2018年12月13日 (木)

「Little Green Bag」

先日たぶん25年ぶりぐらいに『レザボア・ドッグス』のサントラを聴いて以来、ジョージ・ベイカーの「Little Green Bag」が頭の中でリピートしています。

幸せを探しているのに、見つかるのは孤独だけ

というニヒルでシンプルでミステリアスな歌です。シンプルだけどミステリアスというのは、矛盾しているようでいて実は大半のことがそうなんじゃないかと思います。分かったような気になっていても何にも分かっていないことばかりです。

でもそれを自覚していれば、少しはクールに生きられるのかもしれません。クールに生きる必要とか別にないけど。

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2018年12月12日 (水)

冬の温もり。

朝から霙(みぞれ)のような冷たい雨が降って、部屋の中もぐんと寒くなりました。パソコンと資料一式を持って暖房をつけているリビングに下りてきて、妻がご飯の用意とかしている横で仕事をしています。

時々二階に必要なものを取りに行かなくてはいけなくなって、リビングを出たとたんに体の芯から一気に冷えます。そして階段をあがって二階のいつもの部屋に行くと、外かと思うほど寒くて、あったかいリビングに戻ってきてからもしばらくぶるぶる震えています。

冬になると昔からそうだったなあと思います。小さい時も、勝浦や本宮の家で、みんなでこたつに入ってテレビを見たりみかんを食べたりしている居間はぬくぬくしていたけれど、トイレに行くときとか、台所の戸棚にお菓子を取りに行くときとか、戸を一枚隔てているだけなのに、居間を出ると寒くて、ばーっと行ってばーっと帰ってきて肩までこたつにもぐり込んでいました。

なんかそんな感じだったなあと、さっきも階段をのぼりながら思いました。リビングや居間は暖房をつけているからというだけでなく、みんなが集まる場所だから温かいんだと思います。当然のようにそこにあってくれる温もりに感謝です。

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2018年12月11日 (火)

翻訳講座(火曜クラス35、土曜クラス36)

今日は火曜クラスと土曜クラスの合同講座になりました。これまでにも何度かこういう形で行なったことがあるのですが、いつもとはちょっと違う雰囲気と刺激があっていいです。

今日は「Luncheon」の2回目でした。本を読んだと言って手紙を書いてきた女性と、パリの高級レストランで一緒にランチをすることになった若い作家が、心もとない懐事情にひやひやしながら、相手が注文するたびにびくっとなったり安堵したり、冷静を装いながら手に汗を握っているシーンです。気の毒になってきます。

こういう刺激にユーモアを散りばめる「間」とか視点とか、二人の間の温度差とか、言葉づかいとか、とても勉強になるし、なんとか翻訳で再現したいと思います。翻訳は、「翻訳する」というより「翻訳できるまで読む」といったほうが近いと思っています。作品のなかに自分がずぶずぶと沈み込むようにどっぷりと浸るイメージです。そうすると、原文を読んでいる部屋の中の雰囲気や時間が消えて、作品の中の時間を過ごしているような感覚になります。没頭するということです。

今年の翻訳講座は今日が最後でした。翻訳ってやってみると面白いよ、ということを伝えたくて、芦屋の頃に始めて、最近はもしかしたらこの日記を読んでくれている人にも伝わるかもしれないと思って、翻訳講座の後にはその日の感想みたいなことを書いていますが、翻訳の面白さと奥深さを自分で再確認しているという側面も大いにあります。来年もこういうスタイルで続けていこうと思っています。

翻訳 is my life!

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2018年12月10日 (月)

ぼくの好きなRCナンバー。

ところでRCサクセションの大好き15曲、もしくは10曲を選ぶとなったら、「君が僕を知ってる」が外れることはありません。そういう意味では、5曲を選ぶ場合でも3曲を選ぶ場合でも、1曲を選ぶ場合でも、外れることはありません。大大好きな曲です。

君が僕を知ってる

と思える人がいるだけで、どれだけ心強いか。どれだけ勇気が湧いてくるか。その嬉しさと歓びに満ちたこの曲は、まさに「リズム&ブルース、ミディアムテンポの最高傑作」です。

