第一刷(なんと定価500円!)で、
父さんが当時買って読んでいたものが納屋に眠っていて、
それを引っ張り出してきてくれたのです。

ぼくが読んだのは、
平成に入ってから光文社の文庫になったもので、
もちろん内容は同じものだけど、
年季が違います。

文庫本より単行本の方がいいなあと、初めて思いました。
ぼくがこんなことを言うのも本当に何なんですが、
これまでは単行本は重いし高いし、
たいていは文庫になるのを待ってから買っていました。
実際に今も文庫になるのを待っている本が何冊かあります。

だけど父さんから送られてきた単行本の紋次郎は、
表紙や途中に挿入されている画に雰囲気があって、
時代を感じさせるんだけど決して古(臭)くなく、
本そのものに存在感があって、
帯の文句もシンプルなんだけど、ワクワクしてきます。

凝っている、というのではなく、
ちゃんとしている、という感じです。
ちゃんとしているかどうかは人それぞれなので
適当な表現ではないかもしれないけれど、
ぼくが(特に時代小説に関して)

 本!

と思う時の本の要素を全て備えているという個人的な意味合いで、
ちゃんとした本なのです。

これを店頭で見たら、
きっと興奮するだろうなあ、興奮しただろうなあと思います。
ぼくなんかは呑気で贅沢なので、
娯楽が氾濫していない時代に、
一冊の本や一枚のレコードを装丁も含めて隅々まで楽しみたかったなあ、
なんて罰当たりなことをついつい思ってしまいます。

だけど、

この昭和47年の紋次郎は装丁が洒落ているとか帯がシンプルだとか、
そういうことなら実は今の本でもセンスとか好き嫌いはあるにしても、
違いはないのかもしれないけれど、
だけどパラパラとめくっているだけで、
胸の奥深いところにある部分をぐっと鷲掴みにされて、
ぶわぶわと揺さぶられるのです。
ぼくにとっても色々とシンプルだった
懐かしい古座の匂いがするからかもしれません。

寒い夜に、みかんを食べながら読みたいと思います。

ちなみに今日観た第27話『錦絵は十五夜に泣いた』で、
紋次郎の必殺のハードボイルドなセリフ、

 「甘ったれちゃあいけやせん。ひとりぼっちは誰もがお互いさまですぜ」

が飛び出しました。
ぼくは原作でここの部分を初めて読んだ時、
このセリフをノートにメモしたことを覚えています。
普段は無口な紋次郎が、
時々珍しく口を開いたかと思うと、
こんなしびれるセリフを吐くのです。

紋次郎は、どこにいようとも探し出して会いに行って自己紹介したい
という気持ちを我慢して、
いつかぼくの存在を知ってくれることを期待しながら、
それまでぼくはぼくで頑張っていようと思う人です。
そんな妄想すら抱かせるヒーローです。

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2008年10月24日 (金)

『The Complete Peanuts 1967-1970 Box Set』

アメリカから船に乗って、
二週間もかけてはるばる我が家にやって来たのは

 『The Complete Peanuts 1967-1970 Box Set』

です。

連載が始まった1950年の分から、
半年に一回、二年分の『ピーナッツ』を一冊に完全収録して発売し、
一年に一回、二冊をセットにしたボックスが発売されているものです。

このコンプリート・シリーズは2004年に刊行が開始されていて、
今回は1967-1968年の分と1969-1970年の分が
セットになっているというわけです。

連載開始から20年も経つと、
スヌーピーやチャーリー・ブラウンも雰囲気が変わっています。
スヌーピーはすでに二足歩行しています。
スパイクやオラフはまだ出てきていませんが、
ペパーミント・パティが登場しました。
ウッドストックはまだ普通の鳥(アオカケス)として描かれています。

これだけ子供のキャラクターばかりが登場しながら
みんなそれぞれに個性的で、いとおしくて、
生みの親であるシュルツさんのお人柄が滲み出ているようで、
ぼくもこの村に子供として仲間入りしたくなります。

シュルツさんが亡くなったのが
連載開始からちょうど50年目にあたる2000年のことで、
その直前に健康上の理由で連載を終了しているのですが、
その最後の作品はよく覚えています。

このコンプリート・シリーズが完結する時も、
また同じように寂しく思うんだろうなあと思います。

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2008年10月20日 (月)

Best Books Square.

昨日の日記を書きながら思い出したのですが、
このHP内の「BBS」のページで利用していた掲示板サイトが
去年ぐらいからサービスを停止したのか、
運営会社のHPにアクセスできなくなっていました。

でも掲示板そのものは表示できていたし、
書き込みもできるようだったので、
そのままにしておいたのですが、
今は掲示板も削除されてしまっています。

ということでこのHP内のBBSもずっと表示できなくなったままだったので、
BBSのページを削除することにしました
(みなさんの投稿内容はぼくのもとにはきちんと残っていて、
これからも大切に保存させていただくつもりです)。

