2018年9月22日 (土)

翻訳講座(土曜クラス)30.

今日は「はじめての文芸翻訳講座」(土曜クラス)の第30回の日でした。

翻訳講座は芦屋にいるときに始めたのですが、始めた当初にさっそく気づいたことで今も変わらず感じているのは、じっくり読むことの面白さです。これはまさに翻訳をするようになって実感したことでもあります。翻訳をすると、たいていの本は面白いと思えるようになります。著者や登場人物のことを深く分かろうとすることと無関係ではないと思います。

それぞれの境遇や時代背景など実にさまざまな事情を抱えてみんな毎日を暮らしていて、暮らしてきた過去の日々があり、そんな中で心構えも何の準備もなしにある日突然出会った人やしばらくして別れた人や一緒に暮らすようになった人との接点があり、いくつかの接点やいくつもの接点がつながり始めて有機的に動き出し、ぼくらの日常はカラフルになります。

どこでどう誰とつながって何があったために今こういう自分がいるのかなんて、どこから手をつければ解明に至るのか分からないほど複雑に入り組んだ関係を、生きてきた年月の分だけ構築し、理解や意識ができている側面ばかりではなく、もうすっかり忘れてしまったようなことやまるで気がついていないようなことにも支えられて、ぼくたちの毎日はあるのだと思います。

時間をかけて読むということは、目に見えている部分や書かれている部分に反応するだけでなく、真意に思いを馳せながら付き合うということです。分かるはずのないことをだからと言ってあきらめることなく慮ることで、距離が縮まったり絆が生まれたり心の平穏が訪れたり、そもそも謙虚になれたり、そのうえで理解につながり深まるような気がします。翻訳講座でもそういう点を実感しながら読んでもらえていれば、翻訳の大切な側面や面白い部分を伝えることができているのかなと思えます。

ぼくはそういうことを、小さい頃から両親や周りのみんなから教わってきたように思うし、同じようなことを、翻訳を通じてまた教えられている気がしています。なんせ充実の翻訳Lifeです(その分の反動がもどかしさとなって返ってきているのですが……)。

翻訳 is my life!

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2018年9月21日 (金)

O.N.D.

昨日の日記に、ボブ・ディランの新しいブートレグ・シリーズがいよいよ「12月」にリリースされるみたいです、と書きましたが、「11月」の間違いでした。

これはもちろん、ボブ・ディランのウェブサイトに「to be released on November 2」とあったのを見てぼくが勘違いしたわけですが、ぼくはNovemberが11月なのか12月なのか、Decemberが12月なのか11月なのか、実はちょっと時間をかけて考えないと昔からすぐに間違えてしまうどころか、むしろNovemberのほうがDecemberよりも12月っぽく、DecemberのほうがNovemberよりも11月っぽい気がしています。未だに。

NovemberもDecemberも中学校で習うと思うのですが、二つ上の兄もどうやら同じところで苦戦したらしく、ぼくの気持ちを分かってくれて、「10月(October)、11月(November)、12月(December)の頭文字を並べてOND(おんど)と覚えたらええんやで」と、ぼくがそれから今までの約30年にわたってずっと頼りにすることになる覚え方を教えてくれたのです(1月から9月は自力で覚えるようにとのでした)。

ぼくは今でも頭の中で「おんど(温度ではなく音頭)」と唱えながら、Novemberはお、ん、ど、やから11月、Decemberはお、ん、ど、やから12月、と確認作業を繰り返しています。それなのに昨日は、お、ん、ど、と言っている時間も惜しいほど早く寝たかったのだと思います。

ボブ・ディランの『More Bloods, More Tracks』は(一か月早くなって、というわけではありませんが)11月に発売です。

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2018年9月20日 (木)

Bob Dylan, The Bootleg Series vol.14.

前回のブートレグの頃から噂は耳にしていましたが、いよいよ『Blood On The Tracks』(1974)のブートレグ・シリーズが12月にリリースされるみたいです。『血の轍』です。ぼくが初めて聴いたボブ・ディラン、初めてにして決定的だったボブ・ディランです。ギターと言葉が複雑に心地よく絡み合う様に惚れ惚れする奇蹟のようなアルバムです。

ボブ・ディランのウェブサイトを見ると、1CD(2LP)と6CDsの2形態しかなく、もちろん6CDsみたいな大きなやつは買えないので必然的にコンパクトな1CDのほうを買うことになります。オリジナルアルバムに収録の10曲のバージョン違い+1曲(未発表曲)のようです。