君が僕のことを知ってくれているのなら、手をつなぐ必要すらもしかしたらないのかもしれません。距離も関係ありません。思うとおりのことを思うとおりにやって、そのそばで君が見ていてくれて、その君が思うとおりのことを思うとおりにやっていることを僕が理解していれば、そこに生まれる力を信じて続けていくだけです。

バンドはその一つの形なんだろうなあと思います。ほかにも夫婦とか、親子とか、友達とか、スポーツのチームとか、師弟関係とか、たぶんどんな関係にも成り立ちうるとは思うのですが、必要なのは本気さです。本気じゃないのならせめて邪魔をしないでくれということです。丸っきり信頼して役割を分担し合える関係と言えるかもしれません。

ピッチャーがどれだけすごくてもライトフライは捕れません。そういうことです。

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2018年12月 9日 (日)

夢ランドしらさぎ。

先日から息子が温水プールに行きたいと言っていたので、今日は安来にある「夢ランドしらさぎ」という温泉施設に初めて行ってきました。露天風呂や大浴場の他に、温水プールゾーンがあると聞いたのです。

午前中はママとイオンに行ったりレイクラインバスに乗ったりしていたのですが、お昼から行くプールがあんまり楽しみだったために、いつもより早く帰ってきたぐらいです。それで、お昼ご飯を食べてから、海水パンツを中にはいて、バスタオルと着替えを持って、冷たい雨の降る中、車で安来まで行ってきました。

芦屋の頃によく行っていた「熊野の郷」みたいなスーパー銭湯で、そこにウォータースライダーや短いプールもあって、子供たちが大きな浮き輪を抱えてウォータースライダーを目指して階段を駆け上がっていたり、親子連れが泳ぐ練習をしていたり、年配の人たちが水の抵抗に抗いながら歩いていたりする中、ぼくと息子はリハビリ用なのか手すりのついた水路のようなところをジャンプしながら歩いたり泳いだり(その間なぜか息子はカラスの鳴き真似をしていたり)、あわあわのお風呂の中でぼこぼこと感触を楽しんだり(息子は嫌がったり)、ぼくとしてはもうちょっと勢いが欲しかったジェットバスで背中や肩のこりをここぞとばかりにほぐしたり(息子は嫌がったり)、かなり長い間、久しぶりの温水プールを楽しみました。

息子の要求がいろいろと多岐にわたるようになってきて、なかなか応えてあげられないことも増えてきたのですが(たとえばパパの車を運転したいとか)、だけど、こんなふうに体を動かして遊びたいというような場合は、全力で応えたいと思っています。というか、一緒に体を動かして遊ぶのはむしろぼくのほうが楽しんでいるぐらいです。くたくたになりました。

息子はぼくたちのいるところでもいないところでもいろんな刺激を受けて、ぼくたちがしてほしくないことや言ってほしくないようなことも含めて、いろいろ真似をしたり挑戦したりしている最中にあるのだと思います。そういうときにどうやって接してあげられるかで、いいこととよくないことの判断が息子なりにできるようになってくるのかなと思います。息子の成長を見損なわないようにしないとと思っています。

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2018年12月 8日 (土)

Living for today...

とうとう雪が降り始めました。部屋の中にいても寒くて、窓を閉めていても聞こえてくるびゅーという風の音に震えます。昨日までも十分寒かったけど、今日は一段と冷え込みます。体の(芯までではなく)芯から冷えてきます。昼間から薄暗くて、これを空と呼ぶにはあまりに低くて、灰色で、こうなったらもう布団の中かお風呂の中にいるしかないとさえ思えます。

松江の寒さが牙を剥いた、といった感じです。躊躇も容赦もありません。妻が魔法瓶に入れてくれた熱いミルクティーも、カップに移した瞬間に飲める温度まで冷えてしまいます。いつもの調子で冷めるまでしばらく置いておこうとすると、その瞬間にアイスミルクティーです。

それにしても「Imagine」はいい歌です。沁みます。でももちろん「Imagine」だけではありません。曲はアーティストの一面でしかありません。作った曲の数だけ側面があって、それでもそうした側面は目に見えて耳に聴こえる側面にすぎず、形になって表現の舞台に現れなかった側面が、それ以上にあります。それらを感じさせるから、そしてそれらがとても優しくて深いから沁みるのだと思います。「Imagine」はその象徴の一つです。

厳しい寒さの中に火を灯し続けたいと思います。

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2018年12月 7日 (金)

