2009年11月 8日 (日)

『羅生門』

黒澤明監督の『羅生門』(1951)を観ました。

 半分焼け落ちた羅生門に滝のような豪雨が叩きつける中、
 杣売、旅法師、下人の三人が雨宿りをしていて、
 証言の全てが食い違っていた事件のあらましについて話し合っている、

といった『羅生門』×『藪の中』で構成されたストーリーです。

ヴェネチア国際映画祭でサン・マルコ・金獅子賞を、
アカデミー賞では最優秀外国映画賞を受賞しています。

古い作品だけにセリフが所々聞き取りづらかったりもしたのですが、
白と黒、光と影、豪雨と太陽の見事なコントラスト、
多襄丸の息遣いや女の悲鳴だけを残して静まり返る音楽、
多襄丸の野性的な筋肉や仕草など、
聞き取れない部分を補って余りある表情豊かな映画でした。

真相が藪の中から明るみに出てこない事件の他に、
羅生門の下で三人がその事件を振り返るシーンも見応えがありました。
この設定だからこそ、
『羅生門』と『藪の中』が一つの作品として融合しえたのだと思います。

原作では

 「下人の行方は、誰も知らない」

といった印象的な一文が最後に置かれていますが、
その意味が重くのしかかってきます。
映画では捨てられた赤ん坊を包んでいた毛布でしたが、
他人のものを身勝手な理屈で盗み、
それを引き止めることの出来なかった人を残して去っていく下人の行方は、
今も昔も誰にも分からないのです。

セリフがもう少しきちんと聞き取れたら、
三船敏郎の迫真の演技や
人間に不信感を抱きながらも愛さずにはいられないといった荘厳なテーマも、
さらにものすごい迫力で迫ってきたんじゃないかと思います。

↓角川書店から出ている『世界名作シネマ全集』のvol.3は
 「黒澤明の世界」と銘打って『羅生門』と『生きる』の二本が収録されていて、
 詳しい解説もついていてお得です。

  

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2009年11月 1日 (日)

『パイレーツ・ロック』

映画の日ということで、西宮のTOHOシネマズで

 『パイレーツ・ロック』

を観てきました。

 1966年、イギリスのポップ・ミュージックが最高潮に達していた頃、
 国内唯一のラジオ局だったBBCラジオで流されるポップミュージックは
 法律によって一日45分に限定されていた。
 が、法律が及ばない領海外に船を停泊させ、
 ゴキゲンなDJたちがそこから電波を飛ばし、
 ゴキゲンなポップ・ミュージックを24時間鳴らし続けていた。
 そして国民の大半がこの放送を聴いていた……、

というようなストーリーです。

いきなりキンクスの『オール・オブ・ザ・ナイト』で幕を開け、
ドノヴァン、ストーンズ、ヤードバーズ、オーティス、ミラクルズ、
クリーム、ビーチ・ボーイズ、ザ・フー、ジミヘン、デヴィッド・ボウイ……、
と数え上げればキリがないほどのロック・レジェンドたちの音楽が、
全編を通して流れていました。

違法ではないものの風紀を乱すとして政府に目をつけられる中、
音楽を愛する老若男女に愛と自由のミュージックを届けつづけるのですが、
DJたちの間にも衝突があったり、友情が芽生えたり、
ちょっぴりシリアスなドラマが転がっていたり、
だけどたいていはテンションの高さが持ち味の映画でした。

表面的にはクレイジーな言動に明け暮れる乗組員たちでしたが、
自由を愛し、ポップ・ミュージックを大切に思う気持ちを共有していて、
抑圧された環境の中での音楽の存在、ラジオの役割といったものへの郷愁は
きっとこんな感じなのかなあ、と思ったりすることのできる映画でした。

ラジオでレコードをかける時間が制限されていたり、
法律の適用範囲外の海上から電波に乗せて音楽を流すラジオ局が出てきたり、
それさえも法の改正で違法とされたり、
といったことは、当時のイギリスで実際にあったことのようです。

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2009年10月18日 (日)

『海の上のピアニスト』

『海の上のピアニスト』(1999)を観ました。
監督は『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)のジュゼッペ・トルナトーレです。

 豪華客船の中で生まれ、捨てられ、一人の船員に拾われ、
 それが1900年だったことから「1900(ナインティーン・ハンドレッド)」と名付けられ、
 天才的なピアノの才能を発揮するようになり、
 客船内のバンドで素晴らしい音楽を奏で、乗客たちを魅了する。
 しかし彼は出生証明書などを持たず、
 世間的には存在しない人間で、生涯船を下りることがなかった……、

というようなストーリーです。

自由の国アメリカを目指してヨーロッパから様々な人が客船に乗り込み、
1900もたくさんの人と出会う。
特にトランペット奏者のマックスと友情を育んだり、
彼に一度でいいから船を下りて世界を見て、
恋をして、家庭を持って、俺をディナーに招待してくれと言われながらも
それを頑なに拒否したり、
乗客の一人に陸の上からは海の声が聞こえる、
海は「Life is immense.(人生は無限だ)」と呼びかけてくるんだ、と言われ、
生まれてからずっと海の上で過ごしながら
そんな感覚は持ったことがなかったので強く魅かれたり、
ピアノを弾いている時は情熱的で熱狂的な1900が、
ふとした瞬間に遠くを見るような目をしていて、
それがとても寂しそうで、かわいそうでした。

一度は意を決して船の仲間に別れを告げながらも、
やはり陸地に足を踏み下ろすことができなかったのは、
人生は無限だという海の声を聞いてみたいと思いながらも、
船しか知らない彼にはタラップの上から見たアメリカの景色が
あまりに大きすぎたからでした。

そんな切なさが満載の映画なのですが、
ピアノを弾くシーンではその速弾きを表すために、
鍵盤の上に手が何本も現れたり、
見方によってはちょっとコミカルなシーンも織り交ぜながら、
極上のエンターテインメントに仕上がっていました。

自分の性格でありながら自分ではどうすることもできず、
与えられた環境や才能でどうにかやりくりしていこうとする主人公が、
とても魅力的でした。

オリジナルのタイトルは

 "The Legend of 1900"

というのですが、
邦題とはまた違う深みがあって、
印象に残るタイトルだなあと思います。

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2009年10月 4日 (日)

『憑神』

浅田次郎原作、降旗康男監督の『憑神』を観ました。

 幕末の江戸で、出世街道を外れてしまった貧乏侍の彦四郎が、
 偶然見つけた小さな祠に神頼みをしたところ、
 貧乏神、疫病神、死神に取り憑かれてしまう。
 不運の連続に見舞われながらも真正直に生きる彦四郎が相手では
 さすがの神たちもちょっといつもと勝手が違うようで……、

といったストーリーです。

原作を読んだのは二年以上前で、
話はあんまり覚えていなかったのですが、
そんなことは関係なく、
純粋に映画として楽しめました。

彦四郎役の妻夫木聡、貧乏神役の西田敏行、
彦四郎を慕う蕎麦屋の親父役の香川照之、
彦四郎の兄役の佐々木蔵之助、勝海舟役の江口洋介など、
素晴らしいなあと思いました。

原作とか台本とか脚本とか、
役作りをするに当たって参考にするべき本があると思うのですが、
そこから作者の意図や全体の設定を把握し、
自分なりに解釈し、雰囲気を作り上げ、
全体の中に溶け込みながら、強烈な存在感を放っていました。

最近は特に映画に関しては好き嫌いなく観るようになったと思います。
何を観ても、大いに勉強になります。
大勢のスタッフで一つのものを作り上げるということも、
きっとぼくの想像を超えて大変なことなんだろうなあと思います。

刺激になります。

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2009年9月26日 (土)

『ダベンハイム失そう事件』

名探偵ポワロの第15話『ダベンハイム失そう事件』を観ました。

 銀行家のダベンハイム氏がライバル関係にあるロウエン氏を
 自宅に招待していたのだが、
 駅まで迎えに行ってくると言って家を出たまま行方不明になってしまう。
 ロウエンにはダベンハイム氏殺害の動機があり、
 一方でダベンハイム氏の奥さんもなんだか怪しく、
 事件は謎に包まれている。
 謎だ……と言うジャップ警部に対して
 ポワロは真実を導き出すのは頭だと主張し、
 それならばということで、
 部屋から一歩も出ずにこの事件を解決できたら5ポンド、
 という賭けをすることになる……、

といったストーリーです。

事件を解決するまでの謎解きという側面の他に、
ポワロとジャップ警部の賭けの行方という点でも、
見応えがありました。

ポワロはヘイスティングスに指示を出して、
調査すべきことはきちんと調べるのですが、
自分は部屋から一歩も出られないため、
手品の練習をしていたり、
またその手品がちょっと巧くなっていたりして、
退屈しのぎなのか時間の効果的な使い方なのか、
そういうところも飽きさせないように工夫されていて、
しかもストーリーと無関係なわけではなく、
面白かったです。

吹き替えで見たのですが、
ダベンハイム氏の声は銭形警部の声でした。

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2009年9月24日 (木)

『マーニー』

ヒッチコックの『マーニー』(1964)を観ました。

 ショーン・コネリー演じるマークが社長を務める会社に
 秘書としてマーニーが雇われるのだが、
 彼女は赤い色や稲妻に過剰に反応するなど、
 少し不安定な側面を時おり覗かせる。
 実はマーニーは幼い頃のある出来事が原因で
 盗癖がつき、極度の男性恐怖症にも陥っていたのだが、
 マーニーの美しさに心を奪われたマークは
 彼女を過去の呪縛から解放しようと試みる……

といったストーリーです。

過去に何があったのかは最後まで分からないのですが、
マーニーは優しく接するマークに対しても激しく拒絶するなど一筋縄ではいかず、
金庫破りの被害を被ったマークが、
いくらその美貌に心魅かれたからといってどうしてそこまで優しくできるのか、
とにかくマーニーに対して献身的に尽くそうとするのです。

でもそれは、ウルトラ警備隊のモチベーションはどこにあるのかと
問いかけるようなもので、
物語の前提として受け入れないといけないものなのだと思います。

母親に愛されたいと願うマーニー、
マーニーを愛してしまったマーク、
マークに気づいてもらいたい義妹のリル、
豊潤な絆で結ばれているマークと父親など、
色んな愛情の形がありました。

マークの無償の愛にはただただ頭が下がるのですが、
見た目は007のイメージそのままなので、
ちょっと気を抜くとプレイボーイにしか見えなくなって、

 あ、いかんいかん、

と思って気持ちを集中させたり、
でもまたしばらくするとプレイボーイのつもりで見てしまっていて……
と最後まで繰り返してしまいました。

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2009年9月23日 (水)

『サンセット大通り』

ビリー・ワイルダー監督の『サンセット大通り』(1950)を観ました。

 売れない脚本家のジョーが
 車の月賦を滞納していたために取立てに追われ、
 サンセット大通りにある古い邸宅に逃げ込んだところ、
 そこに住んでいた無声映画時代のスター女優ノーマ・デスモンドに
 復帰用の映画の脚本家として雇われるのだが、
 ノーマは過去の栄光にしがみついて夢の中を彷徨っているような
 生活を送っているのだった……、

というようなストーリーです。

ノーマ・デスモンドを演じたグロリア・スワンソンが
実際にサイレントからトーキーへの移行に
うまく順応できなかったということが関係あるのかないのか、
特にラストの狂乱のシーンでは豊かすぎる表情が怖いぐらいでした。
末成由美みたいでした。

でもそのサイレント仕込みの大げさな身振り手振りが
この映画を盛り上げているというのは皮肉だなあと思います。

再びスポットライトを浴びたくて
夢と現実の区別がつかなくなってしまったノーマの使用人として、
かつてノーマの初主演作を監督し、一人目の夫でもあったマックスが住み込み、
ノーマに夢を見させ続けているところなど、とても哀しかったです。

もてはやされたり手のひらを返されたり、
それを見ているだけの無関係なはずの人たちからも
歓声やブーイングが聞こえてきたり、
時代の波は残酷です。

サンセット大通り(Sunset Boulevard)というのは、
ハリウッドやビバリーヒルズなどを通るLAの大通りの名前ということです。

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2009年9月18日 (金)

『わが谷は緑なりき』

ジョン・フォード監督の『わが谷は緑なりき』(1941)を見ました。

 ウェールズの貧しい小さな町が舞台で、
 末っ子のヒューを除いて四人の兄、そして父が炭鉱で働く一家の物語です。
 父を中心に厳格ながらも迷いなく倹しく暮らしていたのですが、
 景気の悪化に伴って賃金がカットされたことに対して親子の意見が対立し、
 家族がばらばらの方向に歩み始めてしまう……、

といったストーリーです。

「父が一家の頭なら母は心臓だった」という一家が時代の波に翻弄され、
それでも時は容赦なく流れ、子供たちは成長し、
その中で互いに尊重しあいながらも信念を貫き、
家族として結びつき、帰るべき場所に帰ることの大切さを考えさせられます。

重要人物として町の牧師さんが登場するのですが、

 「祈祷などせずとも、物事を筋道立てて考え、
 常に考えることを諦めず、正直な気持ちを告白し、
 そうやって自分の気持ちが明確になれば魂は強くなる。
 それが祈りです」

みたいな感じのことを言っているシーンが印象的でした。

貧しい時代に豊かな魂を持っていた頃の骨太の映画でした。

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2009年9月11日 (金)

『鬼首峠に棄てた鈴』

笹沢佐保の「峠」シリーズ最終話、

 『鬼首峠に棄てた鈴』

を見ました。

松橋登が演じる主人公の伊三郎は駆け出しの若い渡世人なのですが、
度胸は満点で、控えめで、礼節を知っていて、覚悟が決まっていて、
ついでに超イケメンでした。

 以前世話になった一家を破滅に追いやられ、
 敵討ちのために諸国を流れ歩いていて、
 ようやく見つけたその仇にはめっぽう腕の立つ武士崩れの用心棒がついていた。
 その用心棒を倒す策も思いつかないまま
 相手の方から果たし状が届く……、

といったストーリーです。

殺陣はラストの果し合いのシーンだけで、
後は主人公が強敵とどう戦うかということを考えていたり、
主人公に懐く隣家の女の子との触れ合いや
主人公に想いを寄せる女との哀しい関係が静かに描かれていたり、
これまでの三作とは明らかに質感が異なっていました。

喧嘩剣法では敵なしの主人公でも到底歯が立たない
武士崩れの強敵が現れるという設定は紋次郎でもありましたが、
兵法の常識を覆すアイデアを主人公が見い出すまでの過程が興味深いです。

タイトルにある『…棄てた鈴』というのは、
十五年前に生き別れた姉が持っていた鈴を肌身離さず持っていたのですが、
それを最後に棄てることになるのです。
棄てなければならなかった事情や、
その時の想いなどもクールな表情の裏に見え隠れして、
さすが笹沢佐保の描くハードボイルドです。

この「峠」シリーズが始まった時は
「木枯し紋次郎」が中断した時でもあって
当時のファンの思いは複雑だったと思うけど、
「木枯し紋次郎」が再開する時は
この「峠」シリーズが終わってしまう時でもあって
やはり複雑な思いだったんじゃないかと思います。

紋次郎ではラストに

 「天涯孤独な紋次郎がなぜ無宿渡世の世界に入ったかは定かでない」

というナレーションが入るのですが、
この「峠」シリーズでも

 「その人物のその後の消息については、誰も知らない」

と同じように人の世の儚さを表現したナレーションが入って、
ずーんと重い余韻を残します。
まさに当時から人生はブルースなんだと思わされます。

久しぶりに紋次郎ブームの到来を予感しています。
でも四日続いた「峠」シリーズ報告日記はとりあえず今日で終わりです。
では、ごめんなすっておくんなはい。

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2009年9月10日 (木)

『暮坂峠への疾走』

第三話『暮坂峠への疾走』の主人公は

 「竜舞の銀次」

という人の良い渡世人でした。

 「頼まれると嫌とは言えねえもんで
 何度騙されて裏切られたか分からねえ。
 何のために長げえ間、裏街道を歩いて
 人の心の裏を見てきたのか」

と告白するシーンがありました。
それでもやはり見も知らぬ人の言うことを信じてしまい、
事に巻き込まれていくのです。

 国定忠治が捕まり、磔にされたうえで晒し首にされることになり、
 忠治を信奉する者たちが首を奪い返そうと上州から集まってくる。
 その大半がそうは言いながらも金で渡世人を雇い、
 自分では手を汚そうとしない中、
 銀次は忠治に恩があると言って自ら奪還を決意した若い女に出会う。
 そしてその心に打たれた銀次は一肌脱ぐが……、

といったストーリーです。

腕は立つのですが、
人懐っこいというか、まだ貫禄をまとうには至っていないというか、
紋次郎と違って弟分も一人連れていたり、
その弟分とけっこう仲が良かったり、
道中、堅気の旅人に話しかけられれば愛想よく話を聞いたり、
紋次郎の「人情味」の部分がクローズアップされたような感じでした。

「竜舞」というのは「竜が舞うように」足が速いことからついた異名でした。
もちろん物語の展開にも大いに関わってきます。

オムニバス形式で全四話制作されたこの「峠」シリーズは、
中村敦夫が「木枯し紋次郎」の撮影中に怪我をしたため、
復帰するまでの間をつなぐために急遽制作されたものということでした。
原作となった『見返り峠の落日』(1970)は、
『木枯し紋次郎』(1971)が発表される前年に書かれたものです。

とうとう明日が最終回です。
心して見させていただきやす。

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2009年9月 9日 (水)

『狂女が唄う信州路』

昨日に引き続き、笹沢佐保原作「峠」シリーズの第二話、

 『狂女が唄う信州路』

を見ました。

毎回主人公の設定も変わるみたいで、
今回は「抜かずの丈八」という異名を取る男で、
川津祐介が演じていました。

 三年前に誤って堅気の女性の右腕を斬り落としてしまって以来、
 長脇差は何があっても抜かない、抜いたら自分の右腕を斬り落とす、
 と誓約書を女性の親族に提出し、
 自ら作った木刀を腰に差しているのです。
 そんな丈八はたまたま立ち寄った賭場が手入れにあったために
 牢屋に入れられるのですが、
 そこでは罪人間の上下関係が厳しく、虐めは陰惨で、
 丈八は覚悟を決めながらもひたすら耐えるのです。
 そして90日後にようやく出牢してからは、
 牢屋で知り合った男の娘を探して共に旅に出る……、

といったストーリーです。

前半の丈八は静かな決意を秘めた男前なのですが、
後半に入ると怒りが頂点に達し、
その男前加減がどれだけ本物だったかということが分かります。

怒りと、その怒りの源となった悪行、そして怒りを覚える者の優しさは、
それぞれ向きや質を違えながらも大きさは同じなのかなと思ったりします。
ただ、たいていは悪行のスケールが大きすぎたり
社会に蔓延(はびこ)りすぎたりしていて、
一人の人間の怒りや優しさなんかではとても太刀打ちできないのですが、
物語の中ではそれができるのです。
そこにカタルシスがあると思うのですが、
この丈八なども、観ている者のモヤモヤや苛立ちやそして怒りを
見事なまでに一気に晴らしてくれます。

笹沢佐保の物語は時代考証が細やかで、
ふむふむ、なるほど、へえ、と思わされるところがたくさんあって、
見ていて楽しいです。
だけどこのシリーズは一話完結なので、
前提となる設定や時代背景などを登場人物にどうしても語らせることになり、
それがちょっとわざとらしかったりするところがないでもないのですが、
もちろんそれがなければ話が分からなくなったり、
十分に楽しめなくなったりするところなので、
それは映画やドラマを作る難しさなのだと思います。
勉強になります。

第三話は天知茂が主役を演じているみたいで、
これもまた楽しみですぜ。

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2009年9月 8日 (火)

『中山峠に地獄を見た』

笹沢佐保原作のドラマ「峠」シリーズの第一話、

 『中山峠に地獄を見た』

を見た。

木枯し紋次郎の原点ともいえる股旅物です。

 主人公の長次郎は紋次郎と同じく行くアテもなく
 彷徨うように街道を歩き続ける渡世人で、
 ふとしたきっかけで、
 佐渡に送られようとしている夫を救い出そうとする織物屋の女将に
 力を貸すことになる。
 他にも居合わせた数人のやくざ者と協力して
 男の奪還に成功するのだが……、

といったストーリーです。

主人公が一匹狼で、
だけど無関係の人間の事情に深く関わり合ってしまったり、
他人の事情の裏側に潜む企みなどすでに見抜いていたり、
それでも最後にさらにどんでん返しがあったり、
まさに紋次郎の世界、笹沢佐保の世界です。

紋次郎は長い楊枝をくわえていましたが、
長次郎は右の腕に佐渡帰りを示す「サ」の入れ墨がありました。
他にも後に「木枯し紋次郎」として確立されることになる色んな設定を模索中、
といった感じを受けましたが、面白かったです。

だけど紋次郎との決定的な違いは、
やっぱり中村敦夫じゃないということと、
あの主題歌が使われていないということだと思いました。

紋次郎に完成形を見る笹沢佐保原作の股旅物の原型として、
とても興味深いシリーズです。
一話完結の全四話ということで、残りの三話も楽しみでござんす。

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2009年8月29日 (土)

またしても…。

『太陽はひとりぼっち』を観ていて、
またしても寝てしまいました。

ソファの上で、
あんな窮屈な体勢でよくも寝られたものだと自分でも思います。

前回寝てしまったところではきちんと起きていて、
その時に

 よし、

と思ってしまったことが敗因だと思います。

それで気が緩んだのか目がしょぼしょぼしてきて、
字幕を読んでから次の字幕に切り替わるまでの短い間、
ちょっと目をつぶっておこうという
とても映画を観る気があるとは思えない無謀な挑戦を
何度か繰り返した後、
気がつくと画面には知らない人が映っていました。

いったいどんな映画なんだろう???
とますます観たい気持ちは募る一方です。

ほかにも観たい映画がたくさんたまってきているのですが、
これを観てしまわない限りは次に進めないというか、
違う映画を観てしまえばこれはどうなるのだろうという不安を
引きずってしまいそうです。
難敵です。

しかし退屈な映画です。
でもきっと面白いはず……。

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2009年8月23日 (日)

『アメリ』

アメリ(2001)を観ました。

幼い頃から周囲に馴染めないアメリの日常におけるちょっとした冒険談、
といった感じの映画です。

少し歪んだ形でコミュニケーションをとろうとするアメリならではの
おかしさとか、軽い狂気とか、時にブラックなユーモアが散りばめられていたり、
ちょっとはっとさせられるようなセリフもあったり、
舞台となっているパリのモンマルトルをはじめ、
町の風景や、アパートの佇まい、部屋のインテリアなどは
レトロな雰囲気とポップなセンスがうまく調和していたり、
とてもチャーミングな映画です。

アメリはかわいいけれどイライラさせられるところもあるし、
だけどそれは幼少期の環境によるところもあるわけで、
だから観ている側としても我慢が必要なところもあって、
それでもそんなアメリを温かく見守る老人が近くにいたり、
楽しい毎日を一緒に過ごせるカフェの仲間がいたり、
小さな幸せが時々顔を覗かせるような微笑ましさがありました。

だけど、公開時にも劇場で観たこの映画を今になってまた観ようと思ったのは、
ずばり、

 フランス語に馴染むため!