これまでたくさんの本を紹介してくださったみなさん、
ありがとうございました。

以下はBBSで紹介していただいた本です。

『李歐』 リトル・ミイさん 2004/10/31

『泣いた赤おに』 あけみさん 2004/10/31

『スラムダンク』 リトル・ミイさん 2004/11/04

『うずらちゃんのかくれんぼ』 久野さん 2004/11//06

『森の声』 久野さん 2004/11/06

『葉桜の季節に君を想うということ』 TKさん 2004/11/07

『未亡人の一年』 リトル・ミイさん 2004/11/11

『天板でしっとり焼き菓子』 あけみさん 2004/11/12

『葉桜の季節』  jd 2004/11/19

『そして誰もいなくなった』 jd 2004/12/27

『剣客商売』  八角さん 2005/01/09

『ホテル・ニューハンプシャー』 jd 2005/01/18

『薔薇盗人』 リトル・ミイさん 2005/01/27

『ふしぎな図書館』 TKさん 2005/02/09

『ムーン・パレス』 リトル・ミイさん 2005/02/10

『木のいのち木のこころ』 K.Nさん 2005/02/11

『坊ちゃん』 リトル・ミイさん 2005/03/10

『枯葉の中の青い炎』 TKさん 2005/04/20

『淀川長治のシネマトーク』 リトル・ミイさん 2005/04/25

『わにさんどきっ はいしゃさんどきっ』 あけみさん 2005/06/10

『ラチとらいおん』 ニコチャン大王さん 2005/06/19

『悲しい本』 ニコチャン大王さん 2005/07/13

『ダ・ヴィンチ・コード』 吟さん 2005/07/18

『モンテ・クリスト伯』 わしぞーさん 2005/08/02

『WHEN THE LEGENDS DIE』 P様さん 2005/08/26

『LONESOME DOVE』 P様さん 2005/08/26

『SHIMODA STORY』 P様さん 2005/08/26

『長いお別れ』 リトル・ミイさん 2005/08/28

『ちいさなおばけ』 ニコチャン大王さん 2005/09/12

『監視国家』 リトル・ミイさん 2005/11/01

『ジョニーのクリスマス』 ニコチャン大王さん 2005/11/06

『博士の愛した数式』 リトル・ミイさん 2005/12/31

『アラスカを追いかけて』 ヤヤーさん 2007/01/22

『天国の発見』 読裏クラブさん 2007/02/22

『チョコレート・マウンテンに沈む夕日』 ヤヤーさん 2007/03/05

『睡蓮の教室』 ヤヤーさん 2007/03/05

『吾輩は猫である』 読裏クラブさん 2007/07/19

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2008年10月17日 (金)

『ルパンの消息』

思った以上に早いペースで本を読んでいます。

『日輪の遺産』(浅田次郎)を読み終えてから読み始めた
『ルパンの消息』(横山秀夫)も読み終えました。

『半落ち』や『クライマーズ・ハイ』など映像化された作品も多い
横山秀夫がデビュー前に書いたもので、
第九回サントリー・ミステリー大賞佳作を受賞した作品です。

 15年前に自殺として処理された女性教師の墜落死が
 実は殺人だったというタレ込みが、
 時効まで24時間を残して持ち込まれ、
 それに関与していたとされる当時の男子高校生3人が
 重要参考人として連行される。
 当時日本中を震撼させた「三億円事件」とも絡み合いながら、
 3人による回想と現在の捜査が同時に進行し、
 もちろん最後には驚愕の結末が待っている

というものです。
結末も驚愕ならそこに辿り着くまでの過程も驚愕に次ぐ驚愕です。

ミステリーを読み終えた時に、

 あれ、じゃああれはどうなるんかな???

と細部の辻褄が気になることがよくありますが、
これは全くありません。
全ての辻褄がぴたりと合い、完結しています。
これがデビュー前の作品だということにも驚愕します。

15年前の3人の高校生たちの行動とか、
現在の捜査の進行状況とか、
そして登場人物たちの15年前と現在とか、
全編に緊張感が漂っていて、
臨場感に溢れ、リアルで、
背すじをぞくぞくさせながら読みました。
読み終えてもしばらくぞくぞくしていました。

横山秀夫も浅田次郎もぼくは好きでよく読むのですが、
全くなんて凄い人たちなんだろうと思わずにいられません。

今日からジョン・アーヴィングの『ウォーターメソッドマン』を読み始めています。

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2008年10月14日 (火)

本棚の本。

本棚の中に、まだ読んでいない本を並べるエリアを作っているのですが、
そこがそろそろいっぱいになってきたので、
少しずつでも読んでいくことにしました。

と同時に、
他のエリアからはもう一回読んでみようと思う本もたくさん出てきたので、
それらもとりあえず抜き出してみました。

そして、三冊同時に読み進めることにしました。
まずは、

 『マイ・ロスト・シティ』 スコット・フィッツジェラルド
 『日輪の遺産』 浅田次郎
 『キャッチ=22』 ジョーゼフ・ヘラー

です。
午前中の休憩時間に『マイ・ロスト・シティ』、
午後の休憩時間は『日輪の遺産』、
夕方以降の休憩時間に『キャッチ=22』を読む、
というのが大体の目安ですが、
その辺は臨機応変にいきたいと思っています。