『Soul Christmas』

息子が本を借りたいと言うので、閉館間際の市立図書館に行ってきました。併設されたプラバホールのロビーにはクリスマスの飾りつけがされていて、暖炉を模したセットの前で、大きなクマのぬいぐるみや赤や白のトナカイたちが温かな雰囲気を作り上げていました。そこに係りのお姉さんが来て、明日からイルミネーションがきれいだからまた来てねと声をかけてくれて、息子は嬉しそうに明日もまた来ると言っていました。

そして息子が牛乳が飲みたいと言うので、隣りのコンビニに入ったところ、ソウルフルな友人にばったり出くわし、息子も初対面なのにまるで久しぶりに会った旧友かのようにハイタッチとかしていました。

そんなわけで、年の瀬特有のなんとなく慌ただしくもどことなく心が躍る雰囲気に満たされた短い時間を過ごし、帰って来てからクリスマスアルバムを聴いています。芦屋時代からクリスマスと言えばまずはこのアルバム、アトランティック・レーベルの錚々たるアーティストたちが生きる歓びを高らかに歌ったソウルフルな『Soul Christmas』(1968)です。

クリスマスと言えば思い出す大阪の心斎橋の賑わいや、幼い頃の家の様子など、温かで、安心できて、笑顔が溢れていて、体の内側から湧き出てくる元気とか、このアルバムを聴いているとそういうものがじわりじわりと圧倒的な濃度で胸に迫ってきます。

ぼくはとても豊かな子供時代を過ごさせてもらったと思います。それを今度はぼくが息子に味わわせてあげる番です。その思いがずっと、ぼくの中でそれはとても強い一本の芯になっていることをこの7年間実感しています。

そういえばコンビニには息子が欲しかった牛乳はなかったのですが、息子はまるで残念がることなく、牛乳がないと分かるよりも先にその下の棚に見つけたりんごジュースを迷うことなく選んでいました。息子の決断力を見習わないとと思います。

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2018年12月 6日 (木)

「私の好きなビートルズ・ナンバー」。

『With The Beatles』がないので『ビートルズを聴こう』も読み進められないのですが、巻末にあとがきとして、「私の好きな曲」対談、というのがあるのを見つけました。著者の里中哲彦さんと遠山修司さんが、それぞれ好きなビートルズ・ナンバー15曲を選び、二人以外の関係者にも選んでもらい、さらに遠山さんの英国の友人や知人からも「私の好きな1曲」を選んでもらって、そのリストを見ながら二人で対談をしているのです。

ぼくだったらどの曲かなあ、と思って最初の『Please Please Me』から見ていこうとすると、多分もうその時点で15曲中14曲が埋まってしまいます。というのはいささか大げさだとしても、全213曲中の15曲だなんて、選ぼうとして間もなく、やがて、悶絶してしまうと思います(「悶絶」というのは広辞苑によると、「もだえ苦しんで気絶すること」という意味です)。

だから言われてぱっと思いつく曲で構成するしかないと思います。そして間違いなく後で、ああ、あれもこれも、と言い出すのですが、それはもう諦めるしかありません。そこでもまた口惜しさに悶絶すればいいだけのことです。

好きな曲は、改めて選ぼうとするとどこかに不自然さが出てしまいそうで、それに選ぶごとに違う曲になりそうだし、だから好きな曲というよりは、印象に残っている曲を選ぶというのも一つの方法だと思います。とか言いながら、実際に選ぶ前の段階ですでに楽しくなってきます。しかも一人で、夜中に、早く寝ればいいのに。

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2018年12月 5日 (水)

Paint it colorful.