です。
耳元で囁くような低音のフランス語、コケティッシュでキュートなフランス語、
という単純なイメージに導かれて、
少しずつフランス語に馴染んでいこうという魂胆です。

次はアラン・ドロンの映画を観ることになると思います。

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2009年8月 9日 (日)

『サウンド・オブ・ミュージック』

『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)を観ました。

 ナチス政権下のドイツによる併合間近のオーストリアが舞台で、
 修道女見習いのマリアがトラップ大佐の子供たちの家庭教師をすることになる。
 大佐の厳格な躾に笑顔を忘れていた子供たちだったが、
 奔放なマリアの明るさに次第に心を開いていく。
 ドイツ軍の進駐に伴って徐々に不穏な空気も漂い始め、
 大佐にもとうとう出頭命令が出る……、

といったストーリーです。
ちゃんと観たのは初めてでしたが、本当にいい映画でした。

大佐は厳格な規律を何よりも重視して子供たちをしつけてきたけれど、
そこに愛情が感じられないということはなく、
だけどマリアが現れたことで接し方に変化が見られ、
愛情に理解が加わって、とても微笑ましい家族でした。

16歳の長女の乙女心とか、幼い末娘の茶目っ気とか、
生意気盛りでもおかしくない年頃の男の子たちもマリア先生になついていたり、
とにかく子供たちが可愛いです。

最後にトラップ・ファミリー合唱団が音楽祭に出演することになるところや、
そこからドイツ軍の監視を免れようとするシーン、
そして本当に最後の、美しく広大なスイスの自然の中で見られる一家の笑顔など、
ハラハラしながらも、うんうん、と思いながら見終えました。

ミュージカルという形も完璧にはまっているし、
涙が出るぐらい楽しく、
心を真っ白に洗ってもらうためにも定期的に観ようと思える映画でした。

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2009年8月 6日 (木)

『太陽はひとりぼっち』

アラン・ドロンの『太陽はひとりぼっち』を観ようとしました。

大人の男と女の退屈な会話があり、
日常の一コマとしての別れがあり、
何も起きずに時間が過ぎていきます。

少しの時間でも惜しむかのように、
ちょっとでも隙があったらそこに何でもかんでも詰め込んでやろう
というようなセコさとは無縁のオープニングで、

 お、これは面白そうだ……

と思っていたはずなのですが、
気がついたら寝てしまっていました。

おそらく退屈な映画ではあると思うのですが、
退屈だから寝てしまったのではなく、
映画の気だるい雰囲気に誘われて
ちょっと眠くなってしまっただけです。

観たのは最初の30分ぐらいで、
アラン・ドロンもちょうど出てきたところで、
ここからどういうストーリーが待っているのかは
全く予想もつかないのですが、
これはきっと退屈だけど面白い映画です。

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2009年8月 5日 (水)

『That's the Way of the World』

『ザッツ・ザ・ウェイ・オブ・ザ・ワールド』(1975)を観ました。

 ハーヴェイ・カイテル演じる音楽プロデューサーが、
 本物の音を追究したいという熱意と、
 ビジネス最優先の会社の都合との狭間で揺れながらも、
 結局は会社の命令に逆らえず、
 それまで大切に築き上げてきたグループとの絆をも犠牲にして
 会社がプッシュする新人アーティストのプロデュースを担当するようになる、

といったストーリーです。
全くろくでもない上層部の連中が馴れ合いながら支配する業界で、
異端のハーヴェイ・カイテルは歯を食いしばっていました。

同じ音楽でも、
純粋に音楽の深みにのめりこもうとするスタンスもあれば、
あくまで「スター」になるための手段と捉える立場もあるだろうし、
またある人にとってはアクセサリーと同じファッションかもしれないし、
「音楽」というジャンルが成り立たなくなっているんじゃないかと思うのは、
今に始まったことではなかったのかもしれません。

 "That's the way of the world."
 「それが世の中の仕組みなんだよ/世の中そういうものなんだよ」

というセリフが何度か出てくるのですが、
これは何かとても大切なものを諦めた時のセリフのように思えました。

会社の方針に沿って売り出される新人アーティストが出てきたために
割を食った形になるグループとして、
アース・ウィンド&ファイヤーが出演していましたが、
彼らの出演シーンはレコーディング風景もライブシーンも、
楽器をチューニングしているだけのシーンも、
どこをとってもファンキーでグルーヴィンで、ゴキゲンでした。

↓サウンドトラックはこのアルバムです。

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2009年8月 2日 (日)

『天国と地獄』

黒澤明監督の『天国と地獄』(1963)を観ました。

 ナショナル・シューズの重役の権藤(三船敏郎)の家に、
 息子を誘拐したという電話がかかってくるが、
 実際に誘拐されたのは権藤のお抱えの運転手の息子で、
 それでも犯人は3000万円を払わないと子供の命はないと脅してくる。
 権藤は会社の命運をかけて5000万円をどうにか用意したばかりの時で、
 ここでそこから3000万円を身代金として払ってしまうと
 社内での自分の地位も財産も全て失ってしまうことになる。
 そういった状況で3000万円を払うべきなのかどうか、
 そして犯人は誰なのか、
 その狙いは一体どこにあるのか……、

非常にスリリングな映画でした。

誘拐事件が発生し、丘の上に建つ権藤の邸宅に
戸倉警部(仲代達也)率いる捜査陣が詰めかけるのですが、
前半は主にこの権藤邸のリビングを舞台に話が進みます。

そこで姿を見せない犯人(山崎努)と電話でのやり取りがあったり、
自らの運命を確実に左右する3000万円を
運転手の息子のために投げ出すべきか否かで権藤の心が揺れたり、
他の重役たちとの対立があったり、
それを戸倉警部を始めとする捜査陣が見守っていたり、
非常に緊迫感に溢れたシーンが続きました。

そして身代金の受け渡し方法として新幹線が巧みに利用され、
子供が解放され、
犯人の正体が次第に明らかになり、
警察と犯人の息詰まる心理戦が展開され、
次第に追い詰めていくのですが、
警察がとても頼もしく思えました。

特に仲代達也演じる戸倉警部は正義に燃え、
情に厚くも決してほだされることなく、
冷静に状況を見極めながら任務を全うします。

143分と決して短くない映画なのですが、
犯人がなかなか正体を現さず、
動機も最後まで明かされず、
最後まで夢中になって観てしまいました。

すごい映画があったんだなあ……、
と思いました。
すごい映画です。

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2009年7月31日 (金)

『A Hard Day's Night』

ビートルズの『ハード・デイズ・ナイト』(1964)を観ました。
「ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!」という邦題がついていたやつです。

目まぐるしく毎日を送る四人のドタバタと慌しい日常を
ドキュメンタリー風に描いた作品で、
秒単位で管理される立場をあざ笑うように無邪気に悪さを繰り返し、
周囲の熱狂などどこ吹く風といった感じで、
自分たちのやるべきこととして演奏を楽しむ若かりし頃の四人が
とても愛くるしいです。

RCで言うと『チャンスは今夜』とか『ドカドカうるさいR&Rバンド』とか、
そんな感じです。

息をつく暇もないぐらい狂瀾の日々からの逃避行を
楽しんでやろうとばかりに若さが溢れているのですが、
それが時代のせいなのか、ちょっと牧歌的でもあったりします。

ポールのおじいさんという人も出てきて、
クセのあるこのおじいさんにリンゴ・スターなんかは振り回されたり、
それでクライマックスに向けての緊張感がちょっと高まったりして、
映画としてもきちんとストーリーがあって楽しいです。

最後の演奏シーンはもっと観たいところですが、
それでも四人のカッコよさや勢いは十分に伝わってきます。

そしてもちろんサウンドトラック盤も素晴らしいです。

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2009年7月25日 (土)

『逃走迷路』

ヒッチコックの『逃走迷路』(1942)を観ました。

 飛行機工場で起きた爆発事故の容疑者として一人の作業員が浮かび上がるが、
 その男は自らの無実を主張し、
 警察の追跡を振り払い、
 事件に関与しているはずの男の行方を追う。
 警察に追われ、各地で破壊活動を行なう真犯人グループからも狙われ、
 善意の人たちに助けられたりしながら事件の核心に迫っていく、

といったスリリングなストーリーです。

民主主義や全体主義といった言葉がセリフの端々に出てくるなど、
イズムの相違による対立といった時代背景を大いに意識したような映画でしたが、
自らも警察から逃れながら真犯人を追いかけ、
大移動を続ける中で様々な立場や主義の人たちとの出会いがあり、
各シーンではいかにもヒッチコックといった細かい演出が盛りだくさんで、
全体のストーリー展開を楽しみながら
それぞれの場面ごとに工夫された演出を楽しめるのは、
ヒッチコック映画の特徴だと思います。

そして時々ほろりとさせられるようなエピソードやセリフも飛び出して、
いい映画だなあと思いました。

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2009年7月24日 (金)

『スミス夫妻』

ヒッチコックの『スミス夫妻』(1941)を観ました。

ヒッチコックなのにサスペンスじゃないということで
有名な映画のようです。

 本当はお互いに大好きなくせに、
 嫉妬心などのせいで喧嘩の絶えないスミス夫妻が、
 書類に不備があったということで
 実は法律上、正式な夫婦でなかったことが判明し、
 そこからまたしても大喧嘩に発展し、
 意地の張り合いになり、
 妻は夫の同僚といい仲になり、
 夫は仕事を放ったらかしてそんな妻を追いかけ……、

というようなストーリーです。

まず、仲のいい夫婦が実は夫婦として成立していなかった、
という設定がユニークだし、
妻が極端に嫉妬深く、
喧嘩をしたら仲直りするまで二人とも寝室を出ないことという取り決めがあったり、
そのためには夫は6日でも8日でも仕事を休まなければならなかったり、
実際に夫は仕事を6日でも8日でも休んでいたり、
会社もそれを気の毒に思いながら見守っていたり、
いちいち面白かったです。

ストーリーは単純で、
基本的なすれ違いと嫉妬だけであそこまで話をもっていくのは
ちょっとムリがあるんじゃないかと思うぎりぎりだったようにも思いましたが、
いつものヒッチコック映画ではおまけみたいな感じで取り入れられている
コメディの要素だけで丸々一本の映画を撮ったような、
品のいいコントを観ているような面白さがありました。

本当に仲のいい夫婦なのか、
仲のいい夫婦でいたいと思っているだけの二人なのか、
そんなテーマだったのかも……、
と思ったりもしました。

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2009年7月23日 (木)

『疑惑の影』

『疑惑の影』(1943)を観ました。
ヒッチコックです。

 カリフォルニアの田舎町の平凡な家庭に
 ニューヨークから叔父さんがやって来て
 一気に賑やかになるのですが、
 徐々にその叔父さんがなんだか怪しくなってくるのです。
 何かを隠しているのです。
 特に叔父さんが大好きな長女は、
 叔父さんのことを知りたがるあまり、
 事件に首を突っ込んでしまい……、

というようなストーリーです。
叔父さんが実際に事件に関与しているのかどうかは分からないのですが
そのぷんぷんと臭い立つような怪しさに気づいているのは
家族の中で長女だけという、なんとも呑気な一家です。
それが田舎の中流階級という設定なのだと思います。

丸っきり騙されるわけではなく、

 ん? どういうことかな???

という疑問というか気がかりなことが積み重なりながら展開していきます。

推理小説好きのお父さんが気分転換にといって
無邪気に殺人方法をあれこれ考えていたり、
お母さんが突き抜けて陽気だったり、
弟や妹がかなり小難しかったり、
長女は何歳の設定なのか分からなかったり、
ストーリーとは別のところでもごちゃごちゃと楽しい映画でした。

ジェームス・スチュアートは出てきません。

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2009年7月22日 (水)

『知りすぎていた男』

久しぶりにヒッチコックの映画を観ました。
『知りすぎていた男』(1956)です。

主演はジェームス・スチュアートで、
その妻役にドリス・デイです。

ドリス・デイの歌う『ケ・セラ・セラ』が映画の中でも
効果的に使われています。

 息子も連れて三人でモロッコに家族旅行に来ていたマッケナー一家が、
 偶然知り合ったフランス人の男から謎のメッセージを遺され、
 息子を誘拐され、メッセージを巡って脅迫され、
 息子を心配するあまり警察には頼らずに自分たちだけで解決しようとするが、
 そこには政府要人の暗殺事件が絡んでいて……、

といったストーリーです。
相変わらずのジェームス・スチュアートでした。
真面目すぎるということなのか、呑気というか鈍臭いというか、
イライラさせられます。

異国の地で幼い息子と離れ離れになったり、
いくら息子が誘拐されたからといってあそこまで我を忘れて、
勘違いしていることにも気づかずに他人に食ってかかっていったり、
あり得る設定のぎりぎりを綱渡りするように進むので白けることはないのですが、
ハラハラというよりはイライラさせられるのです。

ジェームス・スチュアートは数々のヒッチコック映画に出演していますが、
もはや本人として出ているのではないかとさえ思えてきます。
そしてこの意図されたとしか思えない規格外の鈍臭さに伴うイライラは、
たしかにサスペンスフルです。
「してやられた感」には腹立たしささえ覚えます。

もちろん、ストーリーやドリス・デイの歌う『ケ・セラ・セラ』など、
本当の意味での見所はたくさんあるのですが、
そんなことも吹っ飛んでしまうぐらい、
ぼくはジェームス・スチュアートと相性が良くないみたいです。
それなのに懲りずに観てしまうのです。

面白かったです。

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2009年7月12日 (日)

『Shine A Light』

『Shine A Light』を観ました。

全編が見所と言っても全く過言ではないこの映画の中で、
たとえば観終えてすぐにもう一度観たいところを挙げるなら、

 "Champagne & Reefer"
 "Connection"
 "Brown Sugar"

の三曲かもしれません。
"Champagne & Reefer"はバディ・ガイの圧倒的な迫力に
ロニーでなくてもビビってしまうし、
"Connection"では曲の途中に挿入されているキースとロニーのインタビュー、
"Brown Sugar"は曲に入る前のミックのインタビューから
キースが弾くイントロへとつながる流れがサイコーにカッコいいです。

昔のインタビューを短く切り取って適当なところに挿入したり、
気の利いたコメントをさらりと付け加えるだけで、
そのシーンを一気に印象深く、多くを語るものにすることができる
ということのいい例だと思います。

だけどこういう映画は当然"Play it loud, please!"ということで、
ボリュームは大きければ大きいほどいいと思うのですが、
近隣への迷惑と天秤にかけた時に、
ボリュームを一つ、二つ、そして三つと絞ってしまい、
やっぱり映画館で観た時の迫力を再現することはできませんでした。

そんな不満を軽く感じながら二度目の三曲を観終えたら、
次はやっぱり

 ミックのオリジナル・ダンスを堪能できる"Shattered"
 ミックのギターを堪能できる"Some Girls"
 手ぶらのキースを堪能できる"You Got The Silver"

あたりかなあ。

そしてさらに……、と二度でも三度でも繰り返し観てしまう、
文句なしにサイコーの映画です。

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2009年5月18日 (月)

『ベールをかけた女』

「名探偵ポワロ」の第12話『ベールをかけた女』を観ました。

 ベールをかけた絶世の美女がポワロの前に現れ、
 かつての恋人に宛てた手紙がもとで恐喝されている、
 その手紙を取り戻してもらいたいと言う。
 ポワロはさっそく犯人と対面し、恐喝をやめるよう忠告するが、
 もちろん聞き入れてはもらえない。
 そこでポワロはヘイスティングスを連れて
 恐喝者の留守中に自宅に忍び込み、
 様々な困難を経て無事に手紙を回収するが……、

というようなストーリーです。

ポワロが灰色の脳細胞だけでなく、
大いに体を張って事件を解決する点が異色です。

抱腹絶倒の絶体絶命に陥ったポワロを、
ヘイスティングスは友情からか保身からか、
結果的に見事に救い出すところなども楽しいです。

今回の事件は恐喝事件だけでなく
宝石の強盗事件も絡んでいたのですが、
複雑に絡み合っていた糸がするすると解けるように、
難解そうな事件もポワロの手にかかればたちどころに解決です。

今回のエピソードは事件解決の妙だけでなく、
ポワロやヘイスティングスのコミカルな一面がクローズアップされていて、
普段はあまり見られないポワロの表情が楽しめたり、
もちろんジャップ警部も活躍するし、
終始ハラハラドキドキさせられながらも見所満載でした。

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2009年5月17日 (日)

『めまい』

ヒッチコックの『めまい』(1958)を観ました。

 犯人を追跡中に自分を助けようとした同僚がビルから落ちて亡くなって以来、
 高所恐怖症に悩まされるようになって警察を辞めたジョンのもとに、
 学生時代の友人であるエルスターから連絡が入る。
 不審な行動を取る妻マデリンの行動を追跡してほしいと頼まれ、
 色々と調べていくうちにマデリンと仲良くなり、恋仲に発展する。
 しかしマデリンは教会の屋上から飛び降りて死んでしまう。
 失意に打ちひしがれるジョンは、
 ある日マデリンにそっくりな女性を街で見かけ……、

というようなストーリーです。

ジョンを演じているのはヒッチコックの映画ではおなじみの
ジェームズ・スチュアートなのですが、
彼がなんというか、誠実というよりは鈍臭く、親切というよりは自分勝手で、
見ていて不愉快になってくるぐらいマイペースでした。

その彼が、おそらくそういう性格ゆえに利用され、
事件に巻き込まれていくのですが、
登場人物たちでさえも先が読めなかったんじゃないかと思うぐらい、
まさに目眩がしそうなほどの展開で、
不愉快な気分を抱かせる主人公の設定も含めて、
ヒッチコックに思うように翻弄された感がありました。

マデリンが不可解な行動を取る理由や、
死んだマデリンにそっくりな女性をジョンが見つけてからの行動など、
超自然的で、強迫観念的で、妄想に支配されて見境がなくなったような、
そういう怖さがありました。
苦手分野です。

2007年にAFI(アメリカン・フィルム・インスティテュート)が選んだ
「偉大なアメリカ映画100選」では9位にランクインされていました。

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2009年5月13日 (水)

『ルパン三世』

最近は

 『ルパン三世 first tv. DVD-BOX』(1971-72)

を一日に一話のペースで観ています。

クールでハードボイルドなルパンが活躍する全23話が収録されているのですが、
アンニュイなBGMは夏の日の夕方みたいでカッコいいし、
カッコつけたセリフも危ない橋をニヒルに渡ろうとしているみたいでカッコいいし、
25分足らずで完結するエピソードは映画のように流れ、
観ていてため息が出そうになります。

今日は第11話の

 「7番目の橋が落ちるとき」

を観ました。

 何者かがルパンの名を騙って次々と橋を爆破、
 ルパンはそれを現金輸送車を襲撃するための準備だと見抜き、
 犯人のアジトに潜入したつもりが捕まってしまい、
 しかも犯人はルパンとは無関係の女の子を人質に取り……、

というようなストーリーなのですが、
ポール・ニューマンの映画みたいです。

ストーリーの展開も視聴者におもねることなく、
むしろ無愛想なほどで、
その隙間を埋めるように音楽が使われるのですが、
時々ハッとするほど無音になるのです。
そうなると今度はその無音が無音ゆえに饒舌なほど効果的で、
すごい演出だと思います。
制作に関わった人たちの目はきっと
キラキラと輝いていたんじゃないかなあ、
なんて思ったりもします。

23話で打ち切りになったなんて、罪な話です。

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2009年5月12日 (火)

『木枯し紋次郎』

そういえば今月の初めに江口洋介主演の「木枯し紋次郎」を観ました。

放送されることは知っていたのですが、
見てみたいような見たくないような、
できれば気がついた時には終わっていたという状況が望ましいような、
そんな複雑な気持ちでいた時に、
ありがたいような迷惑なような電話がかかってきて、
無視を決め込むことができなくなり、
しょうがないから録画しておき、

 ああ、これできっと見ることになるんだろうなあ、
 でもどうにか見ずに済ませたいなあ……、

と思いながら結局見てしまったのでした。

見ることを選んだ一番の理由は、
中村敦夫がワンシーンだけでも出ているということと、
制作に当たって江口洋介に、
過去の作品にとらわれずに自分らしく演じればいい、
というような素晴らしいアドバイスを送ったということで、
中村敦夫が今回のリメイクに積極的なのであれば、
それはファンとしては無視するわけにはいかない、
と思ったからでした。

そして、

江口洋介はカッコよかったと思うけど、
ぼくはやっぱり中村敦夫の紋次郎が好きでした。
見ながら、何と言うか、複雑でした。

紋次郎は極限まで周囲との関わりを本気で避けたがるイメージがあるのですが、
江口洋介はいい人で、自ら世話を焼きたがっているようにさえ見えました。
今回のドラマを単体で観ていたら感想はまた違っていたのかもしれません。

原作や市川崑劇場に対する思い入れが強い分だけ
今回のドラマを素直に見ることができなかったのかもしれませんが、
テンポとか原作とのシンクロ具合とか、
中村敦夫だけでなく全体としての市川崑劇場は
やっぱり凄かったんだなあと思いました。

そしてそんな素晴らしい先輩作品をあえてリメイクし、
新しい時代に古いものを紹介しようとするチャレンジ精神も、
すごいことだと思いました。

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2009年4月24日 (金)

37, Luke.

今月の初めに観た『暴力脱獄』ですが、
ポール・ニューマン扮するルーク(Luke)の囚人番号「37」が
やっぱりちょっと気になったので、
あんまり意味はないかもしれないけれど、
新約聖書の『ルカ(Luke)による福音書』各章の37節を
ざっと眺めてみました。

気になったのものとしては、

1.37 神にできないことは何一つない。
5.37 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。
   そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、
   革袋もだめになる。
6.37 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
   人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと
   決められることがない。
   赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。

などがありましたが、
この中でも1.37は映画のテーマとして
意識されていたと考えてもいいのかなあと思います。

自由に堂々と生きようとしてきたけれどどうにも窮屈で、
世の中は思うようにいかなくて、
人生はそれほどいいものではないけれど前に進むしかなくて、
自信も計画も何もなくてもとにかく前に進むのがクール・ハンド・ルークで、
神様なんか信じていなくて、
実際に神様を非難するように、おちょくるように、
激しく雨を降らせ雷を轟かせる天に向かって、
あるいは夜に佇む教会でルークが叫び、告白するシーンがあります。

しかし「できないことは何一つない」はずの神様からは何の返事もなく、
そんなことだと思ったよ、今のはただの独り言さと嘯(うそぶ)き、
最期まで例のにやけたスマイルを浮かべ、
岐路に立つたびに自分の往くべき道は自分で決めるのです。

ルークには「不屈」という言葉が似合います。
自分に甘えないのは当然で、
理不尽な周囲に対しても文句や不平を垂れるのではなく、
敢然と立ち向かい続け、
全く大人しく生きるということを知らないのです。

ネックレスの代わりに首に提げていたのは栓抜きでした。
栓抜きでビールでもぽんと開けるように、
自由への扉を自らの意思で開けてやろうという意思の象徴のようにも見えました。

そんなルークは、まさに"a failure to communicate"(「道理の分からない奴」)
なのかもしれません。
だけど神でもなく鬼でもなく唯の人が作った人の世は、
ルークのような無頼漢には兎角住みにくいところなのだと思います。

最後に囚人仲間がルークのことを

 "Natural-born World-shaker"

と言っていましたが、
最高の賛辞だと思いました。

  

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2009年4月20日 (月)

『シャイン・ア・ライト』 on DVD

ストーンズの『シャイン・ア・ライト』がとうとうDVDになるようです。

コレクターズBOX、デラックス版の二種類が、
それぞれDVDとBlu-rayで7月3日に出るということです。

  

当然のようにコレクターズBOXを予約するつもりだったのですが、
よくよく考えて、落ち着いて吟味し、一晩寝かせ、
デラックス版をぽちっと予約しました。

コレクターズBOXの特典DVDに収録されているインタビュー映像なども
もちろん興味はあるのですが、
それよりも観たいのはやっぱり映画としての『シャイン・ア・ライト』です。

ライブのシーンだけでなく、
時々挿入される新旧のインタビューも興味深いものばかりだったし、
映画を三回観ただけでは見落としているところがたくさんあるはずです。

6月末に締め切りを終えて、
7月のしょっぱなに『シャイン・ア・ライト』のDVDが届くなんて、
絶好のタイミングです!

