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2008年4月25日 (金)

早すぎる伝説。

今日は、尾崎豊が亡くなった日です。

16年前の今日、夜中にTVをつけていると、

 「尾崎豊 急死」

というテロップが流れてきたのです。
衝撃的でした。
今思い出しても胸騒ぎを覚えます。

デビューして間もない頃からずっと聴いていて、
レコード、カセット、CDとメディアが移り変わるたびに買い替えながら
ずっとリアルタイムで聴き続け、
小説やエッセイも全部読んでいた数少ないアーティストです。

3分や4分が当たり前の時代に、
12インチシングルなどといった見慣れないレコードを出し、
6分を超える長い曲、時には10分にも及ぶ曲の中に
ありったけの想いを込めて、
ぼくの胸を揺さぶり続けました。

「初期の三作を超える作品は結局作れないのか」
などという心ない声も聞かれる中、
ぼくには全くそんなふうには思えず、
全てのアルバムに尾崎豊自身の成長や葛藤や人生が溢れているように感じ、
共鳴する自分の鼓動に耳を傾けていました。

大人たちへの反抗とか、
そんな分かりやすいキーワードを当てはめられていたけれど、
それは結果であって、
自分にとことん正直になるとか、
自分の言動に最後まで責任を持つとか、
そういうことだと思っていました。

その他にも考えるきっかけや、対象や、切り口など、
ぼくの中で確実に何かが芽生え始めたように感じていました。

ぼくと「音楽」の初めての出会いだったかもしれません。

本人がいなくなって、
関係者を名乗る大人たちの争いや、
関連書籍や未発表音源のリリースラッシュ、
節目となるたびに加熱する報道、
軽い乗りの物まねなどが流行りましたが、
空っぽになった胸にはそんな全てが哀しすぎました。

それでいつの頃からか全く聴かなくなってしまっていたのですが、
亡くなった当時の尾崎豊の年齢をとっくに超え、
それでも依然として大きな存在として頭の片隅どころか
それなりに中心に近い部分を占めていることをこれ以上無視することをやめ、
今週に入ってからヘヴィローテーションで聴いています。

そしてまず感じたことは、
間違いなくぼくの永遠のテーマとなるアーティストの一人だということです。

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