今日は(ちょっと気分転換ということで)『レザボアドッグス』のサントラを聴いていました。翻訳講座の土曜クラスを受講していただいている方が貸してくれたものです。「Who Am I ~」の前の「Auggie Wren's Christmas Story」をやった時に、ということは少なくとも8カ月以上前に、そういえばそんな話をしました。

「Auggie Wren's ~」は『スモーク』として映画化され、主役のオーギー・レンをハーヴェイ・カイテルが演じていましたが、そのイメージを翻訳講座のテキストとして使った原作にもやはり感じ、ハーヴェイのしゃべりっぷりは、やはり主演した『レザボア・ドッグス』のサントラにも確か収録されているとか、そういう周辺情報というか、作品を読むにあたっての参考情報の交換というか、雑談というか、脱線というか、そういう楽しくて必要な時間が火曜クラスも土曜クラスもなんせ多いのです。

それで、というには8か月以上が経過しているわけですが、先日の土曜クラスの時に持ってきてくれたのです。

『レザボア・ドッグス』は確か神戸の小さな映画館で観ました。スタイリッシュで、設定はカラフルなのに色調はモノトナスで、バイオレントで、ブラッディで、クリミナルで、タランティーニカルで、ハーヴェイ・カイテリッシュで、ジョージ・ベイキングでした。サントラも今聴いてもカッコいいです。

ビートルズを聴こうとするだけでもいろんなアルバムや楽曲があって楽しくてしょうがないのに、他にもボブ・ディランとかトム・ウェイツとか、さらにこうして何かをきっかけに他の音楽を聴いたり、映画を観たり、そんな話をしたり、ぼくは派手な生活なんかまったくしていないのに、それでも毎日がとてもカラフルです。

英語で colorful と出てきたら、なんて訳そうかなといつも迷います。けっこうちょいちょい出てくる単語です。いろんな訳し方ができると思いますが、ぼくは単語としても概念としても colorful という単語が好きなので、そこだけ変に気合いが入りすぎてしまわないように、「おっ」と思う程度にしようとするだけでも大変です。

最初に colorful という単語を意識したのは、『善良な町長の物語』(2009)を翻訳した時でした。ずい分と前になります。これからまた、人生に色をつけていきます。時に派手にどぎつく、時に柔らかく、淡く、だけど常に誰も持っていないオリジナルの色で、Paint it colorful. です。

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2018年12月 4日 (火)

翻訳講座(火曜クラス)34.

今日は「はじめての文芸翻訳講座」(火曜クラス)の第34回の日でした。火曜クラスでも今日から「Luncheon」(サマセット・モーム)に入りました。

「Luncheon」というのは「Lunch」(ランチ、昼食)のフォーマルな言い方、あるいはちょっとかしこまったランチを指す言葉で、要するに、お昼ご飯を食べる話です。

(ヘミングウェイでも有名な)パリのカルチェラタン(ラテン区)に住んでいる作家のところに、本を読んだという女性から手紙が届き、パリに立ち寄るのでランチをご一緒していただけませんか、とお誘いを受けるのです。

読者から手紙を受け取って「わたし」はいい気分になるのですが、指定されたレストランがちょっとびっくりするような高級なところで、だけど懐事情をいろいろ計算して、月末までコーヒーを我慢すればなんとかなるだろうと判断し(あるいは高をくくり)、ぜひ会いましょう、と張り切って返事を書くのです。そして会ってみたところ、思っていたより若くなくて、思っていたほど魅力的な女性でもなくて、でも自分の本を読んでくれて、自分のことについていろいろしゃべってくるので、じっと聞いている、といった冒頭の数パラグラフが今日の範囲でした。

表現に無駄のないこの冒頭の数パラグラフで、事情や立場が豊かに表現されていて、情景や表情までが鮮やかに思い浮かび、一気に引き込まれます。

シンプルな単語に込められた複雑な心情をどう伝えられるか、といったことなどはおもしろいテーマになると思います。訳者は役者だ、なんて昔からたまに聞かされることがありましたが、その真意はとても深い深いところにあるような気が、今になってしています。「Who Am I This Time?」で役者について考えた後だからかもしれません。翻訳は、原作者の下で書くことについて学んでいるようなところがあります。勉強になります。

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2018年12月 3日 (月)

ステレオグラム2.

