ゴールデン・ウィーク。
そういえば、そろそろゴールデン・ウィークです。
だけど暦に左右されないぼくは、
引き続き翻訳を進める予定です。
6月末に締め切りを済ませたら、
ちょっと休むか、
たくさん休むか、
休まずに次の企画を進めるか、
たぶん休まずに次の企画を進めると思いますが、
どうするにしてもぼくの自由です。
最近は朝の10時までと寝る前の1~2時間は、
6月締め切りの翻訳以外のことをやっています。
おかげでいい感じで常に集中できています。
そういえば、そろそろゴールデン・ウィークです。
だけど暦に左右されないぼくは、
引き続き翻訳を進める予定です。
6月末に締め切りを済ませたら、
ちょっと休むか、
たくさん休むか、
休まずに次の企画を進めるか、
たぶん休まずに次の企画を進めると思いますが、
どうするにしてもぼくの自由です。
最近は朝の10時までと寝る前の1~2時間は、
6月締め切りの翻訳以外のことをやっています。
おかげでいい感じで常に集中できています。
電子辞書とデスクトップPCの無線マウスの電池が
けっこうすぐになくなるので、
充電して繰り返し使えるエネループを使うことにしてみました。
充電された状態で売られていて、
自然放電もほとんどしないみたいなのですぐに使えて、
専用充電器で充電すれば
約1000回繰り返して使えるということです。
これまでも特に電子辞書は
電池切れで使えない日が一日でもあるとダメなので、
電池は常に買い置きしていたので、
困った経験はないのですが、
今回、電子辞書用に2本、無線マウス用に2本、
そして予備として2本、合計6本揃えたので、
いつ電池切れになっても問題なしです。
買い置き分があとどれだけ残っているか気にしなくていいし、
使っては捨て、新しく買って使っては捨て……、
とこれまで当然のように繰り返してきた使い捨てループを抜け出し、
同じ電池を充電して繰り返し使うという発想はエコだし、
経済的にも助かります。
まだ今日買ってきて使い始めたばかりだけど、
これはきっといい買いものをしたはずです。
もっと早くから導入していればよかったのかもしれません。
翻訳をしていていつも思うのは、
答えは原作の中にあるというか、
原作が答えだ、ということなのですが、
そこにぼくの体調や環境が無意識のうちに影響することも、
きっとあるだろうなあとも思います。
今月に入って南向きのリビングから北向きの仕事部屋に戻ってきて、
まず暗くなりました。
それに見晴らしも悪くなりました。
狭い部屋にこもっている感じです。
こういう変化は、けっこう影響したりするように
今のところ感じています。
原作に集中しているのだから
周囲が明るいも暗いもないような気もするし、
遠くを見晴らすことができたところで、
原作は目の前の机の上に乗っかっているのだから、
特にどうということはないようにも思いますが、
自分を包んでくれる環境が大きい場合とせせこましい場合とでは、
包まれている自分もどこかでやっぱり違ってきます。
本当はもっとふてぶてしく翻訳と向き合いたいんだけど、
そしてすぐにこういう変化が気にならなくなるぐらいには
集中してしまうはずなんだけど、
今はタイミングとしてまだこの変化に順応中なんだと思います。
ちなみに、「順応中」のつもりで「じゅんのうちゅう」と書いて変換すると、
「淳の宇宙」となりました。
そんなつもりは全くないのに尊大なことを言ってしまったみたいで、
ちょっと何となく申し訳なくなりました。
『CUT』という雑誌で
「こんなバンドが見たい!」
という特集をやっていて、
その中の一組として、
チャボさんとエレファント・カシマシの宮本浩次が対談していました。
この二人が一緒に曲を作ったら……、
と想像しただけでワクワクしてくる、
という純粋なファンとしての発想から始まった企画だと思うけど、
きっかけにピュアな気持ちがある(と思う)ので、
そんな気持ちが形になった特集も、
やっぱり読んでいて楽しかったです。
宮本浩次はチャボさんが在籍していたRCサクセションの
大ファンだったということで、
そこにもピュアな気持ちがやはりあり、
それは対談を読んでいても伝わってきたし、
そんな想いを正面から受け止めるチャボさんの、
宮本さんに対する優しさみたいなのも感じられて、
読んでいて気持ちよかったです。
なんてことを思いながら雑誌を閉じたところで、
考えようによっては翻訳においても、
たとえばチャンドラーを村上春樹が翻訳したらどうなるんだろう、
といったように、
「あの原作者とこの翻訳家のコラボレーションが見てみたい」