家では大音量で観る環境が整っていないのが残念ですが、
ヘッドフォンをしてでも思いっきり楽しみたいと思います。

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2009年4月 5日 (日)

『暴力脱獄』

ポール・ニューマン主演の『暴力脱獄』(1967)を観ました。

 戦争で数々の勲章を獲得しながら、
 帰還後は社会に馴染めず、酔っ払ってパーキングメーターを壊した罪で
 二年の懲役刑を受けたルークが、
 刑務所での過酷な労役や体罰にも屈することなく、
 脱獄を試み、連れ戻され、体罰を受け、それでも脱獄を試み、
 さらに容赦のない懲罰を受ける……、

といったストーリーです。

もちろんそのルークを演じているのがポール・ニューマンなのですが、
振りかざされる権力に決して媚びず、
不適な笑みを絶やすことなく、
社会のシステムに組み込まれることを徹底して拒否するのです。

投獄された時には囚人のリーダー格の男にボクシングの相手をさせられ、
ぼこぼこに打ちのめされながらも当然のように立ち上がり続け、
そこから一気に囚人たちの尊敬を集めていきます。
そして看守たちからは目をつけられます。

途中でルークの母親が面会に来て、
しばらく母子で会話を交わすのですが、
決して親孝行とは言えない母親想いの息子と、
息子を100%信じている母親の、
切なくも温かい交流が涙を誘います。

何度も脱獄を繰り返すルークを再び捕らえた刑務所所長が、
他の囚人たちを前にして、

 "What we've got here is failure to communicate.
   Some men you just can't reach..."

と言うシーンがあります。

 「ここにいるのは道理の分からない奴だ
 どうあがいても心を通わせあえない人間っていうのはいるもんだ」

みたいな意味です(訳:ぼく)。
これはこの映画のテーマでもあると思うのですが、
このセリフを吐いたのは社会のシステム側の人間です。

このセリフはGuns N' Rosesの『Use Your Illusion II』(1991)に収録されている
「Civil War」のイントロにも挿入されているのですが、

 "I don't need one more war,
   What's so civil about war anyway."

 「戦争なんてもうゴメンだ
 戦争のいったいどこが文明的というのか」(訳:ぼく)

と歌うこの曲も、やはり反逆精神に富んだ男が、
都合の悪いことにフタをする社会に対して苛立ちを隠さず、
静かな怒りをぶちまけた名曲です。

脇を固める囚人仲間が和気あいあいとしていたり、
閉塞的な刑務所の中で鬱憤を晴らすかのようなコミカルなシーンがあるなど、
決して暗い映画ではなく、何よりもやはり、
ルークがその笑顔に込めた自由への渇望が痛いほど伝わってきて、
ハッピーエンディングではないけれど清々しい映画だと思います。

邦題の『暴力脱獄』というのはどうかなあと思いますが、
原題は『Cool Hand Luke』というクールなタイトルです。

ルークという名前と、
ルークの囚人番号だった「37」は、
きっと意味があると思います。
今度ちょっと調べてみようと思います。

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2009年3月29日 (日)

『クロコダイル・ダンディー』

『クロコダイル・ダンディー』(1986)を観ました。

 オーストラリアの奥地に住むマイケル"クロコダイル"ダンディーが、
 ニューヨークから取材に来た女性記者を連れてジャングルを案内し、
 お返しに初めての大都会ニューヨークを案内され、
 ドタバタ騒動を巻き起こす、

といったほのぼのストーリーです。

難しく考えなくていいとは思うのですが、
ダンディーと恋に落ちる女性記者にどうしても魅力を感じられず、
むしろ何でも思い通りになると思っている身勝手な女としか思えなくて、
その点だけはずっと引っかかっていたのですが、
それは自由で純情なダンディーとのギャップということでいいのかもしれません。
ダンディーはちょっとクリント・イーストウッドにも似ていたりします。

ラストの地下鉄でのシーンは今観てもいいです。
家族で楽しく観られる映画だと思います。

大きなワニと水牛が出てきます。

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2009年3月22日 (日)

『まがった男』

「シャーロック・ホームズの冒険」の第5話、

 『まがった男』(1984, 原題"The Crooked Man")

を観ました。

 バークレー大佐が自宅で死体となって発見され、
 その横で妻も気を失って倒れていた。
 数分前に夫婦で激しく口論していたと侍女が証言したことから
 妻に嫌疑がかかるのだが、
 ホームズはそこに第三者の存在を疑う。
 そして実際に第三者は存在し、
 しかも大佐とも妻とも深く関わりのあった人物だった……、

というようなストーリーです。
イギリスがインドを植民地としていた時代の連隊での事件、
時代や環境に関わらずエゴが渦巻く男と女の関係、
同じ環境にあったはずの三人がそれぞれ辿る運命、
そして数十年の時を経ての邂逅、
とてもドラマティックな物語でした。

どこにも出てこない「デーヴィッド」という男の名前が鍵を握るのですが、
デーヴィッドとは旧約聖書に登場するダビデのことでした。
家臣であるウリヤの妻を愛してしまい、
自らの妻とするために策略によってウリヤを戦死させた男です(『サムエル記下11)。

日本語では「ダビデ」という表記に落ち着いているので、
原作の翻訳ではどう処理されているのか、気になるところです。

時代背景や周辺知識など、翻訳に必要なリテラシーを学ぶという点でも、
「シャーロック・ホームズの冒険」はとても面白いです。

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2009年3月15日 (日)

『北北西に進路を取れ』

ヒッチコックの『北北西に進路を取れ』(1959)を観ました。

 ゲーリー・グラント扮する広告代理店経営者のロジャーが
 カプランなる人物と間違われて怪しげな二人組に連れ去られてしまう。
 連れて行かれた屋敷でボスらしき男に詰め寄られ、
 何のことか見当もつかないと否定し続けると、
 事故に見せかけて殺されそうになる。
 カプランとは一体何者なのか、
 男たちは何を企んでいるのか。
 命からがら逃げ出したロジャーは次々と事件に巻き込まれ、
 そのたびに自分が容疑者となってしまい、
 謎の女も登場し……、

といったストーリーです。

何者なのか分からないままに人物が登場し、
正体が分かったと思ってもやっぱり「?」がつきまとい、
そういう不安定な状況は主人公と全く同じ立場なので、
ハラハラドキドキしながら感情移入できました。

勘違いされ、巻き込まれ、追いかけられ続けるのは不運極まりないのですが、
途中からは主人公がどん臭いせいじゃないかと思うところもあり、

 なんでやねん…、なんでそこでそんなことをする……、

と主人公に対する苛立ちなども感じつつ、
そういうところも含めてスリリングでした。

「北北西に進路を取れ」と言いながら、
舞台はニューヨークからシカゴへ、
そしてラシュモア山(サウス・ダコタ)へと、
進路はむしろ西を目指しているのはどういうわけなのか気になるところですが、
それは最後まで分かりませんでした。

話はテンポよく展開し、
ぼくなどはついていくのにちょっと必死だったりもしたのですが、
136分という長さを感じさせない、非常に面白い映画でした。

脚本は『麗しのサブリナ』(1954)や『サウンド・オブ・ミュージック』(1965)も
手がけたアーネスト・レーマンです。

  

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2009年3月 7日 (土)

『スティング』

『スティング』(1973)を観ました。

『明日に向かって撃て』(1969)のジョージ・ロイ・ヒル監督、
そしてポール・ニューマンとロバート・レッドフォードが再集結し、
アカデミー賞作品賞など7部門で栄冠に輝いた作品です。

  

やっぱりカッコよかったです。

1936年のシカゴを舞台に、
詐欺師たちが仲間を殺したギャングに復讐すべく、
イカサマにイカサマを重ねて追い詰めていくストーリーです。

手の込んだイカサマが次々と仕掛けられていくテンポのよさが痛快で、
男前でコミカルな主演の二人もカッコよく、
当時の街の風景やファッションも楽しめるし、
音楽も軽快で、
ノーマン・ロックウェルのようなノスタルジーに溢れています。

初めて観たのは20年近く前になると思いますが、
その時は実はあんまり好きではありませんでした。
オシャレ気取りなところが気に入らなかったのかもしれません。

だけどそれをオシャレ気取りだと取るぼくの方が、
若さゆえに気取っていただけだということが今回分かりました
(今回分かるまでもなく薄々気づいていたことではあるのですが)。

ロバート・レッドフォードの若気の至りや、
それを見守りながら若さをのびのびと発揮させるポール・ニューマンの余裕、
二人を支える大勢の仲間たち。
充実の条件が揃っています。

非情なはずのギャングの親玉が可哀相なぐらいどん臭かったり、
ロバート・レッドフォードを執拗に追う警官が哀れなほどツイてなかったり、
そういう設定も面白いです。

最近は週末になるたびにDVDで映画やTVドラマを観ています。
いい映画を観ると楽しい気分になれるし、
そのままの勢いで自分も前向きに過ごせるので、
健全な生活を送るためにも
これからも週に一本ぐらいのペースを守っていこうと思います。

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2009年3月 6日 (金)

『U2 3D』

映画を観たという日記を時々書いていますが、
ほとんどDVDです。

映画館に観に行ったのは、
最近ではストーンズの

  『Shine A Light』

がありますが、
それ以前で言うと、

 2008年
  『ペレを買った男』(2月)

 2007年
  『チャプター27』(12月)
  『酔いどれ詩人になるまえに』(9月)
  『善き人のためのソナタ』(3月)

 2006年
  『ストーンズから消えた男』(9月)
  『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』(9月)
  『プロデューサーズ』(4月)
  『ノー・ディレクション・ホーム』(3月)
  『ブコウスキー:オールドパンク』(3月)

だけです。
予告などで知って面白そうだなと思っても、
やっぱり映画を観に行くのは高いイメージがあります。
前売りを買ってもそれほど安くないし、
映画の日に行くか、レイトショーを見るか、
そんなことを考えるまでもなく、
たいていの場合、観に行くことを諦めてしまいます。

そんな中、明日から公開予定の

  『U2 3D』

は気になります。
2006年に行なわれた「ヴァーティゴ・ツアー」の南米公演の模様を
デジタル3D技術を駆使して収録したものということです。
飛び出すやつです。
臨場感に溢れているやつです。
これはぜひ観てみたいです。

U2といえば、98年の「ポップマート・ツアー」だったと思いますが、
大阪ドームのチケットを無事に取ったにも関わらず、
他に用事ができて泣く泣く友達に譲った苦い経験があります。

「ヴァーティゴ・ツアー」はTVでやっていた2005年のシカゴ公演を観ましたが、
最近の動くU2はほとんど観たことがないので、楽しみです。

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2009年2月14日 (土)

『野のユリ』

シドニー・ポワチエ主演の『野のユリ』(1963)を観ました。

 アリゾナ砂漠を気ままに車で放浪していた青年ホーマー(ポワチエ)が、
 車の故障である一軒家に立ち寄ったところ、
 そこに暮らしていたのは東ドイツから亡命してきた五人の修道女だった。
 貧困にあえぎながら祈ることで日々をどうにか暮らしていた彼女たちは、
 体格のいいホーマーを見て「神が遣わした者」だと信じ、
 何かと彼に頼り、手伝わせ、
 材料も費用もない中で教会まで建設させようとする……、

というようなストーリーです。

思うように言葉が通じない中で信仰だけを頼りに誠実に倹しく暮らす修道女たち、
通りかかっただけのはずで自由奔放だったはずのホーマー、
信仰心は失っていないもののどこか諦めてしまったところのある村人たちなど、
様々に素朴な人々が登場します。

タイトルの「野のユリ」というのは聖書に出てくる言葉で、

 「野のユリがどのように育つのか、注意して見なさい。
 働きもせず、紡ぎもしない。しかし、言っておく。
 栄華を極めたソロモンでさえ、
 この花の一つほどにも着飾ってはいなかった」(マタイによる福音書6.28-29)

に基づいています。
見た目や明日のことなどいちいち思い煩わなくとも、
虚飾を捨てたところに神の恵みが降り注ぐ、
というようなことかなと思います。

カトリックの修道女たちに対して、
ホーマーはバプティストだということで
生活に対する主張は細かいところで食い違うのですが、
互いに聖書を開いて主張しあうところなど、
とても興味深かったです。

ポワチエ演じるホーマーがとても朗らかで、
神だけを信じて融通の利かない修道女たちのペースに巻き込まれながらも、
その明るさで彼女たちの心を動かし、
村人たちの信頼を勝ち取り、
皆と一体になり、
乾いた風が吹き抜けるような村に瑞々しさを与えています。

コメディというわけではないけれど、
コメディタッチのおかしみが散りばめられていて、
ほんわかと心温まるいい映画です。

ジェリー・ゴールドスミスの音楽もさすがに素晴らしかったです。

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2009年2月 8日 (日)

『天使の宿り木』

ヴァネッサ・パラディ主演の『天使の宿り木』(2004)を観ました。

 ベルギーの「飾り窓」で働く娼婦のコレット(ヴァネッサ)が、
 店にかかってきた見知らぬ女からの電話を受けたことから、
 孤児院にいるその女の息子を引き取りに行くことになる。
 そして待ち合わせた駅で息子を女に引き渡すことになっていたのだが、
 女は現れず、女が死亡していたことを知る。
 男に捨てられたコレットと身寄りをなくした少年が、
 行くあてもなく旅を続ける中で徐々に心が通いあい……、

というようなストーリーです。
パッケージに、

 「孤独な天使たちは、羽を寄せ合い雨を凌ぐ。」

とあるのですが、
まさにそういう淡く切ない雰囲気の映画でした。

絵画の中に紛れ込んだような、
思わず見入ってしまう景色もファンタジックでよかったし、
ラストで思いがけずかかってきた
トム・ウェイツの"On The Nickel"もよかったし、
時間が経つと、自分が実際に見た風景として
曖昧な記憶の中に思い出しそうな気がします。

今回のヴァネッサ・パラディは、
その役柄、設定のせいか険しい表情が多かったのですが、
それでも相変わらずコケティッシュでした。

監督・脚本は『橋の上の娘』(1998)で脚本・台詞を担当した
セルジュ・フリードマンです。

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2009年2月 7日 (土)

『ニュー・シネマ・パラダイス』

『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)を観ました。
完全版ではない、オリジナルのやつです。

大学生の時に観て以来なので、
17~18年ぶりでした。

村で唯一の娯楽の場である「パラダイス座」に皆が集い、
暗いはずの時代でもユーモアやいたずら心を忘れず、
全編を通して笑顔が象徴的な映画です。

だけどもちろんそれだけで主人公トトの人生や、
トトの父親代わりでもあった映画技師アルフレードの生涯が
語られるものではなく、
彼ら二人を中心とした登場人物たちの、
故郷に対する愛が、ものすごく深く、静かに壮絶でした。

ある者は故郷で一生を過ごし、
ある者は故郷に想いを残して故郷を捨て、
故郷に残された者は去っていった者への想いを胸に秘め、
それぞれの決断を尊重しています。

歳を重ねながら日々を暮らしていく中で、
故郷との関係とか距離という点で
変わっていくものと変わるはずのないものがあると思うので、
時々観ると、その時々で感じることが微妙に違うかもしれないし、
いいと思います。

それにしても少年時代のトトの笑顔はまさに天使です。

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2009年2月 1日 (日)

『Mr.インクレディブル』

先日の『ファインディング・ニモ』に引き続き、
今日もピクサー製作のディズニー映画、

 『Mr.インクレディブル』

を観ました。

 かつてはスーパーヒーローとして世の平和を守っていた
 Mr.インクレディブルことボブは、
 スーパーヒーロー法が撤廃されて以降、
 一般市民として暮らすことを余儀なくされ、
 しがないサラリーマンとして働きながら、
 同じくスーパーヒロインだった妻のヘレンと
 三人の子供たちを養っていた。
 過去の栄光を忘れることができず、
 鬱屈した日々を過ごしているところに
 謎の手紙が舞いこみ、
 ボブたち一家は想像を絶する冒険に巻き込まれていく……、

というようなストーリーで、
家族が一致団結して困難に立ち向かう姿が描かれています。

ストーリーももちろん楽しいし、
ちょっとした人物の表情や、
それぞれのスーパーヒーローのスーパーヒーローっぷり、
世を忍ぶ仮の姿の時にそれぞれが置かれている立場など、
細かいところに可愛いセンスが光っていて、
面白いなあ、と思いました。

音楽も冗談なのか本気なのか、とてもカッコよく、
007やスターウォーズへのオマージュかと思うようなシーンもあったり、
持てる技術やセンスを総動員して
観る者を楽しませようという意気込みがびしびし感じられて、
こういう姿勢は素晴らしいなあと思いました。
見習いたいです。

誰かを楽しませることができるというのは、
ものすごい才能だと思います。

115分と意外と長いのですが、
もちろんそんなことは微塵も感じさせない面白さでした。

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2009年1月25日 (日)

『ファインディング・ニモ』

去年の11月に外出先で思いがけず『ファインディング・ニモ』を観て以来、
もう一回ちゃんと観てみたいなあと思っていたのですが、
ようやく今日、観ることができました。

そして思っていた通り、
おもしろかったです。

 カクレクマノミの子供のニモが、
 心配性の父親の制止を振り切って大海に泳ぎ出した結果
 人間に捕まってしまい、
 父親がニモを追って旅に出る、

というストーリーなのですが、
その旅の途中、巨大なサメに追いかけられたり、
クラゲがうじゃうじゃしている中に入っていってしまったり、
海流に乗るウミガメの群れに助けられたり、
カモメに狙われたり、
ペリカンに救われたり、
大冒険が待っているのです。

一方のニモも、
捕まった家の水槽に入れられるのですが、
そこで出会った魚たちが個性的で、
彼らとの出会いを通じて大きく成長していくのです。
笑いあり、涙ありの100分間でした。

 何それ?

というような感想ですが、
とにかく楽しい作品です。

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2009年1月17日 (土)

"Bang! You're Dead"

ヒッチコック劇場第二集2に収録されている

 "Bang! You're Dead"(邦題『バアン!もう死んだ』)

を観ました。

 西部劇ごっこに夢中のジャッキーは、
 まだ小さくて近所のお兄さんたちの拳銃あそびに入れてもらえないのだが、
 ちょうど戦争から帰ってきた叔父さんのスーツケースに入っていた本物の銃を
 自分へのお土産のおもちゃの銃だと勘違いし、
 それをこっそり持ち出して遊びに出かけてしまう……、

というようなストーリーです。
ジャッキーは町で色んな人に銃を向けては「手を上げろ!」と言うのですが、
周囲の大人たちはおもちゃの拳銃でふざけているのだと思って相手にせず、
その間にもジャッキーは引き金を引きそうでハラハラさせられる一方で、
いくらおもちゃだと思っているにしても他人に向かって拳銃を向けている
子供に注意を払わない大人たちに注意してやりたくなりました。
でも、その時点でぼくは演出家の思惑に見事にはまってしまっているわけです。

「ヒッチコック劇場」というのは1955年から62年までの7年間に
265話が放映されたということですが、
ぼくが観ているDVDのシリーズは、
その中から抜粋された24話が全8巻に収録されているものです。
ぼくは順番を無視して観てきたのですが、
今日観たエピソードで全部観てしまったことになります。
「木枯し紋次郎」に引き続き、
これでまた楽しみが一つ減ってしまいました。

「木枯し紋次郎」も「ヒッチコック劇場」も、
原作を意識しながら観ると楽しさが倍増します。
原作に対してどういう演出がなされているかということは、
翻訳の観点からもとても勉強になります。
原作に対する親密性といったようなことです。

きっと繰り返し観ることになると思うので、
その時はもう少し意識的に観てみようと思います。

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2009年1月 8日 (木)

『上州新田郡三日月村』

今日は「木枯し紋次郎」の最終回でした。

Monjiro

とは言っても、
自分で勝手に決めた

 毎週「木」曜日に一話ずつ観ていく

というルールを律儀に守りつづけ、
そしてDVD Box IIに収録されている最終話を今日観た
というだけのことです。

だけどこの最終話『上州新田郡三日月村』は
実際に今シリーズの最終回であり、
アテのない旅を続けるしかない日々を過ごしている紋次郎が、
とうとう生まれ故郷の三日月村に足を踏み入れる話です。

最終回らしく、紋次郎の出生にまつわるシーンや、
間引き地蔵への想いを吐露するシーンなど、
ようやく紋次郎自身についての物語が語られました。

胸が締めつけられる思いがしました。

この最終話はシリーズ第38話ということになるのですが、
ここで明かされるエピソードを知った上で第1話を観ると、
紋次郎の虚無感や死に別れた姉に対する想いの深さがよく分かり、
何とも言えない気持ちになります。

間引きとか無宿とか飢饉とか仁義とか不義理とか、
必ずしもぼくたちの普段の生活に直結して考えられるテーマではないけれど、
だからと言って無縁のものとも思えません。
だからこそ今観ても全く古くささとか時代を感じさせない
不滅のドラマとして語り継がれているのだと思います。

今日で最終回だったわけだけど、
来週の木曜日からはまた第一話から再放送がありそうです???

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2009年1月 6日 (火)

『毒蛇』

ヒッチコック劇場第二集2に収録されている

 『毒蛇』(1958)

を観ました。
原作がロアルド・ダールということで
非常に楽しみにしていたのですが、
期待に違わぬ面白さでした。

 ベッドに寝転がって本を読んでいたハリーが
 寝入ってしまい、ふと目を覚ますと、
 お腹の上を毒蛇が這っていて、
 シーツの中に潜り込んでしまう。
 そこに訪ねてきた友人は、
 最近のお前は酒を飲みすぎているから幻覚でも見たのだろう
 と言って取り合わないのだが、
 ハリーの真剣な様子を見てようやく事の重大さを認識し、
 医者を呼ぶのだが……、

というようなストーリーです。

蛇がいたというのはきっと気のせいなんだろうなあ、
と思いながら観ていました。
しかしそこはロアルド・ダールです。
簡単に先が読めるようなストーリーではありませんでした。

最近は面白い映画ばかり観ています。

 面白い映画を観ているうちにぼくの中の何かよ育て!