以前、みるみる目がよくなる! というようなことだったと思いますが、ステレオグラムというのが流行りました。ラーメン屋さんや定食屋さんに行くと、週刊誌と一緒にステレオグラム関連の雑誌が置いてあったり、トイレの壁に貼ってあったり、コンビニの雑誌コーナーでもよく見かけました。

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↑こういうやつです。これはぼくが当時パソコンの壁紙にしていたものです。

同じ模様が等間隔に配列されていて、絵よりも奥のほうに焦点を合わせるつもりで見ると、左右の二つの目からのそれぞれの距離がどうにかなって、それで立体的に見えるとか、そういうことだったと思います、たしか。

で、普段は立体に見えない不思議な絵を、立体に見えるように目の焦点を合わせようとすることで、普段は使うことが少なくなっている目の筋肉を使うことにつながって、目の周辺のコリがほぐれるとか、そういうことだったと思います。

それが、思いがけず今日、別にそんなつもりはないのに、パソコンの画面に表示していたGoogleカレンダーで起こりました。

あれも、横に7日分のマス目と、縦に4週分とか5週分のマス目が整然と並んでいて、その一つひとつに小さな字で日付の数字が、それもやはり整然と並んでいます。そこにいろんな予定などを記入しているわけですが、それをぼんやり眺めているうちに、思っている以上にぼんやりしていたのか、枠線と日付の数字がぐんと奥に引っ込んで、予定を書いた文字がぐんと前に出てきて、ステレオグラムみたいになったのです。

疲れ目は集中力の欠如につながります。気をつけないとと思います。

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2018年12月 2日 (日)

Without With The Beatles.

さっきちょっとびっくりしました。『With The Beatles』がCDラックのどこにも見当たらないのです。たとえば家には机や椅子があるように、引き出しを開けると使いかけの消しゴムが一つや二つ見つかるように、あるいは車のトランクにはサッカーボールやフリスビーを常備しているように、CDラックにはビートルズのアルバムが全部揃っているものとばかり思っていました。

まだまだ『Please Please Me』を聴いていたい気持ちを吹っ切って、いよいよ『With The Beatles』を聴こうと思って、CDを取り替える前から「It Won't Be Long」のいきなり始まってくるスリルを頭の中で思い出していたのに、フフフフンフン……、と歌ってすらいたのに、「Little Child」だったか、ジョンのご機嫌なハーモニカを思い出したり、「You Really Got A Hold On Me」も好きだし、「Money」で終わるのがこのアルバムだったっけ? とか、なんせとても楽しみにCDラックの前に立ったのに、『Please Please Me』があったスペースの隣りに『A Hard Day's Night』があるのです。あれ、と思って探すのですが、どこにも見当たらず、iTunesは壊れたままだし、しょうがないからと言うとあれですが、今日もやっぱり『Please Please Me』を聴いていました。

でも昨日までのようには楽しめず、『With The Beatles』は(かわいそうに)CDラックの後ろに落ちてしまっているのかなとか、机のところに置きっぱなしにしている山の中にあるのかなとか、いろいろ気が散って大変でした。でもこのそわそわと落ち着かない感じは、好きなアーティストの最新アルバムを聴いていて、ニューアルバムがリリースされるという情報を入手した時と似ているような気がします。そう思うことにします。

最近はちょっとCDの保管が雑になってしまっているので、そういうところもちゃんと見直していきたいなあと思っています。それにしても、どこに行ったんでしょうね、ぼくの『With The Beatles』……。

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2018年12月 1日 (土)

翻訳講座(土曜クラス)35.

今日は「はじめての文芸翻訳講座」(土曜クラス)の第35回の日でした。7か月ぶりに新しいテキストに入りました。サマセット・モームの「Luncheon」(1919)です。

最近またサマセット・モームを読むようになったのは、確か去年の冬からだったと思います。『マザー・グース』を読んでいて、ソロモン・ブランディという人物が登場したことがきっかけでした。


ソロモン・ブランディ/げつようにうまれて/かようにせんれい/すいようにけっこんして/もくようにびょうき/きんようにきとく/どようにしんで/にちようにははかのなか/はいそれまでよ/ソロモン・ブランディ

というやつです(講談社文庫の『マザー・グース①』(谷川俊太郎 訳、和田誠 絵)では、「II. まわらぬしたで」というタイトルでまとめられた章の18番目に収録されています)。

これを読んだときに、サマセット・モームが確か『人間の絆』だったと思うのですが、「人は生まれて、苦しみ、そして死ぬ」みたいなことを書いていたことを思い出したのです。それは最近読んだ『月と六ペンス』に登場したストリックランドの生き様にも通じるもので、無邪気だけれどよくよく考えると怖いことを子供に伝えているわらべ歌と、壮絶な人生を描ききるモームに通じるテーマを、もう一度じっくり読んでみたいと思ったのです。