と思ってもらえるチャンスがあるはずだなあということに思い至りました。
読者からそう思ってもらえるぐらい期待されている翻訳家であれば、
いろいろと現実的なものから非現実的なものまで、
それこそファンとしての立場から、
あくまでファンとしての心理で色々想像して楽しむことができるけれど、
ぼくのような立場の者でも、
ぼくのような立場から、
「あの作品をぼくが翻訳してみたい」
という一方通行の希望を持つことは自由です。
そしてもちろん、その希望を握り締めるのも手放すのも自由です。
フリーランスというのはそういう立場のことだと思います。
緊張と集中は別物だと村上龍が言っていました。
むしろ集中するためにはリラックスし、
そのうえで自覚的に目標に向かうことが大切ということでした。
下手に力(りき)んで縮こまってしまったり、
闇雲に立ち向かったりしてはいけないということだと思います。
緊張と緩和、というようなこともよく言われますが、
それとは違う次元での話だと思います。
言葉の定義の問題と言ってしまえばそれまでですが、
言葉を解し、介することを職業としている以上、
それは重要な問題です。
そうやって言葉を介して自分の精神状態を意識し、
日々の仕事に打ち込むことは大切なことです。
リラックスし、集中し、自覚的に翻訳している時、
そこには確かな「充実」が生まれます。
気がついたらそこに辿り着いていた、というよりも、
明確な意思のもと、自分で立てた予定どおりに約束の目的地に到着した方が、
「達成感」があるということかもしれません。
明日からまた、リラックスして集中して自覚的に生きたいと思います。
今日はプチ大掃除をしたり、
本を読んだり、
普段と比較するとPC-lessな一日を送りました。
子供の頃の土曜日とか夏休みのように、
時間がゆったりと流れているような、
非日常的な感じがしました。
張り切って朝を迎え、
妙にソワソワしながら一日の前半を過ごし、
気がつくといつの間にか外が薄暗くなっていて、
カーテンを閉めて部屋の灯りを点け、
子供の頃や会社勤めをしていた頃の日曜日のように、
夕方以降は何だかちょっと寂しくて、
ちょっとしょんぼりしたりして、
それでもそんな気分に
やあ、久しぶり。
と声をかけたくなるような、
近頃はご無沙汰していた懐かしい感覚でした。
こういう日を週に一日でも持つようにすると、
週に一度のペースでいつもとは違う時間を過ごすことができ、
それはきっととても豊かで有効なことなので、
これからは積極的に心がけていこうと思います。
今月の初めに観た『暴力脱獄』ですが、
ポール・ニューマン扮するルーク(Luke)の囚人番号「37」が
やっぱりちょっと気になったので、
あんまり意味はないかもしれないけれど、
新約聖書の『ルカ(Luke)による福音書』各章の37節を
ざっと眺めてみました。
気になったのものとしては、
1.37 神にできないことは何一つない。
5.37 また、だれも、新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない。
そんなことをすれば、新しいぶどう酒は革袋を破って流れ出し、
革袋もだめになる。
6.37 人を裁くな。そうすれば、あなたがたも裁かれることがない。
人を罪人だと決めるな。そうすれば、あなたがたも罪人だと
決められることがない。
赦しなさい。そうすれば、あなたがたも赦される。
などがありましたが、
この中でも1.37は映画のテーマとして
意識されていたと考えてもいいのかなあと思います。
自由に堂々と生きようとしてきたけれどどうにも窮屈で、
世の中は思うようにいかなくて、
人生はそれほどいいものではないけれど前に進むしかなくて、
自信も計画も何もなくてもとにかく前に進むのがクール・ハンド・ルークで、
神様なんか信じていなくて、
実際に神様を非難するように、おちょくるように、
激しく雨を降らせ雷を轟かせる天に向かって、
あるいは夜に佇む教会でルークが叫び、告白するシーンがあります。
しかし「できないことは何一つない」はずの神様からは何の返事もなく、
そんなことだと思ったよ、今のはただの独り言さと嘯(うそぶ)き、
最期まで例のにやけたスマイルを浮かべ、
岐路に立つたびに自分の往くべき道は自分で決めるのです。
ルークには「不屈」という言葉が似合います。
自分に甘えないのは当然で、
理不尽な周囲に対しても文句や不平を垂れるのではなく、
敢然と立ち向かい続け、
全く大人しく生きるということを知らないのです。
ネックレスの代わりに首に提げていたのは栓抜きでした。