場合によっては、

 今はこれを読む気分じゃない、

ということもあるかもしれないので、
そういう時のために、

 『The Complete Peanuts 1963 to 1964』

もすぐに手の届くところに用意しています。
たぶんこれを一番先に読み終えるような気がします。

どれぐらいのペースで読めるのか分かりませんが、
読みたくて買ったはずなのになるべく後回しにしている本も含めて、
後にも読む予定の本がすでに山積みとなっているので、
休憩時間に読むというよりは、
少しはまとまった時間を取ろうかなとも思っています。

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2008年8月 3日 (日)

『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』

この間、マルコム・グラッドウェルの

 『第1感 「最初の2秒」の「なんとなく」が正しい』

という本を読んだのですが、
これは時間をかけて様々な角度から検証して判断するよりも、
直感や第一印象が正しいことがある、
ということを色々な事例を用いて多角的に説明したものです。

自分に照らし合わせて考えても思い当たることがあったり、
新たな視点を投げかけてくれたり、
非常に興味深い本でした。

直感や第一印象が必ずしも頼りになるものではないということは、
自分でも気がつかないうちに思い込みや偏見を持ってしまっていたり、
軽率にもステレオタイプにカテゴライズしようとしてしまったり、
といったことなどからも分かることですが、
そこには「経験」や「環境」が大きく影響しているということでした。

一瞬のうちに正確に判断できたりできなかったりということは、
自分の専門分野について考えてみれば
それなりに納得できるところはあります。
経験値の大きさが妙な価値観に左右されない冷静さにつながる
と言い換えることができるかもしれません
(もちろんその逆の場合もあります)。

専門分野というのが本気でやっていることだとすると、
毎日を本気で生きていれば
そうそう普段から基本的なところで間違った判断はしないようになる、
ということでもあると思います。

日々の暮らしが選択や判断の積み重ねだとすると、
毎日の本気さが試されているのです。
上等です。

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2008年4月23日 (水)

『生きがい。』

昨夜西宮で買ってきた本を読みました。

 『生きがい。』 三浦雄一郎 + 豪太、小堀隆司

75歳の冒険家、三浦雄一郎さんが、
冒険や夢、家族のこと、子育てのこと、
元気に毎日を過ごすための食事の大切さ、
そして何より日々の暮らしに生きがいを見つけることの大切さ、
などについて語ったエッセイです。

数々の冒険、新記録を打ち立ててきた三浦さんですが、
肩肘を張ったところは皆無で、
何気なく、当たり前のように日課としているすごいことを、
飄々としゃべっている感じでした。

どこまでもポジティブな考え方は気持ちがいいぐらいでした。
冒険家でない者にとっては思いを馳せるしかない世界に、
実際に行って、その足で立ち、眺め、
それを日々の生活の延長線上として捉え、
まるで「昨日あったこと」のようにしゃべっている様子に、
静かに燃える青い炎のようなものを感じました。

三浦さんのようにとてつもない冒険でなくても、
日々のちょっとしたことに冒険心を持って臨めば、
昨日までとは違う今日を過ごせそうだなと思いました。

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2008年2月 2日 (土)

『Yahoo! Internet Guide Japan』

『Yahoo! Internet Guide Japan』が休刊になるみたいです。

けっこう長きにわたって愛読していた雑誌なので、
とても残念です。

この雑誌と『日経PC21』の2誌が、
ぼくのPCライフを支えてくれていました。

インターネットの普及に貢献してきた雑誌が、
インターネットの普及によって、
紙の媒体としての限界に達してしまったということなのかなあと思います。

いい雑誌だったので残念です。

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2008年1月29日 (火)

『八月の光』

お風呂でぼうっとしている時などに、
W.フォークナーの『八月の光』のことをふと思い出したりしていることがあります。

最近読んだわけではなく、
もう10年近く前に外大の授業で読んだ本で、
しかもそれほど熱心に読んだわけでもないのに、
実は印象に残っていたことを後から後から思い知らされる感じです。

アメリカ南部の町で古い因習と偏見に反抗するジョー・クリスマスや、
失踪した夫を探して旅に出るリーナ・グローヴ、
彼らを巡る閉ざされた町の住人たちが登場するのですが、
一見牧歌的な雰囲気の中で悲劇が起きる(起きている)のです。

 「人間というものは現に持っている面倒な問題には耐えられても、
 これからぶつかる問題には恐怖を感じるものなんだ。
 だから慣れた面倒ごとにすがりついて、
 新しい面倒ごとに入ってゆこうとしないんだ……」

というところなども考えさせられました。
細かい部分は覚えていないのですが
自分でも気づかないうちに全体的な印象が強く残っていたみたいです。

全体的な印象というのは、「蠢いている」感覚です。
登場人物の胸のうちで苦しみが蠢き、
小さな町に様々な事情を抱えた人間が蠢き、
悪しき因習がそこかしこに蠢いています。

だけど悲劇の奥底に希望が感じられるのです。

この本に対してこんなにも強い想いを持っていたなんて、
自分でも驚きです。

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2008年1月19日 (土)