と思っているのですが、
そんな邪心があるうちはダメだということも分かっています。
地道に頑張ります。

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2009年1月 5日 (月)

男前。

男前にも程があります。

Alaindelon

アラン・ドロンです。

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2009年1月 4日 (日)

『さらば友よ』

アラン・ドロンとチャールズ・ブロンソン主演の

 『さらば友よ』(1968)

を観ました。

 アルジェリアから帰還した元軍医のバラン(アラン・ドロン)が
 ある女性から依頼を受けて大企業の金庫破りを試みるのだが、
 その計画に興味を持ってやって来た元同僚のフランツ(ブロンソン)とともに
 金庫室に閉じ込められてしまう。
 金庫室にあるはずの2億フランもそこにはなく、
 警備員も何者かの手によって殺されていた……、

というようなストーリーです。

最初は人物関係や設定がややこしくてよく分からなかったのですが、
靄が晴れるように次第に何が起きようとしているのかが分かってきて、
そのサスペンス、スリル、二人の距離感にぐいぐいと引き込まれていきました。

アラン・ドロンはとにかく男前で、
チャールズ・ブロンソンはぷんぷんと臭うほどに男臭く、
観終えてマネをしたくなるような、
印象的な名シーンがいくつもありました。
この映画でブロンソンの人気に火がついたと言われているようです。

ストーリーを分かりやすく説明していたり、
テクノロジーを多用した映像に過剰に頼ったりすることなく、
演技や演出、シナリオに力強さと誠実さがあり、
始めは決して良好でなかったはずのバランとフランツの関係を中心に、
金庫破りの計画の裏で進行していた企みなどの「ドラマ」が
リアルに展開していて、とても面白かったです。

イエー。

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2008年12月29日 (月)

『死刑台のエレベーター』

ルイ・マル監督の『死刑台のエレベーター』(1958)を観ました。

 勤め先の社長の殺害をその夫人と共謀して実行に移すのだが、
 現場に忘れ物をしたことに気づき、
 それを取りに戻ろうとしてエレベーターに閉じ込められてしまい、
 なんとか脱出を試みている間に
 外ではまた別の出来事が事件に発展し……、

というようなストーリーが、どんどん転がっていきます。

「ジュテーム、ジュテーム……」という男と女の電話越しの会話に始まって、
一人でエレベーター内に閉じ込められた男の焦り、
降りしきる雨の中、男を探して夜の町を彷徨う女、
若者が盗んだスポーツカーですっ飛ばすシーン、
そして全編にわたってむせび泣くマイルス・ディビスのトランペットなど、
アンニュイでありながらスリリングで、
25歳の監督が作ったとは思えない大人の雰囲気です。
ラストも印象的でした。

ふと思い出してまた観たくなると思います。
これはたぶん、傑作です。

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2008年12月28日 (日)

『第三の男』

グレアム・グリーン原作、キャロル・リード監督の
『第三の男』(1949)を観ました。

 アメリカ人の売れない作家ホリーは旧友のハリーから仕事の依頼を受けて
 第二次世界大戦直後のウィーンにやってくるのだが、
 来てみるとハリーは交通事故に遭ったということで、
 葬儀が執り行われていた。
 そしてそこで、ハリーが危険な闇取引に関わっていたと知らされる。
 そんなことは信じられないホリーがハリーの汚名を晴らそうと
 事の真相を調べていくと、
 ハリーの死の現場にいたという二人の男以外に、
 どうやら第三の男がいることが判明し……、

というようなストーリーです。

米英仏ソの四カ国に分割統治される戦後のウィーンが舞台ということで
人々の生活には暗い影が落ちていて、
そんな中で生きていくための選択を迫られる状況が哀しく、
親友だったはずの二人がいつの間にか大きくすれ違ってしまっていて、
理解しあえないほど深い溝ができていたことを思い知らされ、
それは

 「スイスの同胞愛、500年の平和と民主主義は何をもたらした? はと時計だよ」

というセリフを吐く者と聞かされる者という関係にも象徴されているように思いました。
白黒のフィルムが光と影をうまく演出していて、
ラストシーンも印象的だったし、

 面白い映画だなあ、

と思いました。
ストーリーも映像も音楽も全体の雰囲気も、全てが

 これぞ映画!

といった感じです。
年末年始の一本としてオススメです。

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2008年12月27日 (土)

『シャイン・ア・ライト』3

取りやめにしたとか言っておきながら、
やっぱりまた行ってきました。
3回目の『シャイン・ア・ライト』です。

今回は梅田ではなく、
阪急西宮スタジアム跡にできた西宮ガーデンズという
ショッピングモールの中に入っている映画館で観ました。
近所にできた映画館はチェックしておかないといけないので、
それならば、ということで急遽行くことにしたのです。

しかしそれにしても、何度観ても興奮します。
全編にわたって見所しかありません。

そして3度目となった今回思ったのは、
スコセッシ監督は素晴らしいということです。

実はこれまで、やたらと出てくる監督のことが、
あんまり好きじゃなかったのです。
だけどそれもこれも全部、
ストーンズの凄さを表現するための演出だったのかなあ、
と思うようになったのです。

そういうことなのかもしれないし、
そういうことじゃないのかもしれないけれど、
目の前のスクリーンに映し出されるストーンズには圧倒されます。
一瞬言葉を忘れて、それから感動がうねりとなって押し寄せてきます。
そういうことなんだと思います。

さすがに4回目はありません。
ないと思います。

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2008年12月13日 (土)

『シャイン・ア・ライト』2

昨日のレイトショーでまた観てきました。

普段は1800円のところ、
前回は前売りチケットを買って行ったので1500円だったのですが、
レイトショーは1200円でした。

安いなあ!

それにしてもこの『シャイン・ア・ライト』、

とにかくこの『シャイン・ア・ライト』、

いずれにしてもこの『シャイン・ア・ライト』、

チケットが安かろうが安くなかろうが、
まったく素晴らしいです。

 ファンタスティック・ベイベー。

当然二度目でも楽しめました。
何度でも楽しめます。

前回早いうちから前売りを買っていたのも、
今回二日前からチケットを買っていたのも、
封切と同時に連日超満員になることが確実だと思ったからなのですが、
どうやらそうでもないみたいです。

ぼくは全人類必見の映画なんじゃないかとさえ思います。
それぞれの立場で観て、それぞれに感じるところがあると思います。

二度目の今回は前回見損なっていたシーンや疑問に思っていたシーンなど、
自分なりの見所を前もって覚悟しておくことができたので、
比較的ディープな見方ができました。
DVDを繰り返し観る時と同じ感覚です。

いやあ、それにしてもこの『シャイン・ア・ライト』、

何度でも観たいです。
さすがに三回は多分行かないと思うので、
早くDVDにならないかなあ。

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2008年12月 8日 (月)

『老人と海/ヘミングウェイ・ポートレイト』

12月も引き続きヘミングウェイ強化月間ということで、
今日はアレクサンドル・ペトロフというロシアのアニメ作家が製作した

 『老人と海』

を観ました。

ガラスの上に指を使って絵の具を乗せて絵を描いていくという
独特の手法でアニメーションを完成させているのですが、
油絵のような重厚な感じの一連の絵が、
原作の世界、大きな海の表情、老人の心情といったものを
豊かに再現していました。

特典映像としてペトロフの短いインタビューが収録されていたのですが、
(筆ではなく)指を使って描くのは自分の思い描いたイメージを
一番上手く表現できるからだと言っていました。
表現手段を確立しているというのはすごいことだと思いました。
20分程度の短い作品なのですが、
ワンシーン、ワンカットごとに原作の迫力が脳裏によみがえりました。

同じく20分程度と短い『ヘミングウェイ・ポートレイト』は、
ヘミングウェイの足跡を辿るというドキュメンタリーなのですが、
ノーベル文学賞受賞時のスピーチが肉声で聞けました。
やはり本物の存在は大きく感じました。

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2008年12月 7日 (日)

『シャイン・ア・ライト』

行ってきました!

 A Martin Scorsese Picture  THE ROLLING STONES  "SHINE A LIGHT"

すごい映画でした。
頭のてっぺんから爪先まで、
体中の鳥肌という鳥肌が立ちっぱなしでした。

途中にインタビュー映像などが挿入されているのですが、
ほぼ全編がライブ映像で、
しかもおそらく普段のライブやライブDVDとは
音のバランスが違うのだと思います。
映画用ということなのか、
キースのギターがざっくざっくと図太く聴こえたり、
ミックを始めメンバーの表情や顔の筋肉の動く様子まで分かったり、
もちろん映画館の大きなスクリーンで大音量で観たということもあると思いますが、
とにかく素晴らしく、
みんな大人しくじっと座って鑑賞していたのが不思議なぐらいでした。

キースは途中のインタビューで相変わらずクールなことを答えているし、
そのコメントを聞けたこともとてもよかったです。
ストーンズが最強のロックバンドであり続ける理由が分かりました。
そしてストーンズが好きで良かったとも思えました。

珍しく手ぶらのキースを見ることもできたし、
それでもやっぱり様になっていて、
だけどキースがそんなふうにキースとしてカッコよくいられるのも、
ミックの存在が大前提だということを、
この映画を観て改めて実感しました。

ストーンズではキースがカッコいいけれど、ミックの存在が大前提です。

ジャック・ホワイトもよかったし、
バディ・ガイも迫力満点だったし、
クリスティーナ・アギレラの存在感にも圧倒されました。

この映画はそのうちDVDになるだろうし、
それは確実に購入して何度も繰り返し観ることになるのだろうけど、
公開中に時間を見つけては映画館に足を運ぶべきだと思いました。

小さな劇場でのライブなので、
ステージと観客の距離だけでなくメンバー間の距離も近すぎるぐらいに近く、
4人の転がる石たちの激しくぶつかり合っている様子が熱く、
それでいてクールで、
ミックとキースの奇蹟のようなツーショットがあったり、
全ての曲、全てのカット、全てのシーンが見所です。

ストーンズや監督はもちろん、
関係者全員の気合が入りまくりのすごい映画でした。

断然オススメです。

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2008年12月 5日 (金)

『シャイン・ア・ライト』

いよいよローリング・ストーンズ×マーティン・スコセッシの

 『シャイン・ア・ライト』

が今日から日本で公開されています。
長かった。どれだけ待ったことか……。
空を見上げると日本全土を包み込むような熱気を感じます。
ムンムンしています。

ぼくも朝から電車に乗って大阪に行き、
映画館に一番乗りして、
前売り券を座席指定券に換えてもらってきました。
実際に映画を観に行くのは日曜日です。

今日と明日はサントラで気分を盛り上げます。
さっそくソワソワしています。

最近はチケットが高くてストーンズのライブには行っていないし、
家でCDを聴いたりDVDを観たりする時は
どうしてもボリュームを絞って遠慮がちになってしまうので、
映画館の"Play It Loud"な環境でぼくは度肝を抜かれるかもしれません。
腰を抜かさないようにしたいと思います。

こんなにも待ちわびさせたり、
ワクワクさせたりソワソワさせたりできるなんて、
まったく人騒がせなバンドだと思います。

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2008年12月 2日 (火)

『ソウル・オブ・マン』

2003年にマーティン・スコセッシが製作総指揮を務めて完成した
ブルース・ムービー・プロジェクトの一発目が、
ヴィム・ヴェンダース監督の

 『ソウル・オブ・マン』

です。

1977年の夏にNASAが打ち上げたボイジャーには、
万が一宇宙の住人と遭遇した時のためにと、
地球の音や言語や音楽を録音したレコードが搭載されていたそうです。

その中に20世紀のアメリカ音楽の代表として、
ブラインド・ウィリー・ジョンソン(1902-1947)が歌うブルース、
"Dark Was The Night"(1927)が収録されていたということですが、
この映画は、そのブラインド・ウィリー・ジョンソンが
時空を超えてナレーターを務めるという形で、
二人の偉大なブルースマン、

 スキップ・ジェイムス(1902-1969)とJ.B.ルノア(1929-1967)

を紹介したものです
(クリームがカバーした"I'm so glad"はスキップ・ジェイムスの曲です)。

二人の演奏シーンやレコーディング風景の後に、
同じ曲をルー・リードやボニー・レイット、ベックといった
現代のミュージシャンが歌うシーンが挿入されていて、
脈々と受け継がれる音楽というものを感じました
(S.ジェイムスやJ.B.の演奏シーンは役者を使っての再現フィルムらしいのですが、
その映像処理があまりに見事なせいで、
ぼくはずっと当時の映像が残っていたのだと感心しながら見ていました)。

以前チャボさんが、

 ブルースっていうのは「今日も辛いぜ」というような
 フィーリングを歌ったものではなく、
 そんなへヴィな気分すら突き抜けて今日も生きるぞという
 とても前向きな音楽なんだ

というようなことを言っていました。
まさにそういうことなんだとこの映画を観て実感しました。
綿花畑で、ハイウェイ61で、人種差別の渦巻く土地で、
過酷な労働に耐え、苦役を受け入れ、住む処を奪われながら、
懸命に日々を生きていたのです。
だからこそその裏返しである苦しみのようなものも、
やはり真実味を帯びて伝わってきました。

彼らの生活であるブルースが音楽業界に受け入れられ、
時代に使い捨てられ、そして生活だけが残るのでした。

ヴィム・ヴェンダース監督の音楽映画と言えば、
『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』(1999)が有名ですが、
この『ソウル・オブ・マン』(2003)もまた、
音楽に生きた伝説のミュージシャンにスポットを当て、
音楽のルーツ、人の魂の模索について見事に描かれていて、
非常に見応えがありました。

ちなみにボイジャーに乗せられて宇宙に旅立った"Dark Was The Night"は、
『パリ、テキサス』のラストでも使われた曲のようです。

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2008年11月30日 (日)

『渇き』

『ヒッチコック劇場』第三集2に収録されている

 「渇き~Escape to Sonoita~」(1960)

を観ました。

 タンクローリーを運転するデイビス親子が
 ソノイタという町に向かう途中、
 オーバーヒートで砂漠の真ん中で立ち往生しているところに
 猛スピードでやってきた誘拐犯の車が同じように故障、
 タンクローリーを奪われたデイビス親子は砂漠に取り残されるのだが、
 犯人たちも水がなくて広い砂漠から抜け出す前に……

というようなストーリーです。
30分の短編なのですが、
無駄を削ぎ落とした濃密な作品に仕上がっていて、
最後のオチまでどう片がつくのか全く分からず、
サスペンスの醍醐味を満喫できました。

タンクローリーを運転していたのは引退間近のベテランドライバーの父親と
なかなか仕事に馴染めない新米の息子なのですが、
その親子の交流なんかも短い中にきっちりと描かれていて、
大満足の30分でした。

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2008年11月22日 (土)

『ファインディング・ニモ』

近くの国道沿いに大型眼鏡店ができていたので、
ちょっと寄ってみました。

広々とした売り場に、
高級眼鏡から奉仕品まで、
たくさんの種類が並んでいました。

家族連れが車で来店できるようになっているということもあってか、
小さい子供が積み木などをして遊べるスペースもありました。
そこの壁に液晶TVがかかっていて、
吹き替え版の『ファインディング・ニモ』が上映されていました。

話は終盤で、ニモのお父さんがニモを探して必死で大海を彷徨い泳ぎ、
一方のニモは歯医者さんの水槽の中で仲間たちに協力してもらって
なんとか逃げようとしているところだったのですが、
それを観るともなしにぼんやりと見ていて、
思わずぶわりと泣きそうになってしまいました。

眼鏡をかけなおすフリをして目頭を押さえて事なきを得たのですが、
危ないところでした。

寒い夜は『ファインディング・ニモ』など観ながら
心温まるひと時を過ごすのもいいかもしれません。

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2008年11月20日 (木)

『明鴉に死地を射た』

いよいよ木枯しが本格的に吹き荒れるこの季節、
待ち遠しいのはなんといっても「木」曜日です。
金土日月火水は木を待つ曜日と言っても過言ではありません。

風が冷たく、日が落ちるのも早く、
気温も一気に下がり、
帰るところも行くアテもない紋次郎は
どれだけ心細かっただろうと思います。

もちろんそんな軟弱な紋次郎ではありませんが、
人の優しさはやっぱり応えるようです。

今日観た第32話の『明鴉に死地を射た』でも、
人の好い老婆から差し出された煮物を、
とてもおいしそうに、有り難そうに、五臓六腑に染み入るように食べていました。

紋次郎の食べるシーンは豪快でありながら、
寂しさや孤独を感じずにはいられないところです。
それにしてもあの食べっぷりは見事です
(匹敵するのは『幸福の黄色いハンカチ』の高倉健ぐらいです)。

世の中なんてのはこんなもんでござんしょうと言いながら、
どこかでやっぱり希望のようなものを捨てきれていないような気が時々して、
それが紋次郎の人間的な魅力につながっているように思います。

希望を持ち続けるのはとても疲れることだけど、
失くした時にその大切さを思い知る最たるものじゃないかと思います。

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2008年11月 8日 (土)

『ゲッタウェイ』

サム・ペキンパー監督、スティーブ・マックィーン主演の

 『ゲッタウェイ』(1972)

を観ました。

裏取引で出所したマックィーンが銀行を襲って逃避行を続けるのですが、
けっこう大勢の人物が登場し、
それぞれの思惑が交錯しながら、
銃撃戦あり、カーアクションあり、裏切りありで、
ハラハラドキドキのド派手な映画でした。

細かいカットの挿入やストップ・モーション、
クインシー・ジョーンズの音楽も印象的でした。
だけどもちろん、最大の魅力はマックィーンの男臭さです。

マックィーンに関わる男たちや女たちの裏切り、ヘマによって
事態がどんどん展開し、
そのたびにマックィーンは窮地に追い込まれるのですが、
そのたびにマックィーンは持ち前の判断力と行動力で切り抜けるのです。

そして最後に雰囲気のあるおじさんと出会い、
ちょっとほっこりしたりします。

だけどマックィーンの役どころはかなり凶悪なこともしでかす
ドライな銀行強盗だし、
全体的にはDVDのパッケージにもあるように、

 スーパー・バイオレンス!

でした。
でも面白かったです。

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2008年10月27日 (月)

『獣道に涙を捨てた』

中村敦夫が監督を務めた紋次郎を観ました。
第26話の

 『獣道に涙を捨てた』

です。
昨日の日記の続きのようになってしまうけど、
まさにこういうことなんだと思いました。
昔、中田耕治先生に教わった、

 翻訳は演出だ

ということの真髄を見た気がしました。

中村敦夫は、紋次郎の魅力、
カッコいいとか強いだけじゃない魅力を十分に知り尽くした上で、
紋次郎が一番紋次郎らしくいられる演出をしていました。
思い知らされました。

どこでどういう表情をして、
どういうタイミングでどの角度からのカットを挿入して、
どこで音楽を使って……、
というふうに、そしてぼくが思いつくそんなこと以上に、
素材の良さを損なうことなく、引き立てながら、
一つの作品として見事に組み立て上げていると思いました。

最初は中村敦夫が監督をしているということで、
それが妙な先入観になってしまわないかと思っていたのですが、
想像を遥かに越えた素晴らしい作品でした。
ちょっと涙ぐみながら観ました(観させていただきました)。

ストーリーは原作を読んでいるのである程度覚えていたし、
演出についてもパンフレットを読んで、
見所のような箇所は押さえていたのだけど、
そんな生半可な知識で太刀打ちできるような
ハンパな作品ではありませんでした。

 威風堂々!

といった感じです。
壮絶な人生を生きているのは何も紋次郎だけでなく、
それぞれの人生が非情なまでにリアルに描かれているのです。
厳しい現実の前にはしょうもない知恵など軽く吹き飛んでしまいます。
ぴゅ~、ってなもんです。

一つの作品に複数の演出家や脚本家が
エピソードごとに役割を分担して関わっているという形は
特に人気シリーズなどによくありますが、
見ていて好き嫌いがはっきり分かれることがあります。

演出家や脚本家の自己主張が強いとか、強すぎるとか、
作品を本当に愛していて、何より優先して考えているとかいないとか、
そういうことじゃないかと思います。
ぼくは作品が第一だと思います。

翻訳に関してももちろんそうです。
翻訳家がでしゃばってはいけないのです。
でしゃばっていいのは、翻訳家自身が有名で、
その存在がもはや一つの作品となり得ていて、
そういう方が本をあくまで素材として
自己を表現するような場合に限られると思います。
そしてそういう例外的な場合はでしゃばりとは言わないと思います。

とにかく、紋次郎とピーナッツのおかげで、
翻訳に関する自分のスタンスを改めて見直す日々が続いています
(傍目にはとても呑気な生活を送っていると思われると思います)。

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2008年10月22日 (水)

『夜泣石は霧に濡れた』

最近はランチタイムの後に一時間の休憩時間を設け、
そこで「木枯し紋次郎DVD-BOX II」を観ています。

今日はシリーズ第23話の

 『夜泣石は霧に濡れた』

を観ました。
これは笹沢佐保の原作にもあるエピソードで、
ぼくもよく覚えていました。

 幼い頃に目撃した「間引き」の記憶から
 こんにゃくを食べられない紋次郎が、
 空腹に苦しみながら辿り着いた村でこんにゃくに苦しみ、
 さらには四年前に村の娘を手篭めにしたと謂れのない罪を被されそうになり、
 紋次郎がその真相を確かめるべく村の貸し元を訪れると、
 そこにいたのは……!

という非常にサスペンスフルでスリリングなストーリーです。
主人公である紋次郎が空腹で格好悪くフラフラになっていたり、
渡世人というだけで農民に恐れられながらも足元を見られていたり、
当時の状況を垣間見るようなリアルさがありました。

BOX IIでは5話目となるのですが、
今のところ一番面白かったです。
断然面白かったです。
紋次郎の魅力が凝縮されていました。

貧しい農家に生まれ、
十歳の時に故郷を捨てて無宿渡世の道に入り、
昨日も明日もない天涯孤独の身ながら
一日一日を必死に生き抜こうとしている紋次郎の魅力です。

空腹のために足をもつれさせながら、
降りかかる火の粉を払うように、
数に物を言わせる相手に鬼のような形相で立ち向かっていくのです。

カメラワークもカッコよく決まっていました。
これは脚本家によるところが大きいのか、
それとも監督なのか、
おそらく監督じゃないかと思います。
ということで、中村敦夫が監督を務めている第26話も楽しみです。

明日は第24話『女郎蜘蛛が泥に這う』です。

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2008年10月19日 (日)

『ロング・グッドバイ』

ロバート・アルトマン監督、エリオット・グールド主演の

 『ロング・グッドバイ』(1973)

を観ました。

原作も翻訳で読んだのですが、
確かに読んだという自信がなくて、
映画はちょっとストーリーが違っているみたいなのですが、
その違いも分かりませんでした。

なので原作と比較することなく、
純粋に映画として楽しむことができたのかなと思います。

フィリップ・マーロウを演じるエリオット・グールドは
パッケージの写真を見る限りでは、
どうにもうだつの上がらないような表情をしているのですが、
最初の15分ぐらいでさっそくそのカッコよさに引きつけられました。

原作でもマーロウがハードボイルドにも関わらず
おしゃべりだという印象があったのですが、
映画でもおしゃべりでした。
思ったことを何でも誰にでも、誰もいなければ独り言で、
とにかくしゃべっているのです。

ストーリーは、
妻を殺して逃亡中のテリー・レノックスが自殺したと聞き、
それが腑に落ちない私立探偵のフィリップ・マーロウが
警察からテリーの逃亡に関わっていると容疑をかけられたり、
テリーに金を盗まれたというギャングに脅されたり、
テリーの隣人だった作家が失踪したといってその妻から捜査依頼を受けたり、
事件は複雑に絡み合っていて、
なかなかテリー失踪の真相に辿り着かない、
といった感じで進展します。

その謎解きと同じぐらい興味深いのが、
全編に漂う倦怠感というか、
マーロウの持つゆらゆらとしたムードというか、
警察やギャングも手に負えないつかみ所のなさというか、
そういったタッチのフィーリングです。
トム・ウェイツとか、次元大介を思い出します。

やたらとマッチをこすってタバコをすぱすぱと吸ったり、
ヨレヨレでもきちんとスーツを着てネクタイを締めていたり、
それが雰囲気作りのためだけに終わらず、
ラストシーンではっきりするマーロウの芯の強さにも通じていて、
しなやかでスタイリッシュな主人公ではないけれど、
確かにハードボイルドなのです。

20歳ぐらいでこれを観ていたら、
タバコを吸うようになっていたかもしれません。
なんつって。

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2008年10月13日 (月)

『ブロークン・フラワーズ』

ジム・ジャームッシュ監督、ビル・マーレイ主演の

 『ブロークン・フラワーズ』(2005)

を観ました。

 コンピュータ・ビジネスで一山当て、
 現役を引退した今は田舎に建てた大きな家に住んでいるんだけど、
 目的を失ってぼうっと暮らしていて、
 愛想を尽かした彼女に出て行かれたドン(ビル・マーレイ)のもとに
 「20年前に出来たあなたの子が父親探しの旅に出た」という
 差出人不明の一通の手紙が届く。
 誰が出したのか、その候補者と思われる四人の女性を訪ねる旅に出る

といったストーリーです。
ドンが自発的に旅に出るのではなく、
隣人のウィンストンに勧められ、
半ば強引に旅程まで決められて出かけるのですが
少し投げやりなドンと、何にでも好奇心旺盛なウィンストンとのやりとりが
おかしくっておかしくって、

そして実際に過去に付き合った四人の女性宅を訪れ、
夕食を共にしたり旦那さんに紹介されたりするのですが、
そこで展開される悲喜こもごもも哀愁に満ちていながら
やっぱり何だかおかしくって、

大笑いするような映画ではないけれど、
色んなことやものがいとおしくなってくる映画でした。

ジム・ジャームッシュ監督は、
日々の大局というか、
たとえば久しぶりに会った友達に話すような近況とか、
調子に乗ってブログにでも書きたくなるような出来事とか、
生活の中でのそういったこと「以外」の部分も大切にしている人なのかなあ
と思いました。

 うおーっ、これはおもしろいっ!