栓抜きでビールでもぽんと開けるように、
自由への扉を自らの意思で開けてやろうという意思の象徴のようにも見えました。
そんなルークは、まさに"a failure to communicate"(「道理の分からない奴」)
なのかもしれません。
だけど神でもなく鬼でもなく唯の人が作った人の世は、
ルークのような無頼漢には兎角住みにくいところなのだと思います。
最後に囚人仲間がルークのことを
"Natural-born World-shaker"
と言っていましたが、
最高の賛辞だと思いました。
貧乏性なのか、ゆっくりするどころか、
ここしばらく溜め込んでいた他の仕事や雑務を
一気に片付けました。
今日と明日のんびりするということを目標に、
あんなに根を詰めてきて、
おかげで目標が達成できたと思ったら
のんびりするという約束を反故にする――、
これもまた予定通りです。
どこを舞台にした話だったか、
このパンを持って逃げろ、だけどこれだけしかないから
本当にもう限界だという時まで食べるなと言われ、
ハンカチか何かに包んだ小さなパンを手に、
ひたすらどこか安全なところを目指して走り、
食べたくなってもぐっと堪えて走り、
そしてとうとう辿り着き、
ホッとしてパンを食べようと思ったら木切れだった、という話を、
昔、寝る前に父さんに何度か聞かされました。
ぼくは今でも自分で木切れをハンカチに包み、
それをパンだと言い聞かせ、信じ込み、握り締め、
辿り着くべきところを目指しているようなところがあります。
いつの間にかたくさんもらっていたそういう「糧」を、
今も育て続けられる環境にあります。
貧乏性などではなく、なんて豊かな人生なんだ。
この調子で明日も頑張ります。
先々週に終えた一回目の推敲のデータ修正を、
ようやく終えました。
正味で丸々一週間かかりました。
分かっていたことだけど、大変でした。
翻訳の工程として一番厄介かもしれません。
眼にやさしくなさすぎるのです。
だけどここをクリアしないと次に進めず、
さっさと終えてしまいたいけれど
あまり集中しすぎると長続きしないし、
かと言って集中してやらないといつまで経っても終わらない
というジレンマが山盛りなのです。
それを終えた今日はある程度晴れやかな気持ちです。
さっそく次に進みたいところなのですが、
この一週間、眼を酷使してしまったので、
明日と明後日はちょっとのんびりするつもりです。
そして四月最終週から、
いよいよ二回目の推敲に入ります。
ここで完成度を90%近くにまでもっていくつもりです。
フフフ……。
週末に兵庫県立美術館でポストカードを何枚か買ってきたので、
フレームに入れてリビングと廊下に飾りました。
リビングは壁一面を使ってCDラックを並べていて、
そこには以前からCDやDVDに混じって
ポストカードも何枚か飾っているのですが、
なんとなく煩雑だったので、
これを機に少し整理しました。
何でもかんでも飾ればいいというものではありません。
今はシャガールとピカソとクレーの絵が並んでいます。
本当は大きな絵を一枚置きたいのですが、
そんな存在感のある一枚となると
どの絵にするのか真剣に選ばないといけないし、
狭いリビングがさらに狭くなるので、
今のところはポストカードサイズで我慢しています。
小さいのを何枚も並べているうちに、
本当に自分の好きな絵が分かってくると思うし、
今まではきっとシャガールなんだろうなあと思っていたのですが、
ここに来てクレーが追い上げてきています。
でもやっぱりシャガールかなあ、
なんてことになって、
いつまで経っても大きな一枚を選べないのです。
ストーンズの『シャイン・ア・ライト』がとうとうDVDになるようです。
コレクターズBOX、デラックス版の二種類が、
それぞれDVDとBlu-rayで7月3日に出るということです。
当然のようにコレクターズBOXを予約するつもりだったのですが、
よくよく考えて、落ち着いて吟味し、一晩寝かせ、
デラックス版をぽちっと予約しました。
コレクターズBOXの特典DVDに収録されているインタビュー映像なども
もちろん興味はあるのですが、
それよりも観たいのはやっぱり映画としての『シャイン・ア・ライト』です。
ライブのシーンだけでなく、
時々挿入される新旧のインタビューも興味深いものばかりだったし、
映画を三回観ただけでは見落としているところがたくさんあるはずです。
6月末に締め切りを終えて、
7月のしょっぱなに『シャイン・ア・ライト』のDVDが届くなんて、
絶好のタイミングです!