短編。

今日は短編をいくつか読みました。

強制的に翻訳から離れるためであると同時に、
翻訳力をつけるためでもあるという、
素晴らしい休日の過ごし方です。

翻訳をしていると寝ても覚めてもその作品のことばかり考えているので、
ぼくなどはなかなか並行して他の読書ができなくなるのですが、
そういう時に短編はいいです。

読むスピードもつくし、
必要であればじっくり読んでもそれほど時間がかかりません。

今日読んだのは、

 "Mabel" W. Somerset Maugham
  "The Barber's Uncle" William Saroyan
  "My Bank Account" Stephen Leacock
  "My Watch" Mark Twain

です。
どれもおそらく3000Wordsにも満たない超短編です。
それだけの分量なのに、
どれも読み応えがありました。

読んでいない本が家にあるのは幸せなことだと思いました。

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2007年10月30日 (火)

"Border Music"

今日は久しぶりに梅田に行ったので、
洋書を読む個人的キャンペーン中ということもあり、
何か一冊探してきたかったのですが、
色々と用事があったので書店には寄らず、大人しく帰ってきました。

そして部屋に戻って本棚を眺め、
以前買って読みもせずに本棚に直行していた本の中から、

 "Border Music" by Robert James Waller

を選び、これを読むことに決めました。
10年ぐらい前に村松潔さんの訳で読んで、
一気に大好きな本ランキングの上位に駆け上がった本です。

そしてそのままの勢いで原書も買ったのだと思うけど、
原書はきれいなままで、1ページも読んだ形跡がありません
(形跡がないどころか、読んでいないということははっきりと覚えています)。

そして翻訳で読んで非常におもしろかったという印象だけが残っていて、
内容は今ひとつ覚えていません。
ということは、わざわざ買うまでもなく洋書はすでにあるのだし、
読み返すにはちょうどいいということで、これに決めました。

ちょっとずつ読み進めようと思います。

実は今は有り難いことにとても忙しくて、
昨日みたいに眠いなんて言っている場合ではないのですが、
それでも忙しい時こそ、「読書を楽しむという原点を思い出すキャンペーン」を
開始するには絶好のタイミングと思い、
少しもたもたしながらも、どうにかこうして読む本が決まりました。

翻訳家としては当然の過ごし方のような気もしますが、
翻訳とリーディングと読書と、しばらくはこの3つが、
ぼくの毎日の活動の中心になりそうです。

ようやく抜け出せそうな予感がしています。

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2007年7月 7日 (土)

『ひのきとひなげし』

宮沢賢治の『新編 銀河鉄道の夜』に収録されている

 「ひのきとひなげし」

という短編を、先日読んで以来何度か読み返すことがあります。
スターに憧れるひなげしの傍若無人ぶりをひのきが戒めるのですが、
ひなげしは「わあい、わあい、ばかひのき」と言って聞く耳を持たず、
そんながつがつしたひなげしが危うく悪魔に食べられそうになる、
というお話です。

ひなげしは最後までひのきの言うことに耳を貸さないのですが、ひのきは

 「ちゃんと定まった場所でめいめいのきまった光りよう」

をすればいいのであって、
ひなげしがスターになりたがる必要もなければ、
ひなげしはひなげしのままで十分にスターなんだ、
というような懐の深いことを言うのです。

憧れる向上心と、身の程を知るということかなと思います。
地に足をつけて毎日の翻訳を頑張ろうと思います。

 み空の花を星といひ、
 わが世の星を花といふ。

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2007年6月28日 (木)

『新編 銀河鉄道の夜』

新潮文庫の『新編 銀河鉄道の夜』を読んでいます。

「双子の星」のチュンセ童子とポウセ童子や、
「よだかの星」のよだか、「猫の事務所」のかま猫、
「銀河鉄道の夜」のジョバンニなど、
ことごとく健気で、かわいくて、だけど孤独で、
ぎゅっと抱きしめてやりたくなるようなキャラクターばかりが出てきます。

茫洋とした不思議なイメージの中に鮮やかな情景が広がり、
そんな世界にあって孤独を感じるのは、
それぞれの登場人物が崇高な理想を知っているからだと思います。
宇宙や夜空が舞台となっているのも、
それぞれが瞳の奥に秘めた果てしないものへの憧れ、
胸に抱えた遥か遠くて手が届かないものに対する諦め、
といったものの表象という感じがします。

広く暗い宇宙で健気に生きている名もなく小さな彼らの物語を読んで、
カタルシスを感じたように思いました。

小学生ぐらいの時に読んだ記憶のある話もありますが、
当時はそれほど強い印象を受けませんでした。
子供の時にこそじっくりと読んでおきたい作品だと思います。

 み空の花を星といひ、
 わが世の星を花といふ。

まさに「ガラスよりも水素よりもすきとおって」いました。

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2007年4月16日 (月)