と言って誰にでも猛烈にオススメできる映画ではないかもしれないけれど、
観た人のどこかにじんわりと何かを残す映画だと思います。

音楽も効果的に使われていましたが、
サントラを買おうとは思いませんでした。
その理由は、見てのお楽しみということで。

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2008年10月11日 (土)

『シンシナティ・キッド』

スティーブ・マックイーン主演の『シンシナティ・キッド』(1965)を観ました。

 「年は若いが、無類の勘と度胸で
 ミシシッピ川流域一帯にシンシナティ・キッドの
 異名をはせるポーカーの勝負師(マックイーン)が、
 名人位獲得の野心に燃え、
 ベテランのタイトル保持者に挑戦、
 頭脳と運と気力の限りを尽くす」

という内容で、
クライマックスのポーカーのシーンは
まさにハラハラドキドキでした。
試合は何十時間にも及ぶので途中で休憩が入るのですが、

 「じゃあ、少し休憩にしよう」

というセリフが入ると、
ぼくも休憩に入りそうになったぐらいです。

怖いもの知らずのマックイーンが無謀にも
「ザ・マン」と呼ばれるほどのカリスマに挑むのですが、
周囲の期待や予想や思惑に反して、
マックイーン本人は全く負けるつもりがなく、
真っ向から立ち向かっていく姿がカッコいいです。

テーマがポーカーだけに、
マックイーンはその表情や目で勝負しています。

マックイーンのもとに現れてはコイン投げの勝負を挑んでくる少年や、
控えめな恋人、様々な境遇に身を置くポーカー仲間たちとの関係も、
物語の幅を広げていて、興味深いです。

監督は『夜の大捜査線』のノーマン・ジュイソンです。
今回もレイ・チャールズの音楽がカッコよかったです。

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2008年10月 4日 (土)

『木枯し紋次郎 DVD-BOX II』

どこにそんな余裕があったのか、
この間の締め切り後のハイテンションのままAmazonで注文した

 『木枯し紋次郎 DVD-BOX II』

が届きました。
届いちゃいました。

DVD-BOXというぐらいなので、
全部で10巻、計20話が収録されています。

BOX Iがシリーズの第1話~第18話、
そしてこのBOX IIには第19話~第38話まで、
これで「市川崑劇場」と銘打たれたシリーズは完結です。
BOX IIIとIVもあるのですが、
これは制作された時期が違って、I、IIとは別シリーズなのです。

まだ観ていないのですが、
ブックレットを読んでいるだけで楽しいです。
原作も久しぶりに読み返したくなりました。
10日の締め切り後も忙しくなりそうです。

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2008年9月21日 (日)

『ストレイト・ストーリー』

録画してあった『ストレイト・ストーリー』(1999)を観ました。

10年前に仲違いして以来会っていなかった兄が病に倒れたと聞き、
トラクターに乗って500キロ離れた町に住む兄を訪ねる老人の物語です。

トラクターなのでとにかく遅く、旅は6週間に及びます。
その間に旧式のトラクターが悲鳴を上げたり、
出会った人たちに助けられたり、
家出少女と焚き火を囲みながら話をしたり、
兄を想う老人の顔に豊かな表情が現れたり、
一緒に暮らす娘と通わせあう信頼や愛情も素朴で素敵だし、
のんびりとしたロードムービーなのですが全く退屈せず、
老人の時にコミカルで、時にシリアスな表情や仕草が
心にきゅんきゅんと響きました。

公開当時は映画館で観たはずで、
その時は泣くのを我慢しながら観た記憶があります。
だいたいのストーリーは覚えていたし、
ラストシーンは大好きでよく覚えていたのですが、
今日は我慢しませんでした。

いい話です。
心が洗われました。

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2008年8月24日 (日)

『夜の大捜査線』

『夜の大捜査線』(1967)を観ました。

シドニー・ポワチエ、ロッド・スタイガー主演で、
アカデミー賞を5部門で受賞、
映画史上に輝くクライム・サスペンスの最高峰とされている映画です。

60年代後半といえば、
マルコムX、キング牧師、ブラック・パンサー党、暴動……、
といったキーワードが浮かび上がってきます。
そんな時代の映画です。

この映画でも、
人種差別の激しいミシシッピの田舎町で殺人事件が発生し、
その町に偶然居合わせたフィラデルフィアの敏腕刑事であるポワチエが
捜査に協力することになるのですが、
地元警察の白人署長や地域の住民はほとんどみんな保守的で、
黒人に対して徹底的に偏見を持っているのです。

最初から最後まで、息苦しくなるほどの緊張感に溢れ、
特に前半は見ていられないぐらいの閉塞感が漂っていました。
だけどラストで見せたロッド・スタイガーの吹っ切れたような笑顔が
とても印象的で、そこに一筋の光のようなものが見えた気もしました。

レイ・チャールズが歌う主題歌"In the Heat of the Night"が
文句なしにカッコよかったのですが、
カッコいいだけの映画などではありませんでした。

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2008年8月12日 (火)

『荒野の七人』

『荒野の七人』(1960)を観ました。

監督は『老人と海』(1958)や『大脱走』(1963)のジョン・スタージェス、
そして七人にはユル・ブリンナー、スティーブ・マックイーン、
チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーンなどの豪華キャストです
(ユル・ブリンナーはどうしても伊武雅刀に見えてしまいました)。

七人の強烈な個性がそれぞれに魅力的で、
セリフや表情の一つ一つが味わい深く、
128分と決して短くはない本編があっという間でした。

命を捨てられる自分たちはカッコよくないと知る男の潔さ、
重い責任感を背負い続ける卑怯者たちの覚悟。
哀しい男たちの美しい物語、といった感じで、
ストーリーも映像も印象に残る映画でした。

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2008年7月27日 (日)

『指』

『ヒッチコック劇場 第四集の2』に収録されている『指』を観ました。

原作がロアルド・ダールということで、
怖い怖いお話でした。

主演はスティーブ・マックイーンです!
賭け事が好きな青年を演じていて、
バーで知り合った初老の男から

 「ライターを10回続けて点火できたら高級車を提供する、
 失敗したら左手の小指をもらう」

という奇妙な賭けを持ちかけられるのです。

そのシチュエーションも十分に怖いのですが、
そこからの展開がさらに怖く、
ロアルド・ダールの世界が存分に楽しめます。

出会ったバーと、賭けの場となるホテルの一室が舞台となって、
マックイーンと初老の男、そしてバーに居合わせた二人の男女の
合計四人が登場人物の全てなのですが、
十分な奥行きと広がりがあって、思わずうなってしまいました。

原題は"Man from the South"で、
『南から来た男』としてハヤカワ文庫の「あなたに似た人」に収録されています。

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2008年7月25日 (金)

『華麗なる週末』

スティーブ・マックイーン主演の『華麗なる週末』(1969)を観ました。

20世紀初頭のアメリカ南部が舞台で、
ミシシッピに住む使用人のマックイーン(30歳?)が、
主の留守にその家の孫のルーシャス(11歳)を連れて、
メンフィスまでドライブする話です
(黒人の友達もついてきてしまうので三人での旅となります)。

ハラハラドキドキと手に汗握るシーンの数々を
ラフでタフなマックイーンがクールにハードに乗り越えていく展開ではなく、
『北の国から』での草太兄ちゃんのように
気は優しいんだけどぶきっちょでおっちょこちょいなマックイーンが、
弟のようなルーシャスの面倒を見ながら、
旅先で起こる面倒事をなんとかかんとか解決していくといった感じです。

マックイーンは無責任とも思えるほどのぶっきらぼうさで
幼いルーシャスを未知の世界に放り込み、
ルーシャスは子供なりの正義感や倫理観でさらに成長していきます。

原作がW.フォークナーということで、
南部の人種差別問題がふんだんに盛り込まれていました。
原作のタイトルは"The Reivers: A Reminiscence"で、
「盗人 - ある記憶、思い出、追憶」というような意味です。
映画の原題も"The Reivers"です。
「盗人」というのは、主の車を無断で拝借して旅に出るからだと思います。

邦題はマックイーンの前作(『華麗なる賭け』)との兼ね合いでもあったのか、
映画のイメージとしては原題の方が近いと思います。

最近はスティーブ・マックイーンにメロメロです。

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2008年7月13日 (日)

『ロープ』

ヒッチコックの映画『ロープ』(1948)を観ました。

ニューヨークの高層マンションの一室を舞台に、
大学を卒業したばかりでエリートぶった若者二人が、
優秀な者には善悪や法律を超越して殺人の特権が与えられ、
下等な被害者の人生など重要ではないはずだ、
という狂った理論に基づいて友人のデイビッドをロープで絞殺、
死体を隠した衣装箱にクロスをかけてテーブル代わりにして、
デイビッドと縁のある者たちを招待してパーティを開くという
趣味の悪い話です。

そういう思想や設定には気分が悪くなりましたが、
招待客たちがだんだんデイビッドの不在を疑問に思い始めるところや、
パーティーが一段落して衣装箱の上の食器などが片付けられ、
衣装箱が徐々にその姿を現してくるところなど、
サスペンスフルな盛り上げ方はまさにヒッチコックの腕の見せ所!
といった感じでした。

主演は『素晴らしき哉、人生!』や『裏窓』、『知りすぎていた男』なども有名な
「アメリカの良心」ことジェームズ・スチュワートです。

それにしても最近の500円DVDにはおもしろいものがたくさんあります。

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2008年5月12日 (月)

映画を観たい。

最近あんまり映画を観ていないなあ、
とふと思いました。

翻訳をするうえで参考にするために観る予定のビデオは
今月も何本かあるのですが、そうではなく、
理屈抜きに楽しい映画を観たい気分です。

でもぼくはいつもそうなのですが、
じゃあそれは具体的にどんな映画なのか、
となると、なかなか出てこないのです。

だからレンタルビデオ屋さんに行っても、
散々迷った挙句に何も借りずに帰ってきたりします。
むしろその方が多いぐらいです。

観たい映画は最近ものでも古いものでも、
いくらでもあるような気はするのですが、
うまく思いつかないのです。

本やCDならそんなことはありません。
次に読みたい本、次に聴きたい音楽、
というのは常に具体的にあります。

ビデオ屋さんやレコードショップの映画DVDコーナーは
たいてい作品のタイトル順に並んでいて、
アーティストや作家の名前順に並んでいる
音楽CDコーナーや本屋さんの本棚に比べて
見づらいような気がします。
それが原因かもしれません。

これをどうにか克服したいと思います。
これも締め切り後の課題です
(今はそれどころではありません)。

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2008年3月17日 (月)

『皇帝ペンギン プレミアム・エディション』

『皇帝ペンギン プレミアム・エディション』をDVDで観ました。

南極の厳しい自然に立ち向かう皇帝ペンギンたちの、
愛くるしい姿、親子の愛、自然の摂理がばっちり収められていました。

冬を迎えると海から氷原に這い出でて、
7000羽ほどの群れで100キロ近く離れた営巣地まで歩いて行って卵を産み、
時速250キロのブリザードが吹き荒れる中、
マイナス40℃の厳しい寒さと4ヶ月にわたる絶食に身を寄せ合って耐えて、
雛を孵すのです。

群れの中にリーダーはいないとされながらも、
ほぼ一列に並んでヨチヨチと歩いている様子や、
でこぼこのないところでは腹ばいになってすい~っと滑って楽をしている姿、
親の短い足の間からひょっこりと顔を出す孵ったばかりの雛などは、
とても可愛かったです。

だけどやはり天敵がいて、
海にもぐればアシカが大きな口を開けて襲ってくるし、
氷の上でもカモメが雛を狙っているので、
気候だけでない過酷な環境に気が抜けません。

温暖化で氷の面積や厚さも変動していたり、
オゾン層の破壊によって南極海の生態にも変化があるなど、
その食物連鎖の一員である皇帝ペンギンの将来も、
やはり不安視されているようです。

このプレミアム・エディションには、
メイキングやスタッフのインタビューなど、
本編の86分を遥かに超える182分に及ぶ特典ディスク、
皇帝ペンギンや南極に関する事実を詳細にまとめたパンフレットが付属していて、
非常に見応え、読み応えがあります。

ナレーションが時々ペンギンによる一人称ふうになるのは、
どこまで効果的なのかちょっと疑問ですが、
これは愛嬌といったところだと思います。

これで今なら1500円なのでお買い得です。

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2008年2月19日 (火)

『ペレを買った男』

火曜日はテアトル梅田で1,000円で映画が観られるということで、
かねてから観たいと思っていた

 『ペレを買った男』 (原題: Once In A Lifetime)

を観てきました。

1970年代、ワーナー・コミュニケーションズのスティーブ・ロスが、
ペレやベッケンバウアー、カルロス・アウベルトといった
世界的なスーパースターを各国からかき集め、
自らのクラブチーム、ニューヨーク・コスモスを強豪と呼ばれるまでに成長させ、
北米にサッカーを根づかせようと、
金銭的、興行的に挑戦する物語です。

その果てしない夢と野望の顛末、
アメリカではじけたサッカー・バブルともいうべき華やかな時代の成り行きを、
ジェームス・ブラウンやシュープリームス、クール&ザ・ギャング、
スティーリー・ダン、プライマル・スクリーム、ヴェルベット・リボルバー……、
といった軽快な音楽に乗せ、レアな映像や静止画を大胆に挿入し、
ドキュメンタリー映画というよりは、
ミュージック・ビデオのようなスタイリッシュな映像に仕上がっていました。

ぼくとしては、エンターテインメントとしてより、
ドキュメンタリー的な要素を期待していたので、
もう少し細かい描写や説明が欲しかったなあという感じでした。

でも、サッカーがビッグビジネスであるという事実、
むしろこの時期のコスモスをめぐる状況は、
ビジネスでしかなかったという事実は、
哀しいぐらい十分に伝わってきました。

ペレやキナーリャのプレーシーンは、
観ていて楽しかったです。

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2008年1月27日 (日)

『タワーリング・インフェルノ』

『タワーリング・インフェルノ』(1974)を観ました。

スティーヴ・マックィーンとポール・ニューマンの主演で、
落成式の最中に大火災に見舞われた超高層ビルを舞台にした映画です。

スティーヴ・マックィーンが消防隊長役で、
ポール・ニューマンはビルの設計士役です。

ものすごい緊迫感でした。
火災が大きくなるまでは早くどうにかしてくれとTVの前で祈っていたし、
観ているだけで煙が目にしみてきました。

火の手が大きくなる一方のビルの中で、
エレベーターが止まり、階段が崩落し、防火扉が開かなくなり、
割れたガラスが飛び散り、逃げ惑い、逃げ道がなくなり、
そのたびに消防士たちが突破口を探して活躍し、
160分ぐらいある映画なのですが、
全然長く感じませんでした。

責任ある立場にある人間の安全意識の欠如や見栄、
マックィーンのリーダーシップや
ニューマンの責任感など、
様々な人間模様が交錯していました。

怖かったです。

あんな極限に置かれた時にどう振舞えるのかとか、
自分の仕事に対してどれだけ勇気を持って謙虚な姿勢を貫けるかとか、
技術や意識の面で全く古さを感じさせず、
非常に見ごたえがありました。
それに、防災意識は日頃から強く持っておかなければと痛感しました。

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2008年1月12日 (土)

『Mrs. Bixby and the Colonel's Coat』

ヒッチコック劇場の

 『Mrs. Bixby and the Colonel's Coat』(1960)

を観ました。

 ビクスビー夫人は夫に嘘をついて浮気相手のもとを訪れるのですが、
 当の浮気相手からはつれなくされ、
 手切れ金代わりにミンクのコートをプレゼントされてしまう。
 そんな高価なコートを持って帰るのはさすがにまずいので……、

というような話です。

この後の展開が非常にブラックにコミカルで、
すごく面白かったです。
観ている側の予想など軽く裏切られ、
ダメ押しのような展開が最後まで続きます。
原作はロアルド・ダールです。

原題は直訳すると『ビクスビー夫人と大佐のコート』ということですが、
邦題が『女性専科第1課 中年夫婦のために』となっているのは、
どうしてかなあと悩むところです。

1枚のDVDに3話収録されていて、
それぞれ25分ぐらいと短いものばかりなので、
休憩時や寝る前にちょっと、といった感じで手軽に楽しめるので、
楽しいです。

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2008年1月 2日 (水)

『踊る人形』

ケーブルTVで録画していた

 シャーロック・ホームズの冒険 『踊る人形』

を観ました。
踊る人形の形をした謎のメッセージを解読し、
事件を解決に導くのですが、
相変わらずの観察力に唸らされました。

暗号の解読は物語の展開に重要な要素となってくるので、
解読するまでにもっと時間がかかってもよかったのかな、
と思ったりもしましたが、
それでは一時間番組として成り立たなくなるし、
ホームズの世界を一時間で堪能できるというのが
この番組の素晴らしいところなので、
そこはバランスの問題ということなのだと思います。

あと、観終えて初めて思ったことなのですが、
これはもしかしたら、「おどるにんぎょう」ではなくて
「おどるひとがた」と読むのかもしれません。

いずれにしても、この番組は原作に忠実だというのがもっぱらの評判ですが、
イメージを細かいところまで具体的にするという点で、
翻訳家としては大いに勉強になります。

原作者の視点を注意深く「観察」して、
そのままの角度、深度、色調で再現できるよう、
今年も翻訳力をもりもりとつけていきたいと思います。

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2007年12月22日 (土)

『チャプター27』

シネリーブル神戸で『チャプター27』を観てきました。
ジョン・レノン殺害犯のマーク・デイヴィッド・チャップマンに関する映画です。

ジョンの音楽とJ.D.サリンジャーの『ライ麦畑でつかまえて』に
強く影響を受けていたチャップマンは、
犯行の3日前にNYにやってきて、
リリースされたばかりの『ダブル・ファンタジー』を買って、
サインをもらおうとジョンの住むダコタハウスの外で待ち続け、
待ちぼうけ、その間にジョンに対する思いが複雑に変遷していくのです。

『ライ麦~』がどのように影響を与えていたのかということは
結局よく分からなかったのですが、
現実と幻想が一緒になってしまっていて、
独りよがりの歪んだ正義感に燃え、
通らない理屈に苛立ち、
その矛先が、崇拝していたはずのジョンに向かった、
という印象を受けました。

愛と表裏一体の狂気を見た気がしました。
だけど、この事件はやはり解明されることのないもののような気もしました。

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2007年12月 9日 (日)

『フレンチ・コネクション』

ジーン・ハックマン主演の『フレンチ・コネクション』(1971)を観ました。

マルセイユとニューヨークを結ぶ麻薬密輸ルート(=フレンチ・コネクション)を巡る
NY市警の二人の刑事と国際麻薬シンジケートの攻防が
ドキュメンタリー・タッチの演出でギラギラと描かれています。

ジーン・ハックマンとロイ・シャイダー(『ジョーズ』の人)が演じた主役の二人には
モデルとなった実在の刑事がいて、
ストーリーもこの二人が実際に関わった事件がもとになっているということです。

というわけで、リアリティの追求という点では徹底されていて、
主役の二人も完全無欠のヒーローなどではなく、極めて人間的な魅力に満ち、
ストーリーも意外な展開があるなど、
そんなドラマも映画としての緊迫感につながっているように思いました。
特にジーン・ハックマン演じるドイル刑事の執念は凄まじかったです。
鬼気迫るものがありました。

ドキュメンタリー・タッチということで、
ラストでは事件のその後がきちんと説明されていたのですが、
やはり映画の続編としての『フレンチ・コネクション2』が気になります。

1971年度アカデミー賞5部門(作品賞、監督賞、主演男優賞、脚色賞、編集賞)
を受賞した傑作映画です。

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2007年10月 6日 (土)

『ロッキー』

『ロッキー』を観ました。

「ザ・ファイナル」ではなく、「I」です。
「I」だけはDVDを持っているのです。

「II」以降は意見の分かれるところかと思いますが、
「I」はやっぱり面白いです(ぼくは「II」も好きです)。
最後のボクシングのシーンは漫画的なところがあるのかもしれませんが、
それで冷めてしまわないだけのドラマが丁寧に描かれていると思います。

どうしようもないごろつきだということは自分でもイヤというほど分かっていて、
だけど巡ってきたチャンスにかける思い、
ただかけるだけでなく、色んな思いを込めて挑む覚悟、
それらを胸に秘めて励むトレーニングの日々、
それを煽るビル・コンティのテーマ音楽、
盛り上がらないはずがありません。

あの音楽はホノルル・マラソンを走っていた時も、
沿道でよく演奏されていました。
30kmとか35kmを過ぎるともう本当に体力が底をついてくるんだけど、
ちょうどその辺りで地元のミュージシャンたちが待ち構えていて、
聴こえてくるんです、あのテーマソングが。

 パーパーパパパー、パパパーパパパー……。

そうなると俄然勇気が湧いてきました。
残りの10kmほどを頑張りぬく勇気が湧いてくるのです。

それはロッキーのテーマであると同時に、
ぼくにとってはホノルルのテーマでもあり、
それはそれは勇気の源なんです。

ぼくの頭の中には今もパーパーパパパー……、と鳴っています。

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2007年9月23日 (日)

『かもめ食堂』

ケーブルTVでやっていた『かもめ食堂』を観ました。

小林聡美がフィンランド(ヘルシンキ)でオープンした食堂に、
片桐はいりやもたいまさこがやってきて、
次第に地元の人たちの間でも評判になって……、
というようなストーリーで、特に大きな出来事もなく、
ただ何となくゆったりと日々が過ぎていきます。

主役の3人が持っている「間」というか、雰囲気というか、
実はあんまり得意ではないのですが、
この映画では片桐はいりが面白かったです。

フィンランドの街になじんだ食堂の雰囲気や、
人々の朴訥とした感じなど、良かったです。

週末の朝に目が覚めて、いい天気だったりした時に、
なんとなくのんびりと観ると、いい感じの映画だったりすると思います。

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2007年9月22日 (土)

『酔いどれ詩人になるまえに』

あの後、無事に前売り券を買って、
今日は間違えずにテアトル梅田に行って観てきました。

 『酔いどれ詩人になるまえに』

の話です。

チャールズ・ブコウスキーの自伝的小説『勝手に生きろ』が原作なのですが、
描かれているのはブコウスキーが大学を中退して
アメリカ各地を放浪しながら作家としての修行を積んでいた時期です。
邦題の意味はそういうところにあるのだと思います。

映画の感想としては、ろくでなし、の一言に尽きます。
ブコウスキーの小説や詩を読んだり、
もっと時代を限定せずにブコウスキーの人生を追ったドキュメンタリー映画の
『オールドパンク』などを観ると、
ろくでなしだけど愛しかったり、情けないのに眼差しには優しさが溢れていたり、
人生に誠実であったり、決して憎めず、むしろその偉大さに恐れ入るぐらいなのですが、
この『酔いどれ詩人~』に限って言えば、ろくでなし、の一言です。

仕事は真面目にしないし、女性には冷ややかだし、
唯一の救いは、酔っ払っていても打ちひしがれていても、
書くことに対してだけは真剣だというところなのですが、
それにしても……、というぐらい、ろくでなしです。

 この、ろくでなしっ!