家では大音量で観る環境が整っていないのが残念ですが、
ヘッドフォンをしてでも思いっきり楽しみたいと思います。
今日は兵庫県立美術館で開催されている
に行ってきました。
兵庫県立美術館は海沿いに建つ近代的な建物で、
風が吹き渡り、空間にゆとりがあって、
気持ちのいいところでした。
そこにピカソやクレーをはじめ、ミロ、マティス、シャガールといった
巨匠たちの作品が堂々と並んでいました。
クレーの絵は初めて見たと思うのですが、
浮遊感があって、ほんのりした色使いがかわいく、
ハッとするようなあどけなささえ感じられたり、
見ているだけで笑顔になってくるような、
楽しいものが多かったです。
しかしナチス政権による弾圧という厳しい環境に置かれた時期もあったということで、
その絵に見られる明るさは必ずしも無邪気なものではなく、
精一杯の皮肉や反抗心をこめたものだったのかもしれません。
激動の時代に心の奥底から湧いてくる叫びを込めた絵からは、
何か意思のようなものがびしびしと感じられました。
あと、キャンバスいっぱいに描いているというよりは、
ちょこちょこ、ちょこちょこ、っと部分的に描いて、
残った空間というか間を色で埋め、
描かないことで何かを表しているのかなというものもありました。
美術館に行くと詳しい解説を添えてくれていたりしますが、
基本的な知識に欠けているのであんまり頭に入ってきません。
もったいないなあと思いつつ、
無理をせずに自分のペースで絵を楽しめばいいかなと思っています。
今日は頂きものの株主優待券を使って、
西宮のコナミ・スポーツでスカッシュをしてきました。
現地まではウォーミングアップがてら一時間かけて歩き、
初めての施設に右往左往しながら
どうにか着替えたり靴を履き替えたり、
スカッシュのコートを予約したりラケットを借りたり、
そしてようやく辿り着いたコートで20分×2セット、
思うように弾まないボールを追いかけて気持ちのいい汗を流してきました。
コートは2面あったのですが、ぼくたち以外には
いかにも経験者の団体が激しく動き回り、打ちまくり、
そんな中にド素人が紛れ込んで、
ほのぼのとしたスカッシュをしてきました。
たぶんですが、スカッシュは素人ほど動き回るというか、
動き回らされるような気がします。
ということは、運動をしたくてスカッシュをする場合、
あんまり上手になってしまうと運動にならないというジレンマに陥ります。
ということは素人レベルできゃっきゃきゃっきゃいいながら
ボールを追いかけている程度でとりあえずはいい……、
ということ、ですか???
十数年ぶりにスカッシュをしましたが、
やっぱり楽しいです。
もうちょっとスポーツと呼べる次元で楽しめる程度には、
上達したいと思います。
帰りは西宮ガーデンズに寄って、
本を買ったり、雑貨を見たり、ご飯を食べたり、
久しぶりに健全な週末を過ごしました。
じゃばら果汁生活も第二章に突入しました。
前回はお試しということで100mlの小さいやつだったのですが、
あのまずさは本物だということで、
今度は360ml入りの本格的なやつです。
だけど、どうしたことか、
前の小さいやつで飲んでいた時に感じたまずさが感じられないのです。
すっぱいのは相変わらずなんだけど、
苦味がすっと消えてしまったような、
さっぱりしているのです。
あのまずさがいかにも体に良さそうだと思って続けることにしたのに、
別にまずくないのです。
いかにも手作り感に溢れた愛らしい商品なので、
よく分からないけれど成分がとごっていたりして、
商品によって濃度が違ってしまったりするのかな、
とか思ったりもするのですが、よく分かりません。
ここで思い出したのですが、
「とごる」というのは方言です。
「とごる」に相当する標準語が何なのか分からないのですが、
成分が溶けきらずに沈殿していることです。
「とごる」が方言だと知った時は驚きました。
翻訳をしていても、
ニュアンスも含めてぴったりの言葉が出てきた時に
それが方言だったりすると、
どうしようかとけっこう途方に暮れてしまいます。
だけどそういう難しさも含めて、
「得意な分野はボキャブラリーだぜ」
と言えるようになりたいものです。
とうとう、本来の仕事部屋に戻ってきました。
キーボードのサイズとかタッチ感とか、
そういうことよりもモニタの大きさに慣れるのに時間がかかりました。
こっちに戻ってきたのもこのモニタの大きさを求めてのことだったのですが、
冬の間ずっとノートPCのちっちゃい画面でやっていたので、
これまでどれだけ目を酷使していたかということに改めて気がつきました。
今はまだ赤入れをした箇所の修正をしているので