これまでのブートレグシリーズに比べるとこじんまりとしているようにも思いますが、『Blood On The Tracks』のそもそもの壮大さ、深遠さを考えると、そこに同じ曲(+1曲)で構成されたパラレルワールドとも言うべき別の轍が新たに出来るわけなので、その効果も行方も計り知れません。じっとしていられなくなってきました。タイトルの『More Bloods, More Tracks』というのも洒落ています。

それにしても休ませてもらえません。トム・ウェイツもまだまだこれからだと言うのに、ボブ・ディランの、しかも『Blood On The Tracks』のブートレグが本当にリリースされるなんて、夢のようです。

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2018年9月19日 (水)

サイクリング・ブルース。

息子が突然、自転車の補助輪を外すと言い出したので、外してあげました。もちろん全然乗れなくなってしまったのですが、補助輪を外したからこけるよ、こけそうになったらペダルから足を離して足でバッて立つんやで、と言い聞かせたうえで後ろから支えて、息子にはいつもどおりにペダルをこがせました。

ぼくが支えているからこけないという安心感なのか、それともぼくが支えているから乗っていてこける気がしないのか、平気な顔をしてすいすいいつもどおりにこいでいました。でもこけそうになる感覚も教えてあげないとと思って、わざとふらつかせたり、その都度、ほら、な、こけそうになったら足でバッて立たな、と言って右に左に足を着かせてみたり、しっかり支えてスピードを出してこがせたり、ぼくの匙加減でしかない達成感と危機感を、初めてにしてはそれなりに味わわせてあげられたと思います。家に帰ってママに、うれしそうに「乗れたよ」と言っていました。

補助輪を外して自転車に乗れるようになる過程での親と子の関係は、たぶんいろんなことを表わしている気がします。目的は息子が一人で乗れるようになること、乗れるようになろうとすることです。親が手伝わなくても乗れるようになったらそれでいいし、親がとことん手を貸してでも最終的に一人で乗れるようになったらそれでいいし、たとえ乗れるようにならなかったとしても、移動手段なら他にいくらでもあるのだし、練習したのに乗れなかったことから学ぶこともたくさんあるだろうし、小さい自転車をけっこう無理な体勢で後ろから支えながら、がんばれがんばれと息子の背中にずっと声をかけていました。

親は子供を誰よりも応援して、誰よりも信じて、誰よりも100%愛していればいいのだと思います。「自転車はブルースだ」と清志郎さんも言っています。

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2018年9月18日 (火)

翻訳講座(火曜クラス)31.

今日は「はじめての文芸翻訳講座」(火曜クラス)の第31回の日でした。

今回の範囲を翻訳するにあたって、ちょっと悩ましい箇所がありました。リハーサルが思いのほか順調に進むのを目の当たりにした演出家が、

"Have we got a play or have we got a play?"

と言うのです。「ぼくたちは芝居を手にしたんじゃないか、それとも、ぼくたちは芝居を手にしたんじゃないか?」と、「or/それとも」の前後で同じことを言っているのです。

ぼくがよくやるタイプミスかとも思って確認したのですが、そうではありません。文脈からだいたいの見当はつくのですが、あんまり自信がないなあと思っていたところ、先日、最近の個人的トム・ウェイツ・ブームの流れの中で観た『ワン・フロム・ザ・ハート』のDVDの中に、ヒントというかほとんど答えが見つかったのです。相棒を裏切るような発言に対して、

"Are we partners or are we partners?"

と言っていたのです。「俺たちはパートナーだよな、それとも、俺たちはパートナーだよな?」ということです。「or」の前後で同じことを言っているのです。すると言われた方は、慌てて"Yes, we are!"と答えていました。

通常、or の前後は、反対の意味の選択肢か、同じ意味合いのことを言いかえた表現がくることが多いと思いますが、今回の例では意味も表現もまったく同じなのです。形の上では選択肢が二つなのに内容を見てみるとどちらも一緒、ということはつまり訊くまでもなく答えは一つに決まっていて、興奮や苛立ちを背景にした念押し、それとも興奮や苛立ちを背景にした念押し、ということなのだと思います。文末も文法上は「?」ですが、気持ちとしては「!」のはずです。

『ワン・フロム・ザ・ハート』を観たときは、身振り手振りや表情や口調などセリフに付随するいろんな要素があったので分かりやすかったのですが、テキストにはセリフが書かれているだけなので、読み取ることが難しい場合があります。できるだけたくさんの表現を体験や場面の中で知っていることが重要なのだと改めて思いました。

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2018年9月17日 (月)