というぐらいです。

でもブコウスキーの小説が好きで、『オールドパンク』も観たし、
もっとブコウスキーのことを知りたいという人にとっては、
作家としての道を歩み始める前にはこういう時期もあったんだ、
という意味で興味深い映画だと思います。

でもこうして日記を書きながらさっき観た映画を思い出していると、
あれほどまでに何もかもがうまくいかない時期に、
自分の才能によっぽどの自信があったのか、
あそこまで落ち着いて毎日を暮らしていられるというのは、
なんとなくやっぱりすごいなあと思えてきます。

不思議な魅力です。

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2007年9月10日 (月)

『列車に乗った男』

パトリス・ルコント監督の『列車に乗った男』(2002)を観ました。

教授職を引退して寂しく暮らす初老の男性(マネスキエ)と、
列車に乗ってその町に流れ着いたどことなく陰のある中年男性(ミラン)が、
偶然出会い、ぎこちないながらも心を通わせ合います。

饒舌なマネスキエは自由な日々を夢に見ながらも、
その一歩を踏み出す勇気を持てず、
一方で寡黙なミランは落ち着いた生活に心の中では憧れながらも、
そうすることが叶わずに放浪を重ねる、といった対照的な二人です。

そんな二人が出会い、三日間を共に過ごしていく中で、
自らの現実と夢を重ね合わせていくのです。
全編を通してバックで流れているギターの音色が哀愁を帯びていて、
余韻を残します。

最近は映画やビデオを観る際に、極力予備知識ゼロで観るようにしています。
それだけで展開に意外性を持たせることができます。

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2007年9月 1日 (土)

『ハーフ・ア・チャンス』

パトリス・ルコント監督の『ハーフ・ア・チャンス』(1998)を観ました。

フランスの二大俳優、アラン・ドロンとジャン=ポール・ベルモンド、
そしてヴァネッサ・パラディが主演のアクション・コメディです。

父親を知らずに育ち、車泥棒をして暮らしていたアリス(ヴァネッサ)が、
母親の遺言で父親候補が二人いることを知り、二人のもとを訪ね、
どちらが本当の父親かと言いながら楽しくやっていると、
いつの間にかマフィアと警察の抗争に巻き込まれ……、
というストーリーです。

パトリス・ルコントらしさはあんまり感じなかったけれど、
『オーシャンズ』シリーズとか、デ・ニーロの『ミッドナイト・ラン』とか、
そんな感じの楽しい映画でした。
面白かったです。

アラン・ドロンといえば『太陽がいっぱい』、
ジャン=ポール・ベルモンドといえば『勝手にしやがれ』と思っていると、
ちょっと損をします。損をしていました。
二人とも60歳を過ぎてからの作品なのですが、
独特のユーモアや後半のアクションは愉快痛快で見応えがありました。

ヴァネッサ・パラディもそんな二人と堂々と渡り合っていて、
相変わらずコケティッシュだし、オススメです。

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2007年8月29日 (水)

『Shine A Light』

2年にわたって計146の公演を行なった『A Bigger Bang Tour』が
26日のロンドン02アリーナで最終日を迎えたばかりのストーンズですが、
スコセッシ監督によるによるドキュメンタリー映画『Shine A Light』の予告編が
公開されていました。

*今秋に予定されていた本編の全米公開は、来春に延期されています。

いつものことながら、今回も最後のツアーになるのでは、
とまことしやかに囁かれながら、だけど頼もしいのは、

 「身体の調子はすこぶるいい、タバコも煙突みたいに吸っている、
 俺がくたばることを考えるのは150歳を過ぎてからだ」

と言うキースの発言です。

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2007年8月19日 (日)

『JANIS』

今月初めに立てた、

 月末までにストーンズの『The Biggest Bang』を観終える、

という予定が全く進んでいません。
翻訳に没頭しているのであればいいのですが、
その1週間遅れで買ったJanis Joplinのドキュメンタリー映画『Janis』
夢中になっているからです。
翻訳の合い間に観ているのか、『Janis』の合い間に翻訳をしているのか……。

『モンタレー・ポップ』『ウッドストック』『フェスティバル・エクスプレス』など、
これまでも数曲分のライブ映像を見る機会はあったものの、
こうしてまとめて観られるものがなかったので、
DVDになるのを待ち焦がれていた映画(1974)です。

ライブ映像だけでなく、インタビューやレコーディング風景など、
「動くジャニス」、「しゃべるジャニス」が盛りだくさんで、
これまでCDを聞いたりエピソードを読んだりして思い描いていたジャニス像が、
どんどん色鮮やかに、そして色濃くなっていくような気がしています。

ライブでの圧倒的な存在感は、
歌は内面を開放させると言って声を限りにシャウトする情熱の塊りです。
一方でインタビューになると時に照れたような可愛い表情を見せ、
貫禄さの裏側でちょこんと大人しく出番を待っている可憐さが印象的です。

ジャニスは歌うようになって内面を開放できるようになる前、
高校生の頃には絵を描いていたということですが、
絵は「内面的」だったと告白しています。
おそらくあまり思い出したくないはずのその頃のことを思い出しながら、
誠実にインタビューに答えるジャニスの表情を見ていると、
歌と出会ったことの幸せ、充実感、
そしてやっぱりその裏返しである虚しさを感じずにはいられませんでした。

「Me And Bobby McGee」という歌で、

 "Freedom's just another word for nothin left to loose."

と歌う部分があります。
「自由とは何も失うものがないということ」というのです。
そして「それでも自由でなければ意味がない」と続きます。
ジャニスが"Sincerity & good times"を追い求めながら、
一生懸命に生きた人生の哲学が、この部分にちょっと表れているように思います。

いかにファンに愛されていたかということもよく分かる映画です。

遺作となった『Pearl』もそうだし、ジャニスの人生そのものもそうだけど、
エンディングがたまらなく寂しいです。
だけど、素敵な作品なのでオススメします。

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2007年7月28日 (土)

『幸福の黄色いハンカチ』

DVDレコーダーのHDDを整理していて、
そのまま『幸福の黄色いハンカチ』を観てしまいました。

いい話です。

武田鉄也がどうも苦手なので、
そこのところはちょっとう~ん……という感じなのですが、
高倉健と桃井かおりと倍賞千恵子は最強トリオです。

武田鉄也が新車を買って傷心旅行に出かけ、
そこで出会った桃井かおりを下心満々で乗せ、
さらには高倉健とも知り合って、
その道中を描いたものです。

みんな純粋なんだけどその表れ方は様々で、
高倉健は無骨で、桃井かおりは内省的で、倍賞千恵子は献身的で、
武田鉄也は軽薄です。

高倉健の過去が明らかになるにつれて、
そんな四者ががっちりと結ばれていくのですが、
何度観てもクライマックスのシーンではぼろぼろ泣いてしまいます。

高倉健と倍賞千恵子は、デ・ニーロとメリル・ストリープのようです。

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2007年7月27日 (金)

『一里塚に風を断つ』

TVを見ていると、扇参院議長国会にお別れ、というニュースをしていたので、
『木枯し紋次郎』の第8話「一里塚に風を断つ」(1972)を観ました。

この回に扇千景がゲスト出演しているのです。
悪女の役です。

この回の悪役は、かなりのワルです。
扇千景を上回る悪玉がいて、保身のために人を使って人を殺そうとするのです。
そしてそこに、関わりのないはずの紋次郎が関わってしまうのです。

あいかわらず紋次郎の殺陣はスタイリッシュとは程遠く、
生き抜くためだけの野生の勘に頼ったような無骨さです。
そこにクールなBGMが聞こえてくると、もう、カッコいいにも程があります。

背中には愛に満ちた怒りと哀しみが漂い、
瞳には時おり寂しさと優しさを宿し、
楊枝に強い意思を込めます。

物語も最後までどんな結末が待っているのか分からず、
どろどろと複雑な人間関係もリアルで、
舞台はまさに「和」の世界だけど、
なんとなくフランス映画のハードボイルドを感じます。

ぼくのバイブルです。

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2007年7月16日 (月)

『アリスの恋』

M.スコセッシ監督、エレン・バースティン主演の『アリスの恋』(1974)を観ました。

スコセッシ監督といえば、暴力、怠惰、NY、音楽……、といったイメージですが、
この映画では音楽はふんだんに使われているものの、
暴力はほんの脇に影を潜め、
頑張る女性を大々的にフィーチャーしたハートウォーミングなロードムービーです。

歌手になることを夢に見ながら結局は平凡な生活に落ち着き、
だけど夫が不慮の死を遂げたことで彼女の人生は一変、
十一歳の一人息子を連れて故郷のモンタレーを目指して車を走らせます。
モーテルに暮らしながらアルバイトをして生活費を稼ぎ、
男運の悪さなどに見舞われながらも色んな人との出会いの中で、
自分の暮らしや夢を見つめ直す、

といったストーリーです。
女性の自立とか、現実と夢とか、大きなテーマを扱いながら、
全く意味のない息子とのやり取りとか、親子のケンカ、
雑多な食堂での猥雑な会話、男女間の意地の張り合いなど、
一つ一つのエピソードがリアルというか、とても身近で、ユーモアがあって、
決してコメディではないんだけど、とても楽しかったです。

『タクシードライバー』(1976)の前々年に製作されたこの映画にも
ジョディ・フォスターが出ていて、ちょっとカッコよかったです。
すごく印象的でした。

原題は"Alice Doesn't Live Here Anymore"というのですが、
それも映画を観た後ではものすごくしっくりきます。
生きるために捨ててきたものとか、置いてきたもの、諦めたもの、
自分を変える勇気、一歩を踏み出す勇気、
流されずに自分の意思で生きていく勇気、といったことを考えさせられました。
面白かったです。

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2007年7月12日 (木)

『生と死の間』

『ヒッチコック劇場』というシリーズの「生と死の間」という短篇を観ました。

怖い話でした。

冷徹なビジネスマンが交通事故に遭い、
意識はあるんだけど体が全く動かず、
何とか自分はまだ生きているんだと訴えたいんだけど、
発見者にも警察にも救急隊にも、
さらには死体安置所の担当者にも死んだと思われ……、
という話です。

死んだ後はどうなるのかということには興味がありながらもよく分からず、
でも何となく天から見守ってくれていると思っているところがあります。
ということは死んでからも意識はあると思っているということになると思うのですが、
もしもそうなら完全に死んだ後ではなく、
この映画のように生と死の間にいる時のことを考えると、
非常に怖いなあと思います。

30分弱という短さなのですが、一つ一つの設定がしっかりとされていて、
とても濃密なストーリーでした。
たとえばこのビジネスマンが冷徹だということも、
必ずしもそうである必要はストーリーの展開上はないのかもしれませんが、
冷徹なビジネスマンである人の身に起きた事故だということが、
面白さを際立たせているように思いました。

3話収録されていて1500円とお買い得です。
気分転換にちょっと観るほど軽い内容ではないのですが、
とても面白いです。

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2007年7月10日 (火)

『怒りの葡萄』

スタインベック原作、ジョン・フォード監督の『怒りの葡萄』(1940)を観ました。

ヘンリー・フォンダ演じるトム・ジョードが仮釈放を認められ、
4年ぶりにオクラホマの実家に戻ってみると、そこに家族の姿はなく、
荒れ果てた土地とあばら小屋が風に吹き晒されていた。
猛烈な砂嵐のために作物を収穫できなくなり、土地は取り上げられ、
新天地を求めてオンボロのトラックになけなしの財産を積み込んで、
ミルク&ハニーの地、カリフォルニアへと向かう途中だったのだ。
しかし辿り着いた「約束の地」でも日雇いの辛い重労働にありつくのがやっとで、
富める者たちの横暴の前に労働者たちにはなす術もなかった――。

というようなストーリーです。
1930年代のアメリカ中西部を襲った砂塵嵐と、農業の機械化による失業、
そこからの脱出を試みる労働者の苦難、といった問題が、
トムとその母親の視点を中心に描かれています。

夢は遠くカリフォルニアにあると信じ、
だけどもっと大切な心は大きな母の胸にありました。
そして希望は子供たちの笑顔にあったのかもしれません。

公開時には大きな社会問題にもなった映画ということですが、
身近に感じることができたのは家族の物語でもあるからだと思います。
荒廃した社会で懸命に生きようとする家族の強い絆がとても印象的でした。

他にもヘンリー・フォンダの主演作で言えば、
『間違えられた男』(1956)、『十二人の怒れる男』(1957)も面白いです。

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2007年6月 8日 (金)

『ルパンvs複製人間』

「ルパン三世」の劇場版第一作目、『ルパンvs複製人間』を観ました。

1978年公開の作品で、
TVシリーズでいうと第二シリーズが始まって二年目に突入した時期です。

TVシリーズはハードボイルドな第一シリーズが一番好きで、
第二シリーズはエピソードによって
大好きなものと不愉快なものとのギャップが激しく、
第三シリーズはこの間レンタルしてきてちょっと見てみたのですが、
あれはもうぼくの知っているルパンではありませんでした。

そんな中、この『ルパンvs複製人間』は、
第一シリーズのルパンに近いカッコよさがあり、
登場人物の関係にもブレがなく、
改めてこの時期のルパンが本来のルパンだと確信するに至りました。

第二シリーズでも後半になってくると、
話としては面白いんだけどルパンである必要がない、
というようなエピソードもあって、
ルパンが利用されているだけのように思えてくることもありました。
そういう点で、『カリオストロの城』もルパンの映画というよりは、
宮崎駿の作品といった方が正しいと思います。

TVシリーズでは視聴率の関係もあって、
なかなか制作スタッフの思うように作れなかったという事情があったようですが、
視聴率には直接結びつかないコアなファンからの期待値も高く、
クオリティの高い作品を作り続ける難しさもあっただろうなあと思います。

それにしても「ルパン三世」は個性的なキャラクターだけでなく、
車や拳銃など小道具の設定もきっちりしていて、
テーマも深いんだけど小難しくなく、しみじみと考えさせられることもあったりして、
何度でも見返すことができます。
この面白さは奇跡に近いと思います。

ルパンを語るつもりはないけれど、深く知っていたいと思います。

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2007年5月30日 (水)

『65Revisited』

『ドント・ルック・バック』のアウトテイク映画、『ツアー65再訪』を観ました。

『ドント・ルック・バック』とは一味も二味も違うディランを見ることができました。
この二本の映画が揃って初めて当時のディランが
バランスよく伝えられることになるんじゃないかなと思いました。
追いかけてくるファンの女の子たちにも笑顔で接していたし、
『ドント・ルック・バック』で見せていたような頑固なイメージは影を潜め、
虚像でないディランの優しい表情やしぐさが印象的でした。

演奏もリズムもシンプルなのに独特で、
歌詞の世界が深いこともあってついつい引き込まれてしまいます。
映画のオープニングは部屋でピアノを弾くディランの姿なのですが、
この音色、指の動きにも一気に引き込まれてしまいました。

ディランの声は時期によって大きく異なりますが、
声も含めてトータルなサウンド面での可能性を追求していたということなのかな
と、この映画を観ながらちょっと思いました。
天才は安住を知らないということかもしれません。

そして一貫しているのは、
いつもハッとさせられるような真実を歌っているということです。
軽く共感などできるような真実ではなく、
気づかなかった嘘や、見えていなかった深淵をぐいと捕らえて
さらりと、そして生々しく歌い上げる、といった感じです。

一方で音楽史上初めてのプロモーション・ビデオとも言われている
「サブタレニアン・ホームシック・ブルース」の別テイクでもたついている様子なども、
近寄りがたいイメージからはかけ離れていて、いい感じでした。

そして何よりも、どんな理屈も抜きにして、
ボブ・ディランはずば抜けてカッコいい存在だと改めて思いました。

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2007年5月28日 (月)

『イージー★ライダー』

まだまだ続くザ・バンド・ブームの中、
『イージー★ライダー』を観ました。
1969年のピーター・フォンダとデニス・ホッパーが作った映画です。

アメリカを探して旅に出た二人がアメリカの不在を見つける映画、
自由な精神が灰色に澱んだ不穏な時代の空気に押しつぶされていく映画です。
ウッドストックとか、ヒッピーとか、一時代を築いた文化が、
見事なまでに強制的な終焉を迎えさせられていました。
あまりに理不尽な閉塞感が衝撃的で、見終えて心臓がドキドキしていました。

The Bandの"The Weight"は、
この映画の代名詞的な曲でもあるステッペンウルフの"Born to be Wild"などとともに、
キャプテン・アメリカとビリーがバイクで疾走するシーンのBGMとして流れていました。
他にもジミヘンの"If 6 was 9"、
ロジャー・マッギンによる"イッツ・オールライト・マ"、"イージー・ライダーのバラッド"
など、音楽がとても印象的でした。

キャプテン・アメリカの本名は本編では出てこなかったと思いますが、
エンドロールを見ていると、「ワイアット」と出ていました。
悲劇的な結末を迎える二人は、かつてのアメリカのヒーロー、
ワイアット(・アープ)とビリー(・ザ・キッド)ということだと思います。
過去のヒーローを無意味に葬る時代の要請には空恐ろしさを感じます。

一国が手の平を返し終えた時代を描いた映画、と言えるかもしれません。

ちなみに斉藤和義もこの映画が好きなようで、
『青春ブルース』に収録されている「アメリカ」という曲は、
この映画がモチーフになっています。

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2007年5月25日 (金)

『ドント・ルック・バック』

ボブ・ディランが1965年の春に行なった英国ツアーを追ったドキュメンタリー映画、
『ドント・ルック・バック』を観ました。

RollingStone誌が選ぶロック映画オールタイムベスト10に入る映画にも関わらず、
これまで日本版DVDが出ていなかったのですが、
映画公開40周年ということで、
昨日のボブ・ディラン66回目の誕生日にあわせて
デラックス・エディションが発売になったものです。

デラックス・エディションには本編の他にもう一枚、
『ツアー65Revisited』というタイトルで新たに制作されたディスクがついていて、
こちらは本編には収録されなかったライブシーンなどが
ふんだんに盛り込まれているようです。

今日は本編しか観ていないのですが、
ライブシーンは少なく、主にインタビューや楽屋でのシーンで構成されていました。
2枚目の『ツアー65Revisited』でその辺は補完されることになるのだと思います。
楽しみです。

本編の方ですが、ドキュメンタリー作品に見え隠れしがちな安っぽい思惑など、
軽く超越していました。
撮りっぱなし、撮られっぱなし、という感じがするぐらい、
作り手にわざとらしい誘導の姿勢が見られず、
この映画をどう受け止めるかは観た者に100%委ねられているようで、
ディランもカメラの存在など無視したような態度で、
分かったふうを決め込むインタビュアーやファンに対しては
観ているこっちがヒヤヒヤしてくるぐらい冷たく、
これならボブ・ディランは偏屈だというイメージが定着してもしょうがないかな、
と思えるほどでした。
でもそれは、歌うことに対するプロフェッショナルなスタンスだと思えました。

ディランはこの後、『ノー・ディレクション・ホーム』に描かれていたように、
本格的にロックへと移行していきます。
ディランが文句なしにカッコよかった時代です。

監督は『モンタレー・ポップ』のD.A.ペネベイカーです。

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2007年3月25日 (日)

「悩みは知恵の始まり」

週に一度のペースで『名探偵ポワロ』を観ています。

今日は、事件が無事解決したにも関わらず
浮かない顔をしているヘイスティングスに対してポワロが、

 「悩みは知恵の始まりです」

と言うシーンがあったのですが、なるほどと思いました。
一方でぼくは、大いに悩むことは最近はなくなったなあと思います。

多分それは、数々抱えている悩みにも優先順位があって、
さらに一つ一つの悩みも複数に分解できて、
今は取り組み中の悩みについて解決方法が見つかっていて、
その実践中なのでその間はその悩みについて悩む必要がないし、
次以降の悩みについては順番待ち中、ということなんだと思います。

もっと言えば、進むべき道は決まっていて、
それぞれの段階で直面する悩みや課題は次の段階に進むためにも大歓迎で、
そうなるともはや悩みではなくなるからです。

それでも、それが悩みであれ何であれ、
今取り組み中のものにここまで時間をかけているのは、
これこそが現状を打破するものだと思うからです。
それは自分の内面に表れるものなのか、
それとも目に見える形で現れるものなのか、
今はまだ分からないけれど、
いま踏ん張りきることで次に大きな一歩を踏み出せるような気は、
確実にしています。

転換期にいるということなのかもしれません。
悩みというより、上るべき階段の一段一段というイメージです。
とにかく、始まりの終わりが訪れて、いよいよ視界が開ける、
というところに少しでも近づいていればいいのですが……。


ちなみにヘイスティングスが何を悩んでいたのかと言うと、
今回の事件では不器量で極めて事務的だった女性が、
実はゴージャスで企みを秘めた美女だったと分かったのですが、
ということはゴージャスな美女だと思っていた女性が実は……、
ということもあり得ると思って落ち込んでいたのでした。

ポワロとヘイスティングスのコンビはいつもとてもチャーミングで、
人間味にあふれ、そして知的で、楽しいです。

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2007年3月 8日 (木)

『善き人のためのソナタ』

シネ・リーブル梅田で『善き人のためのソナタ』を観てきました。
平日の午前中にもかかわらず、
これがアカデミー賞効果か、というぐらい大盛況でした。

重く哀しい物語でした。

反体制的と見なされた東ドイツの作家が
秘密警察シュタージによる完全監視の対象となるのですが、
そこで厳しい監視を任されたはずのシュタージ局員が、盗聴、盗撮を通じて、
対象者である作家の自由な思想、音楽、愛、といったものに影響を受け……、
というストーリーです。

市民に表情や感情がまるでなく、
希望や夢というよりは大義や覚悟が生きる原動力となっていて、
裏切りや絶望の内にも哀しみが流れているように感じました。

作品全体としては、シュタージの非情さ、歪んだ社会の構造、理不尽な毎日、
よりは、そこに微かに残っていた「人道」にスポットが当てられていました。
そこに救いがあるのですが、実際はどうだったんだろうかと思います。

決して宣伝ではないのですが、この映画とあわせて
『監視国家~東ドイツ秘密警察に引き裂かれた絆』を読んでいただくと、
少し違った角度から考えてみることもできると思います。

笑顔で毎日を生きることの大切さ、それができることの喜びを感じさせられました。

*残念ながらシネ・リーブル梅田には『監視国家~』は置いてもらっていませんでした。

善き人のためのソナタ

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2007年3月 2日 (金)

『善き人のためのソナタ』

先日第79回アカデミー賞の発表がありましたが、
外国語映画賞を受賞したのが、『善き人のためのソナタ』(ドイツ)でした。

邦題はちょっとひねっているみたいですが、
原題は"Das Leben Der Anderen"で、英語のタイトルは「The Lives of Others」、
直訳すれば「他人の生活」ということです。

これはベルリンの壁が崩壊する直前の東ドイツを舞台に、
共産主義の中枢を担っていたシュタージの実態に迫った作品ということで、
まさに『監視国家~東ドイツ秘密警察に引き裂かれた絆』と同じテーマです。
というわけで、上映されている映画館でも(全国全館かどうかは分かりませんが)
『監視国家~』が販売されているようです。
思いがけず有り難い話です。

映画は今月から全国各地で順次公開されているようです。
詳細は下のバナーからどうぞ。

 *『監視国家~』はこちらです。 >>> Works 『監視国家』

善き人のためのソナタ

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2007年2月19日 (月)

HERO.