習慣をつける。

リーディングや翻訳以外に本を全然読めていないので、
これじゃいかんと思い、
少しずつでも時間を確保して、短篇を読むことにしました。

まずは、アガサ・クリスティの『ポアロ登場』です。

と思い立ったのが先週の半ばぐらいだったのですが、
本は手元に用意したまま、実はまだ読み始めてすらいません。

リーディングは時間との競争という側面もあるので、
ちょっとでも先に進みたいと思ってしまって、
いくら短篇とはいえ、落ち着いて読書をしようとはなかなか思えないのです。

でも一日に一度バランスボールに座る習慣はどうやらついてきたので、
短篇を読む時間を取ることも、それほど難しくはないはずです。
初めのうちは強制的にでも過ごし方を変えることで、
そのうち習慣になって、気持ちの面でもゆとりが出てくるだろうという魂胆です。

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2007年4月12日 (木)

ヴォネガット。

読み終えて、フワフワと全身を包み込まれたような、
遠くに何か見つけた気がするんだけど身動きが取れないから捕まえに行けなくて、
しょうがないから座り込んで考え込んでしまいたくなるような、
そんな不思議な感覚にとらわれるのがヴォネガットの作品でした。

『タイタンの妖女』で挫折したのが最初でしたが、
「アラスカ」も読んでいた『猫のゆりかご』で何となくソワソワした気分にさせられ、
『プレイヤー・ピアノ』でその面白さに気づいたばかりでした。

気づいた面白さは正体不明の曲者でした。
突き放したような冷たい文章かと思えば、
そのずっと向こうの方に優しさが見えてきたり、
素っ頓狂なアイデアで煙に巻かれるのかと思えば、
それはとても気の利いた設定だったり、
全部が後から気がつくことばかりでした。

 ヒントはここに書いておいたから、後は自分たちで考えなさい、

と言われているような気がしていました。
ヴォネガットのオリジナリティは、もはや発明だと思います。

また一人、好きな作家が亡くなってしまいました。

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2007年3月30日 (金)

読書不足。

ここ数週間、読書を楽しむ時間を全く取れていません。

上下巻あわせて1000ページを優に越える本を読み始めていたのですが、
それも上巻を読み終えたところで止まったままです。

たとえば電車に乗るとか、どこか外で誰かを待つとか、
本気で翻訳に取り組むことを諦めざるを得ない時間帯があれば、
その間は本でも読もうかということになるのですが、
ぼくの平均的な一日の中にそういう時間帯はほとんどないので、
となると、原文を読み返したり、調べものをしたり、
机には向かっていなくても、常に本気で翻訳に取り組んでいます。

それはいいことなのか、もうちょっとどうにかした方がいいことなのか、
悪いことではないと思うけど、これでいいというわけでもないような気がします。

読みたい本が溜まってきました。

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2007年3月 1日 (木)

『吾輩は猫である』

一ヶ月近くかけて『吾輩は猫である』を読みました。

実に楽しい本でした。
漢文調の表現が至るところに散りばめられてあって、
意味を読み取ることが難しい箇所もありましたが、
総じて言えば、実に楽しい本でした。

十一章から成っているのですが、
もともとは第一章にあたる部分だけを読み切りの予定で「ホトトギス」に発表し、
それが好評だったためにあと十回書いたという経緯があるようで、
長編としての筋があるわけではなく、
十一のエピソードが語られているといった感じでした。

とても有名な作品ですが、
最後まで読んだ人は実はあんまりいないんじゃないかと思います。
なんとなくそんな気がするだけですが……。
ぼくは今回初めて最後まで読みました。

そしてラストは衝撃的でした。
もしかして、もしかして……と思いながら最後の数パラグラフを読みました。
これから読もうという方もいるかもしれないので内容には触れませんが、
スリリングなラストだった、ということだけ言っておきたいと思います。

長い作品だし、非常に読み応えがあって、
一気に読もうとせずに、たとえば一章ずつ読むとか、
気長に読むのがコツだと思いました。
難しくてよく分からないままに流し読みをしてしまった箇所もたくさんあるので、
またちょっとずつ時間を見つけて読み返そうと思っています。
一回読んで終わりにするのではなく、
違った角度から読んだり、適当な箇所だけ選んで読んだり、
登場人物の誰かに焦点を当てて読んでみたり、
色んな楽しみ方のできる小説だと思います。


 >>> Power Push 『吾輩は猫である』

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2007年2月 2日 (金)

『貴婦人Aの蘇生』

『博士の愛した数式』でおなじみ、小川洋子さんの『貴婦人Aの蘇生』を読みました。
不思議な物語でした(村上春樹的不思議さです)。

伯父さんが遺した動物の剥製に「A」の文字を刺繍し続ける伯母さんと、
一緒に生活することになった大学生の姪の暮らしぶりが、淡々と綴られています。
伯父さんの遺した剥製のコレクションは専門家も驚愕するほどで、
そこにコレクターが現れ、そんなこんなのうちに、
その伯母さんが実はロマノフ王朝の最後の皇女なんじゃないかということが
世間の知るところとなって物語は展開していくのですが、
周囲が慌しくなる中で当の伯母さんの立ち居振る舞いは非常に落ち着いていて、
そのギャップが、現実の世界と没落したロマノフ王朝、生命と剥製、
といった二対を象徴しているように感じました。