まだまだモニタを凝視しているのですが、
来週の前半にそれを終えたら、
後半は思いっきり目を休めようと思っています。
今はちょうど新緑の季節で、
眺めているだけで目も肩も頭もすっきりしそうな景色がたくさんあるので、
一旦休憩して、
そしてまた今月の最終週から張り切って
完成を目指していこうと思っています。
ここに来てちょっと効率が悪くなってきているので、
疲れ目対策は次からの改善項目として要チェックです。
一日にPCをつけている時間を、
ちょっとずつでも減らしていこうと思っています。
今はほとんど一日中つけていて、
ほとんど一日中その前に座っています。
だから目も疲れるし、肩も凝って、
かえって効率が悪くなっているところもあると思います。
だけどPCがなければ翻訳も思う存分できないので、
そこはバランスということになるのですが、
時間を決めてそれ以上はPCをつけないとするか、
それともとりあえずは、できるだけ時間を減らしていく方向で
翻訳の仕方も変えていくと意識するだけに留めるか、
しばらく様子を見ながら具体的な方法を考えていこうと思っています。
あんまりPCに頼った生活をしていると、
ちょっとずつでも確実に疲労が蓄積されて、
身体にはよくありません。
ジレンマを感じるところですが、
自然に根ざしたナチュラルな翻訳家として、
ちょっと生活を見直してみようと思っています。
今日は久しぶりに雨が降って、
ちょっとホッとしました。
最近は気温がぐんぐん上がる一方で
気持ち悪いぐらいだったので、
雨でも降って地面を冷やしてくれるととても有り難いです。
少々の寒さは我慢しようと今日などは思えました。
最近の天気はぶっきらぼうな感じがします。
穏やかでないというか、投げやりというか、
天気も含めて物事にはもっと順序というものがあってよさそうなのに、
ここまで一気に暑くなるなんて、
振り回されている感が否めません。
そんな中で今日の雨は、
お、なるほど、ここで登場するか、
といった感じでお洒落でした。
明日からはまた気温も上がるようですが、
それでも今日みたいに涼しい雨の日を一日挟むことで、
昨日までの気持ち悪さが一度清算されて、
また新しい気持ちで張り切って迎えることができます。
そんなお洒落な雨でした。
元町にランダム・ウォーク・ブックスという洋書屋さんがあるのですが、
次の企画になりそうな本を探すときに、
時々そこに行っています。
装丁やタイトルやページ数から気になった本を適当に手に取ってみて、
ぱらぱらと読んで、
値段を確認して、
帰ってきてからAmazonでチェック、
というのが大体の流れです。
企画になりそうな本を探すというのも大きな目的の一つなのですが、
ついでに写真集を眺めたり、絵本を読み漁ったりするのも楽しいです。
昨日は
"Dylan: Visions, Portraits, & Back Pages "
という写真集を見つけました。
5000円ぐらいしたのですが、
最終ページが折れ曲がっているという理由で30%オフ(!)になっていて、
何度も買おうと思っては思い直し、
だけどやっぱりこういう出会いは大切にしないと、
と思ってレジまで持っていきかけたのですが、
やっぱり思い直し、
その思いを断ち切るように店を出たのでした。
だけど帰ってきてAmazonでチェックしてみると、
やっぱり30%オフになった値段よりも安かったです。
ぽちっとショッピングカートに入れかけたのですが、
ここでもやはり思い直し、引き続き検討中です。
本屋さんやレコード屋さんを訪れては、
そのたびに欲しいものばかりが増えていっています。
一回目の推敲が一昨日の金曜日に終わりました。
当初の予定より三週間早く、
途中で修正した予定どおりです。
さっそく二回目の推敲に入りたいところなのですが、
その前に赤を入れた箇所をデータでも修正しないといけなくて、
この単純作業にけっこう時間がかかるのです。
一週間はかかると思います。
毎日朝から晩までキーボードをぶっ叩きながら一週間です。
辛い辛い一週間です。
そして来週からは細かい調べものをしたり、統一すべき表現を統一したり、
ゆるい部分をきちんと締めていく作業を中心に、
二回目の推敲です。
今度は五月末を目指します。
じわりじわりと輪郭がさらにはっきりしてきて、
ヴィヴィッドな像が浮かび上がってきつつあります。
ここからは加速度的に完成に向かうはずです。
出来上がりが楽しみです。
ようやく暖かくなってきて……、
と言っているうちにさっそく汗ばむ季節になってしまいました。
今日はお昼から弁当を持って夙川公園に行ってきました。