Biglobeストリームで、

 ジェームス・ディーン「死の真実」

を観ました。
先週から公開されていたのですが、
亡くなった人のことを後から検証するようなフィルムはあんまり好きじゃないので
ずっと見ないでいたのですが、気になって気になってしょうがなかったので、
結局観ました。食い入るように観ました。

事故の状況を、1955年当時にはなかった最先端技術で再現し、
事故を巡る様々な謎を解明しようと試みているのですが、
当時の関係者や友人たちの証言、目撃談、回顧談などが途中挿入され、
バックにはブルースハープの乾いた音色などが効果的に流れ、
カリフォルニアの空の青なども鮮やかなために全体的な雰囲気は明るく、
さらには本人のインタビュー・シーンなどもちょっと盛り込まれていて、
嫌な思いをせずに楽しめました。

共感のできるアーティストはいても憧れの対象となるとなかなかいない中で、
ジェームス・ディーンはぼくにとってとても貴重な存在です。
だけどこのフィルムを観るまでもなく、
中途半端にマネをしようとすると火傷するぜ、という見本のような人です。
カッコいいです。

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2007年2月16日 (金)

『断崖』

ヒッチコック監督の『断崖』を観ました。

どうしようもないけど優しくて憎めない美男子だと思っていた人が、
もしかしたら油断のならない男だったのか――。
幸せな選択をしたはずだったのに、
もしかしたら大変な事件に巻き込まれているのか――。

原題は"Suspicion"、
疑うこと、怪しむこと、気づくこと、というニュアンスです。
疑いだしたらキリがなくなるという怖い話です。

それにしても、DVDにしても映画にしても、
ある程度の内容は事前に分かってしまうけど、
サスペンスなどの場合にはちょっとのヒントで先が読めてしまったり、
無理やり先を読もうとしてしまったり、何かと支障が出ます。
今日は出ました。

サスペンスはこれまであまり観ることがなかったので
そういう注意事項にも気づかなかったのですが、
これからヒッチコックなどを観る時は、
できるだけ事前には知識を仕入れないようにしようと思います。

この間のチャップリンにしてもそうだったのですが、
DVDが1枚500円というのは安くて頼もしいです。
文庫本を買うような感覚で楽しめるので嬉しいです。

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2007年2月 7日 (水)

『ストレンジャー・ザン・パラダイス』

昨日に引き続き、ジム・ジャームッシュ監督の映画を観ました。
84年の作品で、85年のカンヌ映画祭でカメラ・ドール(新人賞)を
受賞した作品だそうです。

決して否定的な意味ではないのですが、
観終えて、どうしようかと思いました。
カメラワークが独特だったり、映画全体に流れる雰囲気だったり、
それっぽいことを感想として書こうと思えばそれなりに思いつくのですが、
観終えて何よりもまず感じたことが、どうしよう……、ということだったのです。

誰かの、特に何ということのない日々が描かれているのです。
思い描いていた休日よりは奇妙なことになってしまったのは確かだし、
登場人物たちもクセがあって会話もどこかおかしいんだけど、
それにしても日常的すぎるというか何というか……。
自分からすすんで見たとはいえ、これを見せられてどうしていいものか……。

だけど、こいういうゆったりとしたマイペースな映画はとても印象的で、
いつまでも記憶に残っていたりして、
日が経つにつれてじわりじわりと存在感を増してきたりすることがあります。
なのでこの映画も、観終えてすぐに、どうしよう……、なんてことは考えず、
どうするでもどうするべきでもなく、
ただ『ストレンジャー・ザン・パラダイス』を観た、
ということでいいんだと思います。
そのうちどうにかなってくると思います。

実際にこうして日記を書きながら思い返しているうちに、
さっそくイメージが広がり始めています。
さすがにジム・ジャームッシュは手ごわいです。

 >>> 『ストレンジャー・ザン・パラダイス』 ジム・ジャームッシュ


*これまでに観たジム・ジャームッシュ監督の作品――
  『ダウン・バイ・ロー』
  『コーヒー&シガレッツ』
  『パーマネント・バケーション』

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2007年2月 6日 (火)

『パーマネント・バケーション』

ジム・ジャームッシュがニューヨーク大学大学院映画学科の卒業作品として
1980年に制作したものだそうです。

ジャズの流れるニューヨークの街角で、
自分の重心を見失ったようにフラフラと彷徨いつづける若者を描いています。
夜も眠れず、周囲の人と上手に交わることもできず、
そういう焦燥感を仕事や趣味で紛らわすことは自分にはできないといって、
「漂流」を続けているのです。

青春期の中のさらにある一定の時期に、
強烈に虚無的な感情にどうしようもなく囚われることがありますが、
そんな時期に過ごした日常の(というにはあまりにも非日常的な)一コマ、
といった感じの映画です。

特に何も起きず、悶々とした内面だけを引きずっているような毎日で、
自分のそういう悩みだけが世界の一大事だと信じている時期です。
大人になってそんな感情が些細に思えてくるのは、
ただ何か他のことに追われ、忙しさに紛らせているだけで、
若い頃のそういう認識は、もしかしたら正しいのかもしれません。
本当に自分にとって大切なこととか、
しがらみをできるかぎり取っ払った時に感じることとか、
そういったものを諦めないでいられる時期は、短いと思います。

大切に過ごしたい時期を、焦りなど感じずにじっくりと過ごしたい、
と今さら思わせてくれました。

 >>> 『パーマネント・バケーション』 ジム・ジャームッシュ

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2007年1月29日 (月)

『移民』、『冒険』。

チャップリンの無声映画、『移民』と『冒険』を観ました。

どちらも25分ぐらいの短編なのですが、
ほとんど表情や仕草だけで状況や設定が十分に説明されます。
この2作品が作られた1917年頃が、
チャップリンがコメディアンとして決定的な地位を築いた時期とされているようです。
ぶかぶかのズボンに山高帽、ちょびヒゲを生やして、
がに股でステッキを振り回しながら歩く姿はこの頃からすでに確立されていて、
このコミカルな風貌で時おり紳士的な物腰を見せるというギャップが、
面白さを引き立てているんだと思います。

面白いのですが、ドタバタ喜劇というところもあって、
ちょっとドリフのコントを思い出したりしました。
ドリフの方が少なからずチャップリンの影響を受けていたのだと思います。

こういう時期があって、さらにただ笑える面白さだけでなく、
社会に対する怒りや問題提起、涙といった要素を加えながら、
後の中長編につながっていったのだと思います。

映画作家、表現者としての広がりや深みを感じます。
もうちょっとチャップリンの短編を続けて観てみようと思っています。
それにしても若い頃のチャップリンは、とてもハンサムです。

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2007年1月13日 (土)

『オーシャンズ12』

『オーシャンズ12』を借りてきて見ました。
見始めてすぐに、もう一度『オーシャンズ11』を見ておけばよかったと
少し後悔したのですが、しょうがないからそのまま『~12』を見ました。

スタイリッシュで、セリフやなんかも洒落ていて、音楽もカッコよくて、
『ルパン3世』のルパン一味が大所帯になったみたいな感じですよね、このシリーズは。

話は『~11』よりもさらにややこしくて、
見終えて一つ一つを反芻すると、ああ、あれはそういうことだったのか、
と一応は分かるのですが、ちょっと難しかったです。
でもこの映画はおそらく、ストーリーの妙とかそういうことよりも、
カッコいいブラッド・ピット、クールなジョージ・クルーニー、
頑張っているマット・デイモン……、といった感じで、
それぞれの役者さんの「いい味」を堪能するための作品、
なんじゃないかなあと思います(違うかもしれません)。

とはいっても、真面目に筋を追わないとやっぱり楽しめないことに違いはないのですが、
それにしてはあまりにたくさんの人が出てくるので、やっぱりちょっと難しかったです。

『オーシャンズ13』にはアル・パチーノも出るそうで、
きっと見ることになるんだと思います。
関係者たちがみんなで楽しそうに作っている映画なのかもしれません。
そういう雰囲気は、『~11』でも『~12』でも漂っていました。
『~13』も楽しみです。

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2006年11月18日 (土)

『イースター・パレード』

『イースター・パレード』を観ました。
1948年のアメリカのミュージカル映画で、DVDのパッケージによると、

 「豪華キャストで展開される華麗なるダンスの世界!」

ということです。
ぼくは監督も脚本も役者も一人として知っている人はいなかったのですが、
ダンスは本当に華麗でした。圧巻です。
主役たちだけでなく、たとえばレストランのウエイター役の人のパフォーマンスも、
じわじわと、それでいて途中からは大爆笑でした。

ストーリーもだいたいの展開は先が読めたりしましたが、
それでもその時々でのダンスがコミカルだったりシリアスだったり、
非常に表情豊かで飽きさせませんでした。
それに登場人物たちの性格や置かれている環境が丁寧に描かれていて、
物語にもぐいぐいと引き込まれます。

難しいことを考えずに娯楽として単純に楽しめるというのは、
エンターテインメントの基本だなあと思いました。
観終えて、

 あ~、面白かったぁ!

と言えるのは、貴重な瞬間です。
書店のレジの近くなどで、500円で売っています。

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2006年11月 6日 (月)

さよなら大魔王の話。

Maohakuby

ぼくたちの世代にはとても懐かしい『ハクション大魔王』の最終回が、
BIGLOBEストリームで配信されてまいす。
子供向けギャグアニメのラストとしては、
あまりに悲しくてきれいなストーリーです。

小さい頃に涙した思い出を持っている方も、
見ていたはずだけど最終回は記憶にないという方も、
最近になって最終回はビデオで観たという方も、
仕事中の方も休憩中の方も、
どうぞこの機会をお見逃しなく。

たぶん、来週の金曜日ぐらいまでやっていると思います。
もしかしたら今週の金曜日までかもしれません。

>>>コチラからどうぞ。

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2006年10月11日 (水)

『チャンプ』

『チャンプ』(1979 米)を観ました。

何度観ても号泣します。
頭というか目の奥の辺りが痛くなるぐらい。
そんなことになると分かっていながら、時々観たくなります。

なんでや、なんでこんなことになるんや……、
と思いながら、時にチャンプの気持ちになり、
時に息子のT・Jの気持ちになり、
まれに母親のアニーの気持ちにもなってみたりしながら、観ました。

チャンプ役のジョン・ヴォイトは、アンジェリーナ・ジョリーのお父さんだそうです。

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2006年10月10日 (火)

『恐怖の報酬』

『恐怖の報酬』を観ました。
イヴ・モンタン主演、1953年のフランス映画です。

ベネズエラの僻地で仕事にあぶれていた男たちが、
高額の報酬を目当てに危険な仕事にチャレンジします。
遠く離れた油田で起きた大火災を消すために、
トラックで劇薬のニトログリセリンを運ぶのです。
その役割をイヴ・モンタンはじめ、四人の男たちが任されるのですが、
少しでも揺れると爆発するニトロを積んで、悪路を往くのです。

トラックが出発してから衝撃のラストまで、手に汗を握るどころか、
ぼたぼたと滴り落ちるぐらいの緊張感を強いられます。

とても小さい時に観た記憶があったのですが、
ことのほか詳しく覚えていたので自分でもびっくりしました。

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2006年9月13日 (水)

『ストーンズから消えた男』

『ブライアン・ジョーンズ ストーンズから消えた男』を観てきました。

ぼくがよく聴いているストーンズはまさにブライアン以降で、
ブライアン絶頂期の曲はシングル・コレクションやベスト・アルバムで聴く程度なので、
ブライアン・ジョーンズについては、
いわゆる「謎の死」として語られている程度のことしか知らず、
その程度の知識でこの映画を観ても、
ブライアン・ジョーンズの魅力はあまり分からないのかもしれません。

色男としての魅力は十分すぎるほど分かったけれど、
ストーンズが自分から離れて行くのを黙って見ているしかなかった苦悩や、
天才ミュージシャンとして、あるいはモンスター・バンドのリーダーとして、
そして60年代のアイコンとして時代に飲まれていく悲劇的な部分、
それにこれだけ多くのフォロワーたちに

 「だんぜんブライアン・ジョーンズだった」

と言わせる存在感などについては、あまりピンときませんでした。

ブライアンを演じた俳優は本当にそっくりだったと思いますが、
あの目の奥に輝いていた悪魔的な狂気の光を見ていると、
興味は嫌でも湧いてきます。
初期のストーンズをもっとちゃんと聴いてみたくなります
(そしてもちろん、今は聴きながらこれを書いています)。
そういう「掴みどころのない魅力、誰にも捉えられない構え」というのが、
当時のストーンズにおけるブライアンの位置だったのかなあ、
なんて今のところは思っています。

ストーンズはブライアンの死の二日後に、
ハイドパークで25万人を動員してフリーコンサートを行うのだけど、
ミックは演奏を開始する前に、

 思いがけず旅立ってしまったブライアンに捧げたい、

と言って、シェリーの詩の一篇を朗読しています。

 「彼は死んだのでも眠ったのでもない
  人生という夢から醒め
  無益な争いを続ける我々を現実の世界に残した
  我々こそ死する者
  日々、我々は不安と悲しみに閉ざされ
  寒々とした希望に呑み込まれる
  真実が残り、人は変化し、死んでいく
  天の光は永遠に輝き、地の影は消え去る
  ステンドグラスのように永劫の光を染める命
  死はそれを粉々に踏みにじる
  死ぬがいい
  汝が求めるものがそこになるなら
  行くがいい」

そして"I'm Free"を激しく歌っています。

 「何をするにもおれは自由……」

ストーンズを解雇されたブライアンは、
自分が離れてからのストーンズが演っている音楽は
ポップスだと言っていたようです。
ストーンズで追求したいのはあくまでR&Bであって、
「ビートルズになるつもりはない」というセリフも映画には出てきました。

ストーンズの大きな転機がこの頃にあったのは間違いなく、
その決意表明みたいなイベントだったんだと思います。


ブライアン・ジョーンズが『チャーリーとチョコレート工場』の
ウィリー・ウォンカに見えるんじゃないかという心配は杞憂に終わり、
だけど下のジャケット写真を見ていたため、また違う人物が……。

Brian_jones

Brian_jones2

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2006年9月 9日 (土)

パイレーツ・オブ・カリビアン2。

『パイレーツ・オブ・カリビアン/デッドマンズ・チェスト』を観て来ました。

前作も不気味な雰囲気はぷんぷんしていましたが、
今回は怪物度合いがさらにアップしていて、
けっこう「うえぇっ」という感じでした。

話が本題に入るまでにもちょっとしたエピソードがあり、
そっちはかなりコミカルで、おかしかったです。

そして本題に入ると、
前作から引き続き出てくる人もたくさんいて、
ぼくはつい何週間か前に見直したばかりだったのですが、
その辺の相関図がよく分からなくなって、
あんまり理解できていない部分もたくさんありそうです。

そしていよいよ展開が佳境に入るというところで、
次回作に続くというのは『マトリックス』の時と同じです。

でもこの映画は話の筋がどうというよりは、
ジョニー・デップのカッコいいところ、おもしろいところ、といったふうに、
どうしてもジョニー・デップを中心に観てしまいます。
それでいいんだと思うけど。

今回は前作の続き、次回作への布石、という感じで、
次回どういうふうに完結するのかが気になるところです。

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2006年8月27日 (日)

『パイレーツ・オブ・カリビアン』

今日は『パイレーツ・オブ・カリビアン』の一作目をビデオで観ました。

公開時に映画館で観た時にはよく分かっていなかった部分が分かったり、
人物相関図が整理できたり、
現在公開中の二作目を観るための予習として、
有意義な二時間あまりを過ごしました。

ジャック・スパロウ船長の役作りの際にジョニー・デップは
ローリング・ストーンズのキース・リチャーズをイメージしたということですが、
キースを彷彿させる仕草がいくつも見られ、
そういう点でも面白かったです。
パート3にはキース本人も出演するらしいし、楽しみです。

この間は『チャーリーとチョコレート工場』を観たのですが、
その時にジョニーが演じたウィリー・ウォンカは、
元ローリング・ストーンズのブライアン・ジョーンズを意識していたと聞き、
以来、ブライアン・ジョーンズを観るたびに、
ウィリー・ウォンカを思い出すようになってしまっています。
早くこのイメージのつながりを払拭しないと、
『ブライアン・ジョーンズ、ストーンズから消えた男』を観に行けそうにない……。

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2006年7月 8日 (土)

『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』

サム・ペキンパー監督で、73年の作品です。

ぼくたちの世代でビリー・ザ・キッドというと
エミリオ・エステベスの『ヤングガン』が有名ですが、
『ビリー・ザ・キッド/21才の生涯』にはボブ・ディランが出演していて
音楽も担当ということで、学生時代からサントラだけはよく聴いていました
(『天国への扉』が収録されているアルバムです)。

映画の原題は"Pat Garrett & Billy The Kid"というのですが、
内容も対照的な人生を歩んだ二人の物語となっていました。

国境の向こうで平和に暮らすという遥かな夢を
生きる支えとするしかなかったような荒廃したニューメキシコで、
かつては共に無法者として世間から疎まれていた二人だったのですが、
いつしかパット・ギャレットは胸に銀のバッジをつけた保安官となり、
一方でビリー・ザ・キッドは相変わらず無法者であり続け、
パット・ギャレットに追われる身となっていました。

パットはそれを時代が変わったのだと言っていましたが、
それは自分が老いてしまい、
不安定で自由なデラシネのような生活はもうできないという
諦めでもあったように思います。

裏切り者と呼ばれ、葛藤や矛盾を抱えながらも仕事だと割り切って
ビリーを執拗に追うパットは、
一方でビリーの自由を羨み、最後まで胸の内が晴れることはなかったようです。
それでも終始静かな闘志を燃やしていたかに見えたパットでしたが、
ようやくビリーを追い込んで終末を迎えた後には、
感情を初めて爆発させるシーンがあり、
そこには個人としてのパット・ギャレットだけでなく、
時代に翻弄された犠牲者としての哀しみが表れていたように感じました。

パット役のジェームス・コバーンの静かな演技には深く感じるところがありましたが、
ビリー役のクリス・クリストファーソンは何だかニヤけていて、
もうちょっとどうにかならんかったんかなと思いました。
ディランはビリーを慕う若者の役でしたが、
パット・ギャレットの行動、心情にも理解を示すような表情が見られ、
ボブ・ディラン本人が出ているかのような錯覚も、ちょっと感じました。

埃っぽくて、寂しさの伴う暴力と、青空が印象的でした。
ボブ・ディランの音楽が、やはり印象的でした。

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2006年7月 2日 (日)

『ダイヤルMを廻せ!』

ヒッチコック監督の『ダイヤルMを廻せ!』を観ました。

妻の浮気を知って、古い知人に妻を殺害させようとするのですが失敗に終わり、
すると今度はその状況を利用してやはり妻を追い込もうとするものの、
そこに敏腕警部補が現れ……、というストーリーです。

夫と、妻と、夫の古い知人と、妻の愛人と、警部補と、
出てくる主要人物はこの5人で、
舞台となるのは夫婦が暮らすアパートの1室という、
密室劇のような展開なのですが、
奥行きを活かしたカメラワークによるものなのか、
非常にスリリングでサスペンスフルで、目が離せませんでした。

説明を排除した展開や、登場人物の関係の妙など、
設定もとても興味深かったです。
英語も聞き取りやすく、時間も105分と適度な長さなので、
オススメです。

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2006年6月25日 (日)

『キング・オブ・コメディ』

マーチン・スコセッシ監督、ロバート・デ・ニーロ主演の、
『キング・オブ・コメディ』(83)を久しぶりに観ました。

NYに住む一人の青年がコメディアンを目指しているのですが、
妄想がどんどんエスカレートし、
憧れのコメディアンを追っかけ回し、
次第に狂気へと変わっていき、
事件を巻き起こします。

コメディアンを目指しているルパード・パプキン役がデ・ニーロです。
コメディ的要素は多分にあるのですが、コメディではありません。
執拗なまでの笑顔が怖くさえあり、
むしろ『タクシードライバー』のような感じです。

『ミッドナイト・ラン』(88)や『俺たちは天使じゃない』(89)は
コメディタッチの展開の中にホッとする要素がたくさんあって
楽しく観ることができ、時々DVDを引っ張り出してきて観ることがあります。

デ・ニーロは好きで昔からよく観るのですが、
気がつけばデ・ニーロの映画で観た一番最近のものは、
『アナライズ・ユー』(02)でした。
その前となると、『アナライズ・ミー』(99)です。
一番好きなのはやっぱり、『アイリスへの手紙』(89)です。

それにしても、
ぼくは一度読んだ本を繰り返し読むことはあまりないのですが、
映画はけっこう何度でも観ます。
面倒くさがりなのかな???