でも、ぼくにはよくあることなのですが、さっさと『人間の絆』を読む前に、他の短編集とか『月と六ペンス』とかに手を出してしまって、結局あれから二年近く経ってもまだ『人間の絆』は読めていなくて、でもこの間に短編集を読んだおかげで、翻訳講座の新しいテキストが見つかった次第です。

そんなわけで、今回は比較的短く全5回を予定しているサマセット・モームの「The Luncheon」も相当おもしろい話です。

 
※モームの言葉でもう一つ気になっている「second best」については、先日日記に書いたとおりです。>>> 「サマセット・モーム」

※加川良さんも、「生まれて死ぬまで/つきまとうのは/悩みというものだけなのですよ」と歌っています(「伝道」)。生きることに迷ったり悩んだり吹っ切ったりするのは、時代も国境も国籍も関係ないのだと思います。生きることに迷ったり悩んだり吹っ切ったりすることに限らず、時代も国境も国籍も何も関係ないのだと思います。

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2018年11月30日 (金)

ビートルズを聴きながら。

『ビートルズを聴こう』を、ビートルズを聴きながら読んでいるので、まだ『Please Please Me』の章しか読めていません。どれだけ聴いたところでもう十分とはならないのだし、そろそろ次の『With The Beatles』に移って、それ以降でもまた何か気になるなどした時には戻って聴けばいいのだと思います。普通はたぶんそうするのだと思います。

『ビートルズを聴こう』の冒頭に、「2、3年もてばすごいなって、みんなそう思っていたんだ。」というリンゴの言葉が紹介されています。2、3年どころか、20、30年ですらなく、すでに50年を超え、この調子だと200、300年は間違いなく、もしかしたら2000、3000年、あるいはそれ以上聴かれ続けるなんてすごいなって、みんなそう思っていると思いますと当時のリンゴに言いたいです。

「すべてはエルヴィスから始まった。」というジョンの言葉も紹介されています。「Before Elvis, there was nothing.」です。エルヴィスの前には何もなかった、と言い切っています。すごいなと思います。だだっ広い草原をイメージします。ただ風だけが吹いているみたいな、ただ星が瞬いているだけみたいな、やがてそこにエルヴィスが現れて、リヴァプールでは後にビートルズとなる4人が生まれるのです。

何にもない、何にもない、まったく何にもなかったところに何かが生まれるということにロマンを感じます。いろんなものがたくさんあっても実は何もないということもあると思います。たとえばブルース・スプリングスティーンが「57 channels (and nothing's on)」と歌ったみたいに。いろんなものがたくさんあるのにそこに何もないと見抜くスタンスにはレザーシャープなセンスを感じます。

そしてそこにエルヴィスやビートルズやはじめ人間のように新しい道をつくって、後に続く者たちがその道を辿るなら自由に辿らせて、自分たちは構わず堂々とさらに自由に歩き、時には後に続く者たちに手を差し伸べて、そうやってできた道が世界各地に通じて、王道としていつまでも輝き続け、一人ひとりの音楽ファンを魅了し続けているなんて、今さらながらに驚愕しています。

それにしても「I Saw Her Standing There」は最強のオープニングナンバーだと思います。

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2018年11月29日 (木)

隣りの席。

「夜中にお仕事せんでほしいわ」と息子が言ってくれます。ぼくの体を心配して言ってくれるのかと思っていたら、自分もお仕事したくなるから、だそうです。息子が大きくなって机を並べて一緒に仕事をする日が来たら……、とか思っていると今から部屋の掃除とかレイアウト変更とかしたくなってきます。

でも、実は今も机を二つ並べて広く使っているので、時々息子が隣りに座って、ノートとペンを持って「お仕事」と言いいながら楽しそうにしていることがあります。そんな時はあんまり嬉しくて、幸せで、まるで仕事になりません。

時々パソコンに手を伸ばしてきてキーボードをがちゃがちゃとやり始めるので、「あー、こらこら」となって、息子もパソコンを触りたいのに触らせてもらえなくて不機嫌になって、ほんのさっきまでの幸せな雰囲気が一変することもなくはないというか、たいていそんな感じなのですが、そういうやんちゃも含めて息子の日々の成長が嬉しくてたまりません。

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2018年11月28日 (水)

12 & counting.