桜はもう半分ぐらい散ってしまっていたけれど、
天気がよく、空は眩しいぐらいに真っ青で気持ちよかったです。
ハトにびびりながらお弁当を食べ、
シートの上に寝転がってDatePodでチャボさんを聴いているうちに、
すやすやと眠り込んでしまいました。
犬に頭をどつかれて目が覚めたのですが、
30分ぐらい熟睡していたようです。
その間もずっと桜の花びらがはらはらと舞い散っていたのですが、
時々ぽとりと花が丸ごと落ちてくるので枝をよくよく見てみると、
小鳥がついばんでいました。
虫がいるのか蜜を吸っているのか、
花の根元を突っついた後、首をぐるんと振って花を振り落としていたのです。
久しぶりに外に出てのんびりできました。
(花粉症さえなければ)いい季節です。
ようやく暖かくなってきて、
用などなくてもふらふらと散歩に出かけたくなる季節が到来しましたが、
ちょっと油断すると花粉症の野郎が襲ってきます。
甜茶は真面目に飲み続けているのですが、
もはや効き目は疑問符でコーティングされていて、
飲まないよりは飲んでいたほうがきっと……、
という程度になり下がってしまっています。
そこで最近は、
TVやら新聞やらで取り上げられていたということで
実家から送られてきた
というのを飲んでいます。
ほんの5mlを朝晩一回ずつ、一日に二回、二週間飲めば
花粉症の症状が軽減されることが研究の結果判明したらしく、
このしょうもない症状の改善を目指して
またしても地味な対策を取ることになったわけです。
5mlというと、
コーヒーや紅茶などを飲んでいる時であれば、
カップの底に残っていても、
飲み終えたものとして放置される程度の量です。
しかしこれがマズイのです。
じゃばらというのは和歌山県の北山村でだけ栽培されている柑橘で、
「邪気を払う」というのがその名前の由来だそうです。
見た目は大き目の柚子といった感じで、
その果汁の味は、柚子の皮を噛んだみたいに苦くすっぱく、
飲むと舌や口唇がしゅわしゅわっとなり、
鼻の頭に一気に汗をかき、
顔はしばらく猿みたいにしわくちゃになり、
下手をすると腰が砕けそうになります。
メディアに取り上げられてからは生産が追いついていないらしく、
それまでは色んな通販サイトでも扱っていたようなのですが、
今は販売を一時停止していて、販売開始も延長が続いているぐらい、
人気沸騰中のようです。
思わぬ形でブームに乗っかってしまったような感じですが、
せっかくなので続けてみようと思います。
『コーヒー&シガレッツ』のイギー・ポップ風に言うと、
"Hey, ten-cha and jabara-juice, man. That's a combination."
「よー、甜茶とじゃばら果汁ってのは全く、最高のコンビだよな」
といったところです。
といったところであればと思います。
ようやく暖かくなってきて、
本来の仕事部屋に戻ろうかとも考えていたのですが、
やっぱりもうしばらくリビング生活を続けようと思います。
というのも、夜の七時頃にふと窓の外を見ると、
遠くに見えるマンションの上に、
真っ黄っ黄のまん丸い月がぽこんと浮かんでいたのです。
ぼくの月好きは今に始まったことではないのですが、
年々エスカレートしているような気もします。
目が離せなくなるのです。
最近はあんまり見る機会がないのですが、
一番好きなのは海に浮かぶ月です。
イメージしているのはビーチとかじゃなくて、
入り組んだ湾です。
海面に月がぶわぶわと滲んでいて、
遠くの方には漁火なんかもぽつぽつと見えていて、
他には星が出ているだけであとは漆黒の闇で、
思い出しただけでにやけてしまいます。
そして月は、低い位置に黄色くある方が、なんとなくいいです。
低いところにあっても白ければあんまり面白みを感じないし、
黄色くても高く昇ってしまえば興味は半減してしまいます。
そして月は、何と言ってもあの中をくぐれば
向こう側の世界に行けそうな気がするところがいいです。
ちょっと怖いけれど、気になって仕方ありません。
本当に月をくぐって向こう側に行けないのであれば、
とことんまでこの想像を膨らませて完結させてしまうしか、
月へのこの想いを落ち着かせる方法はないんじゃないかと思っています。
「月へのこの想い」なんて言ってしまっている時点で、
かなり危険なところまで来てしまっているように感じます。
ようやく暖かくなってきて、
やっと髪を切ってもらってきました。
帰りは頭のシルエットがずい分と小さくなっていました。
髪をきちんと診たうえでしっかりとしたプランを立て、
きちんと説明してくれながらカットしてくれる
信頼のおける美容師さんなのですが、