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2006年6月 1日 (木)

『老人と海』

『老人と海』(1958 米)を観ました。

ストーリーは単純で、それほど劇的な展開があるわけではないのですが、
オレンジや青に染まる空と海、波の音、
オールを漕ぐ音、トビウオの跳ねる音、海鳥たちの鳴き声、
生ではマズイと言いながら釣った魚をムシャムシャと食べる音、
夜が明ける気配、などが表情豊かなBGMとなって、
老人の内面の移り変わりを彩っていました。

このサンチャゴという老人は、
アメリカ映画史に残るヒーローと言っていいんじゃないかと思います。
超人的な強さは持たないけれど、
しゃんとしていて、シンプルで、人間としてものすごく魅力的です。
憧れます。

町の若者たちが軽蔑し、大人たちが哀れんでも、
ピュアな少年はそんな男の魅力を見抜きます。
そして老人は、そんな少年と対等に付き合います。

84日間不漁が続いても "everyday is a new day" を信条とし、
皆の前では物静かだけど職場である舟に乗れば自信に満ち溢れ、
釣った大魚を狙って鮫が大群でやってくると、
大魚との格闘でへとへとだというのに
モリやナイフや棒切れなど何を使ってでも最後まで戦い抜き、
女性と同じく神秘的な海をどこまでも愛する老人は、
ヒーローと呼ばれるに相応しいキャラクターだと思います。

老人のシンプルさは単純という意味ではなく、純粋ということです。
人生を愛する人が、その情熱を映画に注ぎ込んだ作品のような気がします。
こんな映画が好きです。

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2006年5月29日 (月)

『白鯨』

ビデオに録ってあった『白鯨』(1956 米)を観ました。
非常におもしろかったです。
スペクタクル・ロマン、といった感じです。

退屈な生活に飽きた男イシュメイルがニューベッドフォードの港町に流れ着き、
そこで鯨を神と崇める陽気な荒くれ者たちと出会い、
ともに乗り込んだ捕鯨船が、エイハブ船長のピークォド号でした。

エイハブ船長を演じるのがグレゴリー・ペックなのですが、
この船長が過去にモビー・ディックと呼ばれる巨大白鯨に片足をもぎ取られていて、
本来の目的である灯油の原料としての捕鯨も忘れ、
とにかく復讐に執念を燃やしているのです。
義足として鯨の骨を使用するエイハブ船長の狂気ともいうべき熱い情熱に
乗組員たちが魅せられていく様は、怖いぐらいでした。
クライマックスのモビー・ディックとの格闘も壮絶で、非常に見ごたえがありました。

船内ではエイハブ船長に対する反対意見も唱えられるのですが、
両者の対立は、
海の男として鯨を神と崇める純粋な信仰心と、
海の男としての力に対する飽くなき探究心の対立、
神への絶対的服従と、神に対する挑戦、あるいは冒涜、
といった構図だったのかもしれません。

しかし清々しく見えたのは、方法論こそ違っていても、
海や捕鯨に対する大きなロマンを共有する者同士だったからだと思います。

モビー・ディックを追いながら嵐に見舞われ、
夜になって聖エルモの火(St. Elmo's Fire)が船を包むシーンがあり、
ちょっと気になったので観終えてから調べると、
聖エルモの火というのは放電現象の一種であり、
だけどギリシア・ローマ時代には航海の守護神とされていたふたご座とも
関係があるということでした。
そう考えると、聖エルモの火をエイハブ船長が手でもみ消すところなどは、
自然をも神をも恐れない船長の言動としてちょっと興味深いです。

オープニングで捕鯨のイラストが何枚か挿入されていたのですが、
太地の鯨博物館で見た絵を思い出し、ちょっと懐かしくもありました。
でも本編が始まると、一気にストーリーに引き込まれました。
それにしてもこういう面白い映画を観たのは久しぶりです。

原作はH.メルヴィルの"Moby-Dick"、『白鯨』です。
『ベニート・セレーノ』はイヤというほど読んだことがあるのですが、
『白鯨』は読んだことがありませんでした。
でもたしか持っていたな……と思って本棚を探してみると、
上巻だけありました。
読んでいない証拠ですね。

ツェッペリンの「モビーディック」も負けず劣らず素晴らしい作品ですが、
メルヴィルの『白鯨』とは関係があるのかな?
「モビーディック」のドラムソロが始まると
後の三人は楽屋でちょっと休憩していたというのは、
何だか微笑ましいエピソードです。

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2006年5月10日 (水)

『勝手にしやがれ』

ジャン・リュック・ゴダール監督の『勝手にしやがれ』を観ました。
無軌道、無秩序、無目的、無一文な映画でした。

 俺はフランスが好きだ
 海が嫌いなら
 山が嫌いなら
 街が嫌いなら

 ……勝手にしやがれ

というセリフが冒頭にある。
しかもカメラ目線で。

そして車を走らせながら、太陽が美しい、と呟き、
ウィンドウ越しに太陽に向かって発砲する。
もちろん、くわえタバコで。

くしゃくしゃになった短いタバコをくわえる姿は次元大介のようにクールで、
優しくてカッコよくてだらしないところはルパン三世みたいでした。

主人公は警官を殺したり、停めてある車を盗んだり、
人を殴って金を巻き上げたり、歩きタバコをしてポイ捨てをしたり、
基本的には悪い人なんだけど、それはこの映画の設定であって趣旨じゃない。
90分の短い映画だし、だからモラルはちょっと置いといて、
主人公とその恋人の不条理な生活にお邪魔しますという感じで観るといいと思う。

親指で口唇を拭う仕草は主人公の癖だったけれど、
今日からしばらくの間はぼくもマネをしていると思います。

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2006年4月26日 (水)

映画を観る愉しみ。

見たいビデオが溜まってきた。
この金曜日に締め切りを済ませたら、
週末はちょっとのんびりしたいなあ。

締め切り前で慌しいとはいっても、
2時間の映画を見る暇もないほど忙しくしているわけではないし、
むしろ集中力の配分という意味でも、
それぐらいの気分転換はしたいんだけど、
ぼくは2時間の映画を観るにしてもそれなりの覚悟がいるというか、
2時間空いたからといって、そこにぴったりと
2時間の映画鑑賞用気分を持ってくることが上手くできない。

観る前にしても観た後にしても気持ちの整理が必要だし、
映画館に行った時も、
ロビーで上映時間になるのを待っている間や、
映画が終わって階段を下りている間などは、
けっこう放心状態に近かったりする。

見終えた後の気持ちの高ぶりはそのうち落ち着くんだけど、
高ぶった波が落ち着くまでにはざぶざぶと体の中を洗うわけで、
その間はじんわりとそれを感じていたいので、
あんまり積極的に他の事ができないんだと思う。

だから時間差で映画が体に染みわたってくるように感じたりもします。
その染みわたってくる感覚が、映画を観る愉しみでもあったりするのかな。

ちなみにぼくは未だにCDのことをレコードと言ってしまうように、
ビデオと言いながらそれはDVDのことだったりすることも、往々にしてある。

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2006年4月20日 (木)

『I am Sam』

ショーン・ペンとミシェル・ファイファー主演の『I am Sam』を観ました。

知的障害を持ったサムと七歳になるルーシーの、
父娘の物語です。
ぼろぼろぼろぼろ泣きました。

ルーシーというのは、パパが大好きなビートルズのナンバー、
"Lucy In The Sky With Diamonds"に因んで名づけられた名前で、
歌の内容と同じくとても天真爛漫で、思いやりがあって、
だけどサムは育児能力が欠如していると見なされ、
裁判で親権を争うはめになります。

それを助けてくれることになるのがリタという若い女性の弁護士で、
これがミシェル・ファイファーなのですが、
バリバリと仕事をこなす優秀なキャリア・ウーマン的タイプでありながら、
やはり育児には悩みを抱えていて、
それでもそんなことは周囲には見せなかったのですが、
サムとの交流の中で弱い自分を少しずつさらけ出し、
少しずつ変わっていくという、
これも(ちょっとだけ)"Lovely Rita"のストーリーを思わせる設定でした。

セリフにも歌詞が効果的に盛り込まれていて、
たびたび挿入されるビートルズのカバーナンバーが瑞々しく、
映像も、サムとルーシーの関係も、サムの周囲の人たちも、
そしてこの映画自体が、とても爽やかでした。

とても印象に残ったシーンがあって、
リタが全くそんな気もなしにサムを傷つけることを言ってしまい、
「きみまでぼくのことをそんなふうに思っているんだったら裁判なんか勝てっこない」
とサムに言われ、
「わたしの個人的な意見は法廷では関係ないの」
と言うのですが、
その時にサムは、「ぼくには関係あるんだ」と、
とても断固とした口調で言うのです。
きっと、そういうことなんだと思いました。
裁判に勝つとか、裁判でどんな表現が記録されるとか、
そういうことではなく、理解すること、されること、が大切なんだと。
それこそが、"All You Need Is Love"なんだと思いました。

因みに、"Lucy In The Sky With Diamonds"と"Lovely Rita"は、
『Sgt. Pepper's Lonely Hearts Club Band』に入っていて、
このアルバムにはぼくがビートルズの中で一番好きなナンバー、
"With A Little Help From My Friends"も収録されていて、
オススメの一枚です。
"All You Need Is Love"は『Magical Mistery Tour』です。

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2006年4月18日 (火)

『プロデューサーズ』

梅田のナビオTOHOプレックスで『プロデューサーズ』を観てきました。

落ち目のブロードウェイ・プロデューサーが会計士と組んで、
一晩で大コケするような史上最低のミュージカル(『ヒットラーの春』!)を作り、
浮いた資金を持ち逃げしようと企むストーリなのですが、
ナンセンスで、お下劣で、底抜けに陽気なお調子者ばかりが出てきました。

最初はそれなりに真面目なトーンだったのですが、
五分もすればあとは最後までずっとハイテンションで、
クスクス笑わされたり、もう我慢できなくて爆笑してしまったり、
サイコーにクレイジーな映画でした。

観終えて特に何も残らないけれど、
何も小難しいことを考えたりせずに、ただ抱腹絶倒の二時間というのも、
けっこう貴重だと思います。

ちょっと下ネタが多いのは気になりました。
『キル・ビル』のユマ・サーマンも出ています。

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2006年3月29日 (水)

『太陽がいっぱい』

『太陽がいっぱい』を観ました。
1960年のアラン・ドロンの映画です。

最後まで気が抜けませんでした。
不安な気持ちを煽られて、引きずらされて、
見ていられなくてよっぽど早送りをしようかと思ったシーンもありました。
最後の最後までハラハラしました。
まさにサスペンスです。
物語の展開も、アランドロンの表情も、舞台となった地中海も、
とても見ごたえがありました。

原題の"Plein Soleil"というのは、"full sun"、
じりじりと焼け焦げそうなほどに照りつける太陽、
といった意味のようです。
太陽の下、この世界、人間の飽くなき欲望、
といったイメージを想起させるこのタイトルは、
ストーリーにぴったりでした。

映画を観る前はタイトルからは、
太陽がぼんっぼんっぼんっ、とたくさんあって、なんせ眩しそう、
といった印象しか受けませんでしたが、
見終えてからは、頼りない小舟で大海に放り出され、
見上げるとものすごく高いところに大きな太陽があってギラギラと照りつけ、
下からも海面が日の光を照り返し、辺りの眩しさはハンパじゃなく、
喉も渇くし、だけどどうすることもできず、何か大きな力に翻弄されている、
といった具体的なイメージが沸くようになりました。

フィクションでも強烈なインパクトがあると、
たとえばそのタイトルなど、関連する言葉に新しい意味が
付与されることがあります。
意味にまではならなくても、ニュアンスやイメージとして
言葉にまとわりついて離れなくなることはあると思います。
印象に残る、というのはそういうことだと思います。

たとえばこの映画の場合だと「太陽」という言葉は、
ぼくにとっては今までの「太陽」と同じではあり得ません。

映画や小説は豊かなボキャブラリーにつながるなあ、
と思いました。

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2006年3月20日 (月)

『ノー・ディレクション・ホーム』

京都みなみ会館で、
『ボブ・ディラン:ノー・ディレクション・ホーム』を観てきました。
210分の大作で、途中五分間の休憩が入りました。

監督は、ザ・バンドの解散コンサートを追いかけた『ラスト・ワルツ』(78年)、
デ・ニーロと組んで『ミーンストリート』(73年)や『タクシードライバー』(76年)、
『キング・オブ・コメディ』(83年)、『グッドフェローズ』(90年)といった
数々の名作を世に送り出しているマーティン・スコセッシです。

映画は61年のデビューから66年までを振り返る形で進行し、
現在のディランとのインタビューを中心に、
これまで未公開だったライブ映像や、記者会見の様子、
TV番組に出演した際のもの、縁のある人たちによる証言、
キング牧師のワシントン演説やケネディ大統領の暗殺といった
社会的な事象をとらえたものもふんだんに挿入されていて、
見ごたえがありました。

60年代前半の揺れるアメリカで、
フォークギターを抱えて「風に吹かれて」や「戦争の親玉」、
「しがない歩兵」、「第三次世界大戦を語るブルース」、
「はげしい雨が降る」といった曲で社会に強烈なメッセージを送るディランは
自分の手に負えない力によって若者たちの代弁者として祭り上げられ、
それがエレキギターに持ちかえ、バンドを従えてステージに立った途端に、
裏切り者と蔑まれ、非情なブーイングを浴びせられ、
一方で「ライク・ア・ローリング・ストーン」はヒットチャート上位に踊り出るなど、
異常なテンションの社会現象にまで発展してしまい、
それでも本人は何に迎合することもなく、
全くぶれることのない姿勢を当然のように貫いた若きディランに感動しました。

いつの時代も、どこの国でも、
前進する者についていけなくなって文句を言って足を引っ張るのは、
自ら前進することを諦め、受け身で心地のいい「今」に
甘んじたがっている者だと思いました。

なかなかディラン本人が自らの音楽やこれまでのことについて
語っているシーンを見ることは少ないと思いますが、
先日出版された『ボブ・ディラン自伝』に続いて、
この映画の中でもディランはよくしゃべってます。
中でも、「ずっと家に辿り着きたいと思っていただけだ」
というコメントは印象的でした。
ボブ・ディランを語る時、そのテーマは
「ライク・ア・ローリング・ストーン」でしかあり得ないと思いました。

『フリーホイーリン』のジャケットがカッコいい元恋人のスージー・ロトロや、
「天使の歌声」と評され、ディランともステージを共にしていたジョーン・バエズ、
「ライク・ア・ローリング・ストーン」のイントロで印象的なオルガンを弾いていた
アル・クーパー、その他にもビート詩人のアレン・ギンズバーグなどが
インタビュー映像で出演しています。

今回の映画は66年までの出来事を描いたものなので、
それ以降今日までのディランを描いた続編も期待してしまいます。
自伝はvol.3まで出版が予定されているということなので、
非常に楽しみです。

自伝にしても今日の映画にしても、時系列的にも入り組んでいて、
決して分かりやすくありません。
だけど、巨大なものを目の前にした時には、
多方面からスポットを当て、断片としての事実を数多く提供することで
浮かび上がってくるものがあるんだと思いました。
浮かび上がったものだけでは全容ではあり得ないけれど、
十分すぎるほど魅力を感じました。

そして、そこからの責任は観た者、読んだ者に
委ねられているのかなと思いました。

ボブ・ディランはまさに「巨人」と呼ぶに相応しい存在でした。
今日の映画の感想も、とても一言では言い表せません。
あえて言うなら、絶句、です。
今日感じたことを、もう少し日をかけてでも熟成させられたら、
これからのぼくの力になってくれると思います。

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2006年3月13日 (月)

『ブコウスキー:オールドパンク』

神戸アートビレッジセンターで『ブコウスキー:オールドパンク』を観てきました。

呑んだくれて、書きまくって、女を愛しまくった作家、
チャールズ・ブコウスキー(1920-1994)の生涯を追ったドキュメンタリーです。

おもしろかったです。

ぼくも『詩人と女たち』、『死をポケットに入れて』、『町でいちばんの美女』
といった作品を読んだことがありますが、猥雑です。非常に猥雑です。
だけどそれは、決して悪い意味ではありません。

地べたを這いつくばるように生き、
その手に触れたもの、その目で見たもの、臭ったもの、
味わったこと、感じたことを、何にも包まず、隠さず、
そのままタイプライターに向かって叩きつけた言葉が、
ブコウスキーの作品のように思います。
だから、猥雑なのは彼の目に映った世界だったのだと思います。

映画では奥さんや友人や編集者など縁のあった人たちが
今回の映画制作にあたってインタビューに答えていたり、
生前のブコウスキーが色んなメディアからインタビューを
受けた時の映像もありましたが、
中でも印象に残ったのは、

 「魂が衰えると、形式にこだわるようになる」
 「愛とは陽が昇る前の朝霧、現実の光とともに消えてしまう」

といったような言葉です。
ハッとさせられます。

決して表層的に立派なことなど言わないし、
時々見え隠れするロマンティックな部分を捕まえきることはできないけれど、
表も裏もなしに、誠実な人柄が知れる映画でした。
まさに「憎みきれない、ろくでなし」です。
こうして思い返していると、もう一度観たくなってきました。

ショーン・ペンやU2のボノ、トム・ウェイツも出てきます!

それにしても神戸アートビレッジセンターのある新開地は、
ディープな町でした。

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2006年3月 8日 (水)

Festival Express.

『フェスティバル・エクスプレス』のDVDを観ました。
1970年夏、ジャニス・ジョプリンやグレイトフル・デッド、ザ・バンド、
バディ・ガイ、シャ・ナ・ナといったアーティストを乗せた列車が、
トロントを出発してウィニペグ、カルガリーと5日かけてカナダを横断、
各地で開いたコンサートや列車内でのジャムセッションの模様に、
当時の関係者の証言などを交えたドキュメンタリー・フィルムです。

ウッドストック(1969)の後ということもあってか、
野外コンサートは無料だと決めつける聴衆が蜂起、抗議し、
警官隊と衝突したり、主催者側は聞く耳を持たなかったり、
それをジェリー・ガルシアたちアーティストが収拾に乗り出したり、
無責任に混乱を招く雰囲気があって、
だけどそこに自由な風が吹いていることも、やはり感じられました。
そしてその風を起こしているのが人々の勢いだったように思います。

サイケデリックな愛と平和の時代だっただけに、
列車内にはアルコールやドラッグが満載されていたようで、
自力ではなく不自然にハイな状態で盛り上がっていたのかなと思うと
少し残念な気はするけれど、それでもそういう点も含めて、
歴史的なイベントであったことに変わりはないと思います。

列車内でジャニス・ジョプリンやジェリー・ガルシアたちが、
本当に楽しそうに歌っている様子も貴重な映像だと思いました。
車内の騒がしさをよそに、
時々映る車窓を流れていく景色が牧歌的で良かったです。

90分と短いため、それぞれ数曲ずつしか収録されていなかったけれど、
ジャニス・ジョプリンは"Cry Baby"と"Tell Mama"のわずか二曲で
その存在感をまざまざと見せつけていました。

ザ・バンドも好きなバンドです。
独特の雰囲気があって、誰がボーカルをとっていても楽しいです。

自分のために自分の責任で爽やかな風を起こしたい方にお勧めです。
観終えて、前向きになれそうな気がじわじわと充満してくる映画です。

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2006年2月 5日 (日)

『妹の恋人』

ジョニー・デップ主演の『妹の恋人』を観ました。

「妹」というのが、
幼い頃の事故がきっかけで心に闇を抱えていて社会に溶け込めず、
一緒に暮らす兄が一生懸命にその世話をしているのですが、
ジョニー・デップはそこに現れ、
イライラやモヤモヤに包まれていた二人の生活に変化をもたらす妹の恋人役です。

だけどそのジョニー・デップもかなり風変わりで、
周りからは浮いた存在なんだけどピュアで、
繊細な心ゆえに時には大胆な行動にも出たりして、
その揺れ幅に驚かされ、笑わされ、考えさせられ、涙を誘われました。

ジョニー・デップは本当にステキな仕事をする俳優だなあと思います。
映画の主役ではあるんだけど、必ずしも物語の「中心的」立場にはなく、
中心にいる(つもりの)人たちに多大な影響を与える役柄として出てきて、
時には観る者の感情を激しく揺さぶり、
時には観る者の心の中に温かくて優しい気持ちをそっと吹き込み、
とても印象的です。

独特なんだけどさりげなくて、
強制はしないんだけどしっかりとした自分を持っていて、
そういう個性が目の表情に表れているような気がしました。

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2006年1月26日 (木)

『ミーン・ストリート』

スコセッシ監督、ハーベイ・カイテルとデ・ニーロ主演の
『ミーン・ストリート』を見ました。

73年の作品ということで、
『タクシードライバー』(76年)よりも『レイジング・ブル』(80年)よりも前です。

NYのリトル・イタリー地区のチンピラたちの物語なのですが、
ジョニー・ボーイ(デ・ニーロ)はもうどうしようもなくだらしなく、
仕事もしないし、借りた金も返さず、
それがもとで周りはけっこう緊迫しているというのに
本人はまるで気にするふうもなく、
そんな弟分を守ろうと駆けずり回るチャーリー(ハーベイ・カイテル)も
周りから一目置かれているようでいて実は叔父さんの庇護があるだけという、
置かれている状況は二人ともよく似ているんだけど、
その状況のとらえ方が対照的な二人を中心に、
青年期に特有の憂鬱な毎日が描かれてました。

ジョニー・ボーイというキャラクターは救いようのない設定なのに、
デ・ニーロの笑顔とユーモアのおかげで、もどかしくはあっても憎めないし、
チャーリーも結局は漫然と過ごしているんだけど信仰心だけは厚く、
どうにもならない毎日に焦燥感を感じていたりするところなど、
とてもリアルでした。

オープニングに使われていたロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』や、
ストーンズやデレク&ザ・ドミノスなどのロック・ミュージック、
カラカラとフィルムの回る音が聞こえてきそうな映像が醸し出す雰囲気の中で、
台詞までもがBGMのように聞こえたりすることもあって、
「全体として印象に残る映像」といった感じの洒落た映画でした。

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2006年1月22日 (日)

紋次郎のように。

気分転換に、『木枯し紋次郎』DVD-BOXⅠから、
「龍胆は夕映えに降った」の回を見ました。

木枯し紋次郎は、"Favorites"のページでも書いたことがあるけれど、
大好きなヒーローの一人です。
笹沢佐保の小説も好きだし、
市川崑監督、中村敦夫主演のTVドラマシリーズも大好きです。

TVシリーズでは、もちろん主役の中村敦夫がカッコいいのですが、
殺陣がカッコよくない、というのも特徴の一つだと思います。
必死の形相で相手と取っ組み合い、
田んぼの中で泥まみれになりながら
着ていた道中合羽を脱いで振り回し、
ただ生き抜くための手段でしかない剣には構えなどなく、
振り乱し、突き刺し、投げつけます。

町民は貧困に苦しみ、権力や金を握った一部の者たちだけがほくそ笑み、
策略もあれば裏切りもあり、時代に希望など感じられる余裕はなく、
優しく可憐な心を持つ者は自ら死を選んでしまう。
哀しみが舞い降り、降り積もる日々に無骨さだけが波風を立てる。
そんな無力感とも一縷の望みとも解釈できる生き方を、
紋次郎は貫いています。

原作の持つサスペンスフルな展開はそのままに、
ドライブするドラムなどの音響効果も相まって、
非常に見ごたえのある構成となっています。

木枯しの吹く音とともに始まり、全体的に乾いたイメージの強い作品ですが、
今回に限ってはタイトルにもあるように龍胆の濃い青が鮮やかで印象深く、
かえって哀しみを増幅させているようにさえ感じます。

機会があればみなさんもどうぞ。

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2006年1月19日 (木)

No Direction Home.

スコセッシ監督によるB.ディランのドキュメンタリー映画『ノー・ディレクション・ホーム』
東京で公開中なのですが、それを観たいなあと年末から思っていて、
大阪ではやっていないんだけどそのうち来るだろうと思いながら、
それまではしょうがないから気を紛らわせておくつもりで
ディランのアルバムを年代順にずっと聴いていると、
余計に観たくて観たくてたまらなくなってきた。

「ノー・ディレクション・ホーム」というのは、
1965年のアルバム『Highway 61 Revisited』に収録されている
"Like A Rolling Stone"に出てくるフレーズで、

"How does it feel
To be on your own
With no direction home
Like a complete unknown
Like a rolling stone?"

「なあ、どんな気がするよ?
一人ぼっちで、
帰りの道も分からずに、
誰にも全く知られずに、
転がる石のような存在でいるっていうのは?」
(訳:ぼく)

という部分から取っているのだと思います。

昨年だったか一昨年だったかにも
アメリカのローリングストーン誌で歴代ロックの第一位に輝いた曲ですが、
66年のコンサートではディランがフォークギターからエレキに持ち替えたことで、
ファンから裏切り者呼ばわりされ、
それでもその野次に答えるように
"Play it fuckin' loud!"とバンドに声をかけてからこの曲を演奏したという、
いわくもつけば本人にとってもきっと思い入れがあるはずの曲です。

映画でもそのシーンがラストに盛り込まれているようで、
他にもバックステージの様子やインタビュー、縁のある人物の映像など、
周囲との関係においてもディランが最もスリリングだった時代、
60年代のアメリカの雰囲気がどうやら満載のようです。

アップルのサイトに映画の予告編があったので、ぜひ観てください。
3時間半ぐらいあるはずなので、その辺はちょっと引っかかりますが、
それでも関東地区にお住まいの方は映画館に足を運ぶことを、強くおすすめします。

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