物語が展開を見せても文体はどこまでも淡々としていて、
だけどそこには静かな主張と澱みない自信がうかがい知れ、
低速ながらも初速と終速の差がなく、どこまでもまっすぐに進む、
といった感じを受けました。

他にも何人かの主要人物が登場するのですが、その誰もが、
哀しみを刻みつけた者としての優しさを持ち合わせていて、
じんわりとこみ上げてくるものがありました。

このエンディングと、タイトルの「蘇生」という言葉を考えたとき、
とても哀しい物語だと思いました。

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2006年9月30日 (土)

『馬』

図書館で小島信夫の『馬』を読んできました。
不思議というか何というか、なんとも奇妙な物語でした。

借金を返済するために毎日遅くまでせっせと働く夫と、
家の中のことを一手に引き受けている奥さんが二人で暮らしていて、
ある日突然、奥さんが家の建て増しをすると言い出し、
夫のあずかり知らないところでその話はどんどん具体的になっていき、
夫はそのうち大工の棟梁にも頭が上がらなくなり、
一方で奥さんは棟梁から「ダンナ」と呼ばれるなど妙に存在感を増し、
そして実際に増築部分が出来上がるとそこにはなんと馬が住むことになり、
しかも馬の部屋が一番豪華で、
夫は狭い部屋にせんべい布団とともに押しやられ、
そうこうしているうちに奥さんと棟梁、
さらには奥さんと馬の関係をも疑うようになってしまい……、
というようなストーリーです。

夫が頭の中で考えていることをベースに物語は進むのですが、
その思考過程が徐々に曖昧になり、ついには常軌を逸してしまう、というか、
そもそも常軌などといったものは存在せず、
ある時を境にどんどん夫の独自のワールドに迷い込んでしまう、
といった感じでした。
結局どういうこと??? なんていう疑問は無意味なのかもしれません。

それにしても不思議な小説でした。
昭和文学全集の第21巻に収録されてます。

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2006年9月28日 (木)

『半落ち』

横山秀夫の『半落ち』を読みました。
寺尾聰が主人公を演じた映画の原作です。

寺尾聰が頑なに語ろうとしない空白の二日間を巡って、
警察官や検察官、新聞記者、刑務官といった人たちが各章の主人公になって、
それぞれの立場の熱血さで事件の解明に取り組むのですが、
物語の中心にいる被疑者の澄んだ瞳のせいもあって、
表面的には波乱に満ちながらも、物語は静かに進んでいく感じを受けました。

空白の二日間の意味は最後の最後になってようやく明らかになるのですが、
そこで初めて、それまで張りつめていた緊張感が一気に展開し、
ぶわぶわと熱い感情にさらわれそうになりました。
しみじみと深い物語で、秋の夜長にいいかもしれません。

映画は観たことがないのだけど、公開されている間、
ポスターは街でよく見かけたので、ずっと寺尾聰のイメージでした。

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2006年6月27日 (火)

『ガープの世界』

先週から引き続き、
ジョン・アーヴィングの『ガープの世界』(上)を読んでいます。

この作品も他の作品と同じく長いのですが、
「小説は長ければ長いほど面白い」と言う作者の真意が、
ちょっとだけ分かる気が、時々します。

日常を描いている、ということと関係があるんじゃないかと思います。
登場人物のそれぞれにそれぞれの物語があって、
主人公と呼ばれる人たちの物語を中心に、
全ての物語が展開していって、
そして全体として大きな流れを形成していくという感じです。

そういう登場人物たちの物語である日常には、
結局どういうこと? という視点から見ていては意味を成さないことも
当然含まれていて、だから自然と長くなるんじゃないかと思います。

結局どういうことでもないことが、
ぼくたちの日常にはたくさんあります。
むしろ、特にどういうことでもないことだらけです。

アル・パチーノが、『セント・オブ・ウーマン』の中で、
「足がもつれても踊り続ければいい」というようなことを言っていましたが、
そういうことだと思います。
足がもつれることもあれば、足などもつれるはずもないこともあり、
それでもぼくたちは変わらずに日々を暮らしています。

大したことのない色んな出来事が綴られつつ、
もちろん大した出来事もあり、そんな小説を読みながら、
いつの間にかそこに暮らしている登場人物に感情移入していたり、
小説世界そのものに入り込んでいたりします。

最近は真面目に猛翻訳中なので、
あんまり読書の時間も取っていないし、
それなのに時々誰が誰だったか分からなくなって戻ったりしているので、
あんまり進んでいません。
でも今のところ、おもしろいです。

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2006年6月11日 (日)

『しろばんば』2

『しろばんば』を読んで思ったことをもう一つ。

夜になって嵐がひどくなり、
おぬい婆ちゃと二人で暮らす洪作も不安で眠れないのだが、
おぬい婆ちゃは戸締りの確認をしたり、夜食のおにぎりを作ったり、
そしてそこに村の人たちが見舞いに訪れ、村や隣家の様子を報告し、
また次の家に見舞いに行くという場面がありました。
おぬい婆ちゃが作ったおにぎりは、眠れない洪作に食べさせるだけでなく、
嵐の中をお見舞いに来てくれる村の男たちに食べてもらうためでもあったのです。