その美容師さんでさえ、
ぼくの髪の生命力には驚きを隠しきれていませんでした。
小鳥に毛布をかけてやると、
毛布の重みで飛び立つことができなくなると思いますが、
ぼくもそんな感じでした。
今は飛べそうな気がします。
ようやく暖かくなってきて、
そろそろ南向きのリビングから
本来の仕事部屋である北向きの部屋に戻ろうかと思っているのですが、
北向きの部屋はまだまだ寒いです。
冷え冷えとしています。
以前住んでいたところは北向きの部屋しかなかったので、
どんなに寒い冬の日でもどうすることもできなかったのですが、
ここに来てからは冬はリビングの文豪机で、
ノートPCを使って翻訳をするようになりました。
デスクトップPCとは全く違うノートPCのキーボードの小ささにも、
軽くて浅いタッチ感にもすっかり慣れ、
今度あっちに行く時には、
どっしりと叩き込まないといけないデスクトップのキーボードに、
まず慣れるのに時間がかかります。
季節の変わり目はキーボードが叩きにくい時期でもあります。
だけど、よくよく考えてみると、
春になったからといってあっちの部屋に戻る必要が必ずしもないぐらい、
ノートPCは十分に活躍してくれています。
だからもしかしたら、
あっちに行ったりこっちに来たりするのは、
特に春になってあっちに行くのは、
ただの気分転換なのかもしれません。
気分転換なんて、
なんてゆとりのある選択肢なんだろう。
つまりそういう贅沢です。
先日店員さんと目に見えない火花を散らしたドラッグストアで、
けっこう大量に日用雑貨を買い込みました。
そして、
「袋はけっこうです」
と自ら宣言したところ、
先日の店員さんとは違って若い男の子が二人だったのですが、
「ありがとうございますっ!」
とこっちがびっくりするぐらい、
「何もそこまで……」と思うぐらい、
二人して深々とお辞儀をしながら礼を言ってくれました。
たまたまエコバッグを持っていたから袋を必要としなかっただけで、
次に来る時は持っていないかもしれないし、
だけどあんなはち切れんばかりの笑顔で感謝されると、
次からも袋に入れてもらわない方がいいのかなあ、
なんて思ったりしてしまいます。
極力エコバッグを使うようにはしているつもりだけれど、
でも持っていない時はこれからもビニール袋に入れてもらうつもりなので、
あんまり前回や今回のように極端な対応をされても、
ちょっと困ります。
だけど今回の二人は、
ちょっとびっくりしたけれど気持ちよく、
ぼくは微笑みを浮かべながら店を後にしました。
ポール・ニューマン主演の『暴力脱獄』(1967)を観ました。
戦争で数々の勲章を獲得しながら、
帰還後は社会に馴染めず、酔っ払ってパーキングメーターを壊した罪で
二年の懲役刑を受けたルークが、
刑務所での過酷な労役や体罰にも屈することなく、
脱獄を試み、連れ戻され、体罰を受け、それでも脱獄を試み、
さらに容赦のない懲罰を受ける……、
といったストーリーです。
もちろんそのルークを演じているのがポール・ニューマンなのですが、
振りかざされる権力に決して媚びず、
不適な笑みを絶やすことなく、
社会のシステムに組み込まれることを徹底して拒否するのです。
投獄された時には囚人のリーダー格の男にボクシングの相手をさせられ、
ぼこぼこに打ちのめされながらも当然のように立ち上がり続け、
そこから一気に囚人たちの尊敬を集めていきます。
そして看守たちからは目をつけられます。
途中でルークの母親が面会に来て、
しばらく母子で会話を交わすのですが、
決して親孝行とは言えない母親想いの息子と、
息子を100%信じている母親の、
切なくも温かい交流が涙を誘います。
何度も脱獄を繰り返すルークを再び捕らえた刑務所所長が、
他の囚人たちを前にして、
"What we've got here is failure to communicate.
Some men you just can't reach..."
と言うシーンがあります。
「ここにいるのは道理の分からない奴だ
どうあがいても心を通わせあえない人間っていうのはいるもんだ」
みたいな意味です(訳:ぼく)。
これはこの映画のテーマでもあると思うのですが、
このセリフを吐いたのは社会のシステム側の人間です。
このセリフはGuns N' Rosesの『Use Your Illusion II』(1991)に収録されている
「Civil War」のイントロにも挿入されているのですが、
"I don't need one more war,
What's so civil about war anyway."