『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ』後。

『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ』を読み終えて、その間に『クロージング・タイム』から『オーファンズ』も一通り聴いたのですが、おかげでこのまま終わるわけにはいかないと思っています。『トム・ウェイツが語る~』ももう一度読み返したいし、少なくともアルバムに関しては、またじっくり聴き返そうと思っています。

『トム・ウェイツが語る~』は内容が充実しているというだけでなく、本来、音楽はちゃんと聴いてこそその面白みや本質や制作者の意図などが見えてくる可能性が出てくるという、根本的な楽しみ方を思い出させてくれたように思います。だからちゃんと聴こうと思っています。

そのためには、もしかしたらCDではなく、アナログレコードのほうが面白い面も少なくないのかもしれません。いろいろ楽しくなってきました。『クロージング・タイム』に戻る前に、『トム・ウェイツが語る~』では未収録だった『ナイト・オン・ザ・プラネット』(1992)、『Glitter And Doom』(2009)、『Bad As Me』(2011)を聴く予定です。

現時点での最新アルバム『Bad As Me』が2011年ということは、そろそろいろいろ期待してしまいます。

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2018年9月16日 (日)

My Sunday Feeling.

Soul Brotherと毎年恒例のルーフトップ・セッションを楽しんできました。要するに屋上ビアガーデンです。ずい分と久しぶりでしたが、月日の間隔などまるで大したことではありませんでした。

トム・ウェイツのこととか、ジャニス・ジョプリンのサンダルのこととか、ゴーギャンのこととか、小人の仕業のこととか、マジカルなドリンクのこととか……、あと何を話したっけなあと思いますが、気がつけば日が暮れて、ラストオーダーになって、場所を移して、ライブのこととか、息子のこととか、親のこととか、真夜中の勘違いのこととか……、ふふふと笑ったりなるほどなーと思ったり、楽しい夕べを過ごしました。

一週間の終わりがいつもこんなふうだったらいいのにと思いますが、一週間だとあまりに短くて話すことが見当たらないかもしれません。でも、特に話すことはなくてもいいのかもしれません。

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2018年9月15日 (土)

救いの神様。

しばらく前からiTunesがおかしくなってしまって、iPhoneに入っている音楽を入れ替えられなくなってしまったのですが、「あいうえお」順に聴くと、

1. アイ・シャル・ビー・リリースト(キヨシロー&チャボ、「SONGS」、2004)
2. あいつの口笛(忌野清志郎、『夢助』、2006)
3. あの娘が結婚してしまう(古井戸、『ぽえじー』、1973))
4. あの街は春(古井戸、『ぽえじー』、1973)
5. あの娘のレター(RCサクセション、『BLUE』、1981)
6. いい事ばかりはありゃしない(忌野清志郎&仲井戸麗市、『Glad All Over』、1994)
7. イマジン(忌野清志郎、「ジョン・レノン スーパー・ライブ」、2007)
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という最強のラインナップで始まってきます。

「アイ・シャル・ビー・リリースト」は時代を超えて真実を強く訴えかけてくるし、「あいつの口笛」は息子が大大好きな曲だし、次の「あの娘が結婚してしまう」は口笛のイントロで始まるので物語の続きを聴いているように思えるし、「あの街は春」というかわいい曲の後に、これもかわいくてだけどちょっとやんちゃな「あの娘のレター」が始まって、「いい事ばかりはありゃしない」と「イマジン」はどちらもいつまででも何度でも繰り返し聴いていたい夢のような曲です。

ミュージックは「救いの神様」だと言ったのはチャボさんですが、まさに毎日の生活に好きな音楽があることの幸せや潤いを実感します。

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2018年9月14日 (金)

『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ』(オーファンズ:ブローラーズ、ボーラーズ&バスターズ-2006)

『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ』のいよいよ最終章、「オーファンズ:ブローラーズ、ボーラーズ&バスターズ-2006』を読みました。読み終えたくないと思いながら最終章を迎え、そして読み終えてしまいましたが、この本を読んで、トム・ウェイツの音楽を聴くうえでのスタンス(ほぼ覚悟)が決まった気がします。これまでと変わらないのですが、ちゃんと聴く、ということです。

この最終章に限らず、本当に面白く、示唆に富む発言や表現がたくさんあって、もっとゆっくり時間をかけてじっくり読みたい気持ちと、早く読み進めたい気持ちが常にせめぎ合っていて、落ち着いて読めないほどでした。そういう意味ではもったいない読み方をしてしまったかもしれません。