日本では梅雨が明けると本格的な台風シーズンに突入し、
高齢の方が田んぼや隣家の様子などを見に行って亡くなるという
悲惨な事故が毎年のように繰り返されています。
そういうニュースをTVや新聞で見聞きするたびにぼくは、
見に行ったところで防げる被害ではないのだし、
台風が通り過ぎるまで家の中でじっとしていてくれたらいいのに、
と思っていました。

だけど『しろばんば』を読んで、
それは何か大切な観点を見落としたまま、
いかにも自分勝手で独善的な感想だったと、
はっとさせられました。

村や町という共同体に生きる一員として、
仲間や生活基盤の無事を確認するということは、
当然のことだった時期があったのだと思います。
今は、自己責任に任されているというか、
隣近所との付き合いが希薄な場合が多く、
おせっかいはむしろ疎まれます。

どちらがどうということではなく、
周囲を案じるという今では流行らない姿勢を
高齢の人たちが貫いていることの意味をぼくは軽んじていたように感じ、
恥ずかしく思いました。

もしかしたら小説の中で書かれている洪作の気持ちは
洪作がその時その時に感じていたことではなく、
作者である井上靖が大人になって分かったことなのかもしれません。
だけど洪作たちは、大人たちが引率する共同体の中で成長し、
その時には何も分からなくとも、
大人になってから色んなことの意味に実感として気づくための経験を
毎日積んでいるのだと思います。
誰に押し付けられたものでもなく、
自然に出来上がった共同体が生活環境としてそこに在るというのは、
とても有り難いことのように思います。

郷愁や感傷といった枠には収まりきらないスケールの物語だと思いました。

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2006年6月 9日 (金)

『しろばんば』

すごい本を読んでしまった。
井上靖の『しろばんば』です。

小学校低学年の時の国語の教科書に、
一部抜粋が載っていたのを覚えています。
正月のどんど焼きといって、
お飾りや書初めを集めて田んぼの一隅で燃やすという、
子供たちにとっては一大イベントのシーンです。

そこで腕白坊主たちが、火の中から一学年上の女の子の書初めを
木の棒で引っ張り出し、書いてあった言葉をみんなで連呼して
囃し立てる場面があるのですが、
ぼくは勝浦の家の近くの広場で毎年行われている
お盆の風景と重ね合わせて覚えていました。

洪作という男の子が主人公で、
曽祖父の妾だった「おぬい婆ちゃ」と一緒に暮らし、
伊豆湯ヶ島の自然の中で成長していく物語です。

大人たちにとっては日常の何気ない風景が、
子供たちにとってはどれだけ驚愕の連続か、
冒険を恐れない子供たちを温かく見守る大人たちの目、
怒られながらも好奇心を抑えられない子供たち、
知らなかったことをちょっとずつ知っていく時の戸惑い……。
誰もが経験し、覚えている「匂い」を懐かしく思い出すと思います。

ぼくが小学校の先生なら、
丸々一年をかけてでも子供たちと一緒に全部読みたいと思いました。
現代の都会の子供たちがこうした田舎の風景や伝統と無縁なら、
一つ一つ説明してあげてでもイメージを持たせてあげて、
ここに描かれていることを小さな胸に届けてあげたいと思いました。

小学校の時に『しろばんば』を読むということは、
何ものにも変えられない経験になるんじゃないかと思います。
小学生のお子さんを持つ大人の人にもぜひ読んでもらいたいです。

たとえばぼくが翻訳家になろうと決めた時に直接的なきっかけになった
F.カーターの『リトル・トリー』などもよく似た雰囲気はあるのですが、
舞台設定が日本でないという点でやはり決定的に異なります。

ぼくは『しろばんば』を読みながら、
本宮の川で遊んだことや、夏になって親戚が古座に勢ぞろいしたことや、
お盆になると近くの広場で供え物を燃やしたこと、
商店街を見下ろすベランダに出てねずみ花火をしたことなどを、
ずっと思い出していました。
思い出すものがある時には、そこには思い出す人もいるものです。
それはきっと豊かで有り難いことなのだと思います。

洪作の周りでも、おぬい婆ちゃは曽祖父の妾だったということで
周囲から白い目で見られていたり、いい大人が意地を張り合っていたり、
優越感を隠そうともしなかったり、必ずしも牧歌的なだけの世界ではありません。
それでもそこには自然で健全な地域や親子のつながりがあり、
その中で子供は子供なりに、自分の立ち位置やら社会性を身につけていきました。

そしてそういう子供の頃の精一杯の経験は、
思い出としてもものすごい財産になります。
そこで覚えたことを忘れない限り、何があってもへこたれることなく、
自分の周りのことを思いやれる強く優しい子に育つはずです。
そんな気がします。

子育てなどしたこともないくせに、
育てられた経験から、そんなことを思いました。

ちょっと長いのですが、夏期休暇やお盆休みを利用して、
あるいは今すぐにでも読んでもらいたいオススメの一冊です。

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2006年6月 2日 (金)