今日はなんと12回目の結婚記念日でした。去年はあいにくの定休日で買えなかったタルトを今年こそはとまた二人で買いに行ってきました。

帰りの車の中で『フォレスト・ガンプ』みたいな景色を見つけて、普段はなかなか話題にのぼることのないトム・ハンクスの話をしようとしてみたり、プリンスの『Parade』を聴きながら、「KISS」の演奏だかレコーディングだかは何か特別やったみたいやで、知らんけど、とか、息子の話以外は別に大した話は何もしないのですが、嬉しくなるほど大好きな時間です。

お昼ご飯を食べたばかりだったので、ケーキは夜に食べようと言っていたのですが、帰ってきて一時間もすると「どうする?」とメールが来たので、「食べよれ」ということでコーヒーを淹れて少しだけのんびりコーヒータイムを楽しみました。タルトを買いに行ったのですが、ぼくはモンブランが好きやろということでモンブランでした。

いつもと変わらない今日も大切な一日でした。

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2018年11月27日 (火)

翻訳講座(火曜クラス)33

今日は「はじめての文芸翻訳講座」(火曜クラス)の第33回の日でした。全14回、5月から始まった「Who Am I This Time?」の最終回となりました。これだけ長く付き合うと、みんなへリーンやハリーのことを人ごととは思えないはずで、だからこそさまざまに深読みをしたり、感情を共有したり反発したり、その結果として素晴らしい訳が飛び出したり、とにかくこれまでで一番長い作品をまた一つ訳し終えたことで、充実感を味わってもらっていいと思いますし、次への課題みたいなものもそれぞれ手応えとして何か掴んでいただいていればと思います。

今回は、カート・ヴォネガットという、癖のある、それでいて深い慈愛に満ちた作家による現実的でありながらどこかファンタジックな、辛辣なのに温かい気持ちになれる、何一つ不自由がないとか、手放しで喜べる幸せを手にしたとか、そういうわけではないけれど、それでもしみじみときっと幸せなんだろうなあと思える、そんな作品でした。表面的にストーリーをなぞるだけでなく、じっくりと読み込んでもらった時に、そう感じてもらえる翻訳に仕上げっているかどうかが大事だと思います。

「Who Am I ~」を読みながら、辞書を引いたり調べものをしたりといった直接的なことだけでなく、『欲望という名の電車』はもちろん、『ロミオとジュリエット』も皆さんそれぞれ読んだり観たり、翻訳するのであれば当然踏まえておくべき作品や、翻訳をきっかけに読んでおきたい観ておきたいと思う作品について、みんなで情報を共有したり感想を述べ合ったり、翻訳の全体的なペースも各自ででき上がりつつあるはずです。その流れで今日は、iPhoneに入れていたピート・シーガーの「This Land Is Your Land」まで聴いておきました。これも「Who Am I ~」を読んでいる中で、興味の対象として引っかかった曲だったのです。

我ながら、なんてもはや言えないぐらい、翻訳講座は参加してくださっている皆さん一人ひとりのものであり、みんなのものだと思っているのですが、いずれにしても、いい時間を過ごすことがぼくはできています。もちろん改善したい点や今後の展望みたいなことも、言い出せばきりがないのですが、そういうことも念頭に置きつつ、ずっと続けていきたいと思っています。次のテキストは、サマセット・モームの「Luncheon」です。

でも実は、火曜クラスと土曜クラスでは終わった「Who Am I This Time?」ですが、神戸にも一緒に読んでくれている方がいるので、ぼくの「Who Am I ~」の旅はまだまだ続くのです。

何かを誰かと一緒にするということは、普通はそれほど特別なことではないかもしれませんが、でもそれが普通でない中で、何かを誰かと一緒にする時間を持てると、それはとても有り難くて嬉しくて幸せな時間になります。なんでも当たり前だなんて思ったらいけないなあと、いつも思っています。

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2018年11月26日 (月)

プリンス。

最近はずっとビートルズを、しかもあいかわらず『Please Please Me』ばっかり聴いていますが、その前は短い期間でしたがボブ・ディランの『More Blood, More Tracks』と『Blood On The Tracks』、その前はポール・マッカートニー、その前はけっこう長い間トム・ウェイツを聴いていたわけですが、その間ずっと、妻はプリンスを聴いています。