「戦争なんてもうゴメンだ
戦争のいったいどこが文明的というのか」(訳:ぼく)
と歌うこの曲も、やはり反逆精神に富んだ男が、
都合の悪いことにフタをする社会に対して苛立ちを隠さず、
静かな怒りをぶちまけた名曲です。
脇を固める囚人仲間が和気あいあいとしていたり、
閉塞的な刑務所の中で鬱憤を晴らすかのようなコミカルなシーンがあるなど、
決して暗い映画ではなく、何よりもやはり、
ルークがその笑顔に込めた自由への渇望が痛いほど伝わってきて、
ハッピーエンディングではないけれど清々しい映画だと思います。
邦題の『暴力脱獄』というのはどうかなあと思いますが、
原題は『Cool Hand Luke』というクールなタイトルです。
ルークという名前と、
ルークの囚人番号だった「37」は、
きっと意味があると思います。
今度ちょっと調べてみようと思います。
愛用しているDatePodにはブルーズ、ロックンロール、ジャズ……、
とぼくの好きなゴキゲンなミュージックを詰め込んでいるのですが、
その中にアガサ・クリスティやポール・オースターの短編の朗読や、
ジャック・ケルアックのポエトリー・リーディングを紛れ込ませています。
だけどわざわざそれを選んで聴くということはまずないので、
シャッフルで聴くようにしています。
すると時々、ロックンロールを聴いた後で
ぼそぼそと朗読された英語を聞くことになります。
そうでもしないと最近は音楽は別として英語を耳にすることがなく、
英語を聞く耳がどんどん退化していくように感じています。
以前、仕事時間の半分以上が英語で、
英語と日本語がごちゃまぜになったような毎日を過ごしていた頃は、
もっと英語も自然に耳に入ってきて、口からも出てきていました。
最近は翻訳をしている本を音読しようとするだけでしどろもどろです。
そんな翻訳家は格好がつかないので、
少しずつでも真面目に勉強する時間を取るようにしています。
最近はポッドキャストでも楽しいのがたくさんあるので、
自分がどれだけその気になれるかということだと思います。
IE7からIE8に切り替えてみました。
サイト内のリンクから開いたタブは色分けされてグループ化できるとか、
ページ上で調べものが完結するとか、
セキュリティが強化されているとか、
色々と
「かつてない新機能」
が紹介されていましたが、
ぼくは何よりもさくさくと表示されることが嬉しいです。
さっきインストールしたばかりなので、
他の機能についてはまだその素晴らしさを実感していないのですが、
ページの表示はIE7に比べて早くなっているような気がします
(でも気のせいのような気がしないでもありません)。
そしてそれ以上に嬉しいのが、
表示しきれないページがないことです。
これまでは何が原因なのか、
いつまで待っても
「待機中…」
という表示が出るだけのサイトがいくつかあったのですが、
それが今のところ、なくなりました。
一瞬で表示されるという高速性より、
少し間をおけばきちんと表示されているという安定性の方が
ぼくには頼もしく感じます。
だけどそれがブラウザの性能によるものなのか、
PCの性能によるものなのか、
ネットへの接続環境によるものなのか分からないので、
今まではどうすることもできなかったのです。
要らぬストレスが思わぬ形でとりあえず解消されました。
チャボさんのイベントに行ってから一週間が経ちますが、
日に日にあの時の感動が大きくなってきています。
妙にソワソワしてくるのです。
ライブ直後は圧倒されるばかりで
具体的な印象を持てなかったりしますが、
それが日を置くことで少しずつリアルに甦ってくるのだと思います。
それでも当日はやっぱり圧倒され、うろたえてしまっていたので、
どんな曲を演奏していたとか、
あの日の細部を一つずつ全て思い出すのは今でも無理です。
もったいない話です。
だけどふとしたきっかけで、
ある瞬間のチャボさんの表情を思い出したり、
チャボさんが歌っていたフレーズを思い出したりするのですが、
そういう断片的な記憶を時間をかけて継ぎ合わせていくだけで精一杯です。
少しずつでもいいから、
思い出したことや憶えていることを記憶の中に定着させ、
いつでも好きなときに呼び出せるようになればいいのにと思います。
たとえばDVDになって発売されればそれでいいのかと言うと、
それはとても嬉しいけれど、
そういう問題ではないようにも思います。
自分が経験したことや経験していることの本当の大きさに気づかず、
うかうかしているというのだけは避けたいと思います。
とうとう4月になってしまいました。
早いもんです。
それにしても寒く長かった冬をよく越したなと思います。
夏になるとどう思っているか分かりませんが、
やっぱり冬は寒いので苦手です。
ここはヘルシンキかと思うぐらい寒かった頃を思い出しても、
今日と同じように部屋で翻訳をしているぼくがいます。
もっと遡って汗だくになっていた頃を思い出しても、
やっぱり翻訳をしています。
寒くも暑くもない時期は短いけれど、
翻訳に集中できるところが何よりいいです。
今月末ぐらいからは、
いよいよ六月末の締め切りに向けての最終段階への移行期とも言える月です。
寒いとか花粉が…、とか言っている余裕もなくなってくるはずなので、
没頭度をさらに上げて頑張ります。
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