この週末は"The Complete Peanuts"のボックスセットを満喫しました。
『ピーナッツ』を意識的に読むようになったのは、
大学を卒業する頃のことでした。
"You're Not Alone, Charlie Brown"という
薄っぺらいペーパーバックを紀伊国屋書店の洋書コーナーで見つけ、
その時にチャーリー・ブラウンやスヌーピー、スパイク、
ペパーミント・パティ、マーシー、ルーシー、ライナスたちと出会ったのでした。
最初は読んでもなかなかピンとこなくて、
だけど薄い本だし、すぐに読めるので、
何度も何度も読み返していました。
そのうち、じわじわと込み上げてくるような、
何とも言えないおかしみを感じるようになって、
それぞれのキャラクターの性格も少しずつ分かるようになってきて、
チャーリー・ブラウンたちが過ごした他の一日を知りたくなって、
同じシリーズの"Guess Who, Charlie Brown?"という本を買ったのです。
人と知り合って、だんだん仲良くなっていくような感覚でした。
それから15年ぐらいが経ちますが、
その間、『ピーナッツ』の翻訳や関連書籍を
見かけることはたくさんあっても、
手に取ったことはほとんどありません。
今まで読んできたのはシュルツさんのオリジナルだけです。
日本では谷川俊太郎や鷺沢萠、さくらももこといった、
敬称を略すのも憚られるぐらい錚々たる方たちが翻訳されているのですが、
ぼくは未だにそれらを手にする勇気がないのです。
この三人の方たちはぼくも非常に尊敬していますし、
その方たちが訳された『ピーナッツ』に興味がないわけでは決してないのですが、
ぼくも負けず劣らず"Peanuts"を好きだという自信があるのです
(もちろん翻訳家としてではなく、読者としての自信です)。
だけどだからと言って、翻訳する自信というか、
その前提である"Peanuts"の世界を理解しているという自信がないので、
それらを自分なりに構築できる前に、
他の方たちの翻訳による『ピーナッツ』を読むわけにはいかないと思うのです。
見方によっては、うぬぼれた考え方なのかもしれません。
いつか自分も翻訳したいという、欲とは言わないまでも、
ささやかな願望、希望、夢、憧れのような気持ちが根底にあるのかもしれません。
だけど、読者としてだけでなく
翻訳家としても本を眺める立場にいられる者として、
それだけ大切に読んでいきたい本なのです。
そしてそういう思いは、他の本を翻訳する際には同様の責任感となって、
ぼくを支えてくれています。
"Peanuts"はぼくにとって、そういう一冊なのです。
ぼくが一日中"Peanuts"ばかり読んでいるのは、そういうわけなのです。