『善女のパン』

O・ヘンリの短編集を読んでいます。

『善女のパン』という話が面白いです。
パン屋の女主人の親切心が、思いもかけない仇となってしまう話です。

オリジナルのタイトルは"Witches' Loaves"で、
「魔女、妖女、魅惑する女のパン」ということになるのですが、
邦訳は『善女のパン』なのです。

女主人はパンにメッセージを込めて、想いを寄せる男性に渡すのですが、
そこに蠱惑的(こわくてき)な意味合いはなく、
『善女のパン』というのは名訳だなあと思いました。

翻訳をしていても、タイトルは意外と、かなり難しいです。
究極の翻訳と言えるかもしれません。

よく似た話で『賢者の贈りもの』というのもありますが、
『善女のパン』に出てくる女主人が賢者とは呼ばれないところが、
この話のおかしみでもあり、かなしみでもあるように思います。

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2006年5月18日 (木)

『椿山』

乙川優三郎を読んでいます。
時代小説です。

『椿山』では、道理などいとも容易く曲げられてしまう身分の違いに戸惑い、
意を決し、その中で生きていく道を模索し、
そして見失ってしまう主人公の半生が描かれています。

他にも様々な身分、境遇の人物が主人公に据えられ、
生き難い世の中で、力を持たない弱者が暮らしに背を向けず、
希望を捨てず、哀しみと引き換えに手にした優しさを周囲に向け、
そういうささやかな幸せに満ちた作品ばかりで、
読後は心が森林浴をしたように心地よく、爽やかさが胸に染み入ります。

真面目に生きることの尊さとか、難しさ、そのための覚悟、
少しずるい部分も含めて弱さを隠し切れない人間の、
それでいて誰もが必ず秘めている可能性、
慌しい生活の中に埋もれてしまいそうな大切なものを、
作者は優しく繊細な眼差しで、温かく包み込むように見つめています。

深い深い部分で心が洗われます。
オススメです。

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2006年2月14日 (火)

a lot farther than they look...

冷たい風が吹いていたのでいっぱい着込んで、
両側に大きな住宅がいくつも並んだ小道を歩き、
少し開けた丘の上までやってきた。

眼下の町はすっかり闇に包まれている。
住み慣れた町が、いつもと違って見えた。
一日中何かと騒々しい町が静まり返っている。
家々の窓からもれる小さな灯りが温かい。

そんな夜の景色を眺めながら、
丘の上で冷たい風に吹かれていた。
見上げるとそこには満天の星が煌めいている。
白い月はまん丸で、知らない世界への入り口のように見えた。

ぼくは手元にあった石を拾って、
数ある中から一つに狙いを定め、
力いっぱい投げつけた。
  :
しばらくすると、ガサっ、という音がして、
斜面をコロコロと転がっていくのが分かった。

 思ったより遠いんだ……。

手を伸ばせば届きそうなところで輝いているのに、
石を投げても届かない遥かなる星たち。

ルーシーがやってきた。

 「あんた、そんなとこで何やってんの?」

 「あの星に当てようと思って」

 「バカじゃないの、そんなの当たるはずがないじゃない」

ルーシーはそう言い残してどこかに行ってしまった、
と思っていたら、
両手に零れ落ちそうなぐらいの小石を乗せて戻ってきた。
そして、それをいっぺんにバラバラバラっと投げつけた。

 「これぐらい投げなきゃ」

……そんな本を読んだ。

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2006年1月28日 (土)

山月記。

中島敦の『山月記』を読みました。

文春文庫の「心に残る物語――日本文学秀作選」ということで、
浅田次郎が編纂した短編集を別の短編目的で買ったのですが、
この『山月記』が一番短かったので、まず初めに読みました。

心に残りました。

頭脳明晰な主人公が、
どうしても拭い去ることのできなかった「臆病な自尊心」のために、
社会生活に適合できず、
詩人になるという夢にも破れ、
そして虎になってしまうというストーリーです。

「虎」とは、
主人公の内に巣食っていた性情が相応しい外見となって現れ出た結果でした。
秀でた頭脳を強く意識し、
その意識が過剰であることを思い知らされることを怖れ、
噴悶し、恥じ入り、恨み、怒り、
その内なる臆病な自尊心を飼い太らせていくのでした。

そしてそのことに気づいた時には虎になり果て、
少しばかり残っていた人間の心も
「虎」に支配されるのを待つばかりとなっていました。
偽りの優越感がよじれてしまったような感じです。

そこに旧友との再会が待っていました。

 :

漢文的な難解さを持ちながら、格調の高さに圧倒されました。
無駄を削ぎ落とし、文庫本にして10ページという短い文章の中に
これだけ余韻を残すストーリーを込めて、
哀しみや友情を語るのではなく、そこに存在させていました。

虎にはならなくとも、誰もが思い当たるはずの内面が描かれていて、
非常に人間的な告白でもあると思います。
偽りの優越感とは、つまりひた隠しにしていた劣等感なのかもしれません。

こんな難しくて面白い小説を読んだのは久しぶりでした。

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