妻はだいぶ年季の入ったプリンスファンなのですが、最近はYouTubeなどでいろんな時代のライブ映像やインタビュー映像や、プリンスと関わりのあった人たちのインタビュー映像などを熱心に観て、プリンスのそれこそ本当にすべてを理解しようとしているかのようです。

ぼくは長い間、自分の音楽の趣味を共有できる友達がほとんどいたことがなく、だけど松江に来てからいろいろと共有できたり教えてくれたりする友達ができて、その有り難みを日々実感しているのでよく分かるのですが、今日は妻に「わたしは誰とプリンスの話をしたらええん?」と言われました。

ぼくは妻が持っていたプリンスのCDを聴くまでは「Purple Rain」ぐらいしか知らなかったのですが、妻のCDを聴くようになってからプリンスの音楽も聴くようになって、しかもこんなにカッコよかったのか、どうして今まで真面目に聴いてこなかったのかと猛省し、『3121』(2006)からは遅まきながらリアルタイムでプリンスを楽しんできました。

だから今も妻と一緒にプリンスのライブ映像を楽しんで、ああだこうだと盛り上がりたい気持ちはあるのですが、でも今はビートルズを聴いているのでどうしようもないのです。しかも『Please Please Me』の後には『Past Masters』も含めて14枚のアルバムが控えているので、プリンスを聴く時間ができるのはずーっと後になってしまう予定です。もうちょっと融通が効くといいのにと自分でも思います。

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2018年11月25日 (日)

息子の口笛。

今日も息子といっぱい遊んだ後、家に帰る車の中で清志郎さんの「あいつの口笛」がかかってきました。車にiPhoneをつなぐと2曲目にかかってくるので息子も何度も聴かされている曲なのですが、ずい分と前からこの曲が好きなようで、次の曲にいくと「好きな歌かけて」と後部座席から指示が飛んできます。

そして今日も「あいつの口笛」がかかっている間、後部座席から何やらヒューヒューと音が漏れるような、隙間風が入り込んできているような、窓が開いているのかなと思うような、でもそれにしては息子の口から出てきているに違いない音が聞こえてきて、何をしているのかなと思って信号で停まった時に後ろを見ると、「あいつの口笛」の間奏でかかってくる口笛の真似をしていたのでした。

初めて聴いた息子の口笛は、かすれているどころか、口の中にあった空気がちょっとすぼめた口から口の外に出る時にちょっとなんとなく出た音、といった感じでしたが、嬉しそうで、自分の好きな曲の好きな音を真似して自分なりに出した立派な口笛でした。

息子が口笛を吹こうとしているのだと分かってぼくがあんまり嬉しそうにしているので、息子の笑顔も大きくなって、家に着くまでずっと「あいつの口笛」をリピートして息子の口笛を聴きながら帰りました。家に着いたらママにも聴かせてあげようと言っていたのに、帰ってきたら学校で練習しているらしい「ドラえもん」の歌をYouTubeで聴きながら踊っていました。

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2018年11月24日 (土)

靴。

スニーカーを履いていてもスエードのデザートブーツを履いていてもぼろぼろのブーツを履いていても、「その靴、カッコいいわー」と息子に褒められます。そのたびにぼくは上機嫌になって、大きくなったらあげるね、と言うのですが、「はやく大きくならんといけんわ」と、うちで一番の出雲弁の使い手は嬉しそうに言います。

どれもすでに風合いと言うよりは風化と言ったほうが近いぐらい年期が入っているのですが、息子が大きくなるまでもう少し大事に履こうと思います。

ぼくも大学生の頃、父が若い頃に履いていたというLeeのジーンズをもらって、それまではLevi'sばっかりだったのに、みんなにLeeのカッコよさを説いて回っていた時期があります。インディゴどころか青でも水色でもなくほぼ白のうっすいうっすいぼっろぼろの布きれみたいになるまではいて、それからも時々Levi'sを買うことはありましたが、以来ずっと、基本的にLeeをはいています。

なんだかんだと言いながら、親の影響や存在は無意識のうちに大きいことを、実はそれなりに意識的に知っていたのだと思います。思います、どころか確信しています。もちろん口には出さないけれど。だからと言って息子もそうとは限りませんが、でもいつでも一番近い存在でいたいと思っています。

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