「共同制作者」でもある奥さんのキャスリーン・ブレナンとの役割分担のようなことについて訊かれたて、「分解して考えることのできない領域」だと答えていたのですが、これなんかは、分解して考えたい気持ちと、分解して考えてしまうとその繊細なバランスを崩してしまいかねない、ぎりぎりのところなんじゃないかなと思います。そのぎりぎりのところでどっちかにちょっとでも傾いてしまうと、可能性を限定して明確にするか、漆黒の闇のような果てしない深さや広がりに心を澄ませるか、どちらかを選ぶことで他方を永遠に放棄してしまうことになるような気がします。鋭い刃の上に立っているようなものです。そんな境地で作られた音楽を聴いているのだと思えます。

「世界はいつも音楽を奏でている」という発言もありました。ということは、こうして日記を書いている間にも、耳を傾けるべき音楽は常に鳴っているということです。雨垂れの音とか、虫の声とか、時折りの無音とか、隣りの部屋で息子が寝返りをする音とか、階下で妻が水を使う音とか、静寂と賑やかさが寄り添うように貼りついているみたいです。

そしてぼくたち自身も世界の一部だとしたら、奏でるべき音楽をそれぞれ持っているということです。音楽という形式を取らなくても、息遣いとか、足音とか、誰かに聴かれて恥ずかしくないものを奏でていたいものです。

 
01. クロージング・タイム
02. 土曜日の夜
03. 娼婦たちの晩餐
04. スモール・チェンジ
05. 異国の出来事
06. ブルー・ヴァレンタイン
07. ハートアタック・アンド・ヴァイン
08. ワン・フロム・ザ・ハート
09. ソードフィッシュトロンボーン
10. レイン・ドッグ
11. フランクス・ワイルド・イヤーズ
12. ビッグ・タイム
13. ボーン・マシーン
14. ブラック・ライダー
15. ミュール・ヴァリエイションズ
16. アリス/ブラッド・マネー
17. リアル・ゴーン

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2018年9月13日 (木)

のんびりと映画でも。

なんかのんびりと映画でも観たい気分です。傷口にオロナインを塗るように、蚊に刺されたところにムヒを塗るように、アンニュイでハードボイルドな映画でも観てホッと一息つきたい気分です。一日を終えてお風呂に入るみたいに。たぶん、ルパンの第一シリーズをまた観ようとしているのだと思います。

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2018年9月12日 (水)

『Dealing With Mules & Orphans』3.

いつも夜中の休憩時間に30分ぐらい(のつもりで時々1時間ぐらい)『トム・ウェイツが語る~』を読んだり、CDのライナーノーツを読んだり、トム・ウェイツのDVDを観たりしています。

歌詞も曲も、インタビューなどで答えている発言も、その表現の仕方も、ステージの上での動きも、表情も、演奏も、サウンドも、別にいわゆるカッコいいわけじゃないのに、最高です。別にいわゆるカッコいいわけじゃないのに、最高にカッコいいです。

ソロ・アーティストなのでどうしてもトム・ウェイツのことばかり注目してしまいますが、今では共同制作者として奥さんの存在は欠かせないようだし、バンドのメンバーに信頼を寄せていることはライブDVDを観ればよく分かるし、むしろトム・ウェイツもバンドの一員としてパフォーマンスをしているようにしか見えないし、他にもマネージャーとかプロデューサーとか、活動を支えている人がたくさんいるのだと思います。そうなるともはやトム・ウェイツという一大プロジェクトです。

本人もそう思っているんだろうなということが、インタビューなどを読んでいると言葉の端々から伝わってくる気がします。本当にそうなのかどうかは分かりませんが、佇まいにいろんなことが全部表われているように感じられます。ライブ会場に集まった観客の表情を見ても、やっぱりそうなんだろうなと思えます。とても幸せなムードに包まれています。北風か太陽かと言われたら、太陽だと思います。夜だけど。ふらふらと覚束ないけど。だけどいつまでもじんわりと残る暖かさに触れているような気がします。

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2018年9月11日 (火)

『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ』(リアル・ゴーン-2004)

『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ』の「リアル・ゴーン-2004」の章を読みました。手に取ってずっしりと重さを感じるぐらいボリュームのある本で、分量だけでも読みごたえがあるうえに、その中に埋もれるように、読者が発見するのを待つように、主張せず、強調もせず、控えめにただそこにそっと置いておいた言葉、読み飛ばすのも反応するのも解釈するのも全て読み手に任せますといったニヒルで不埒な風情をまとった極上の言葉がごろごろと転がっています。それを拾い集め、時には手に取って裏返したり翳したり胸に当てたりしながら、じっくり味わうような感覚で読み進めています。その向こうに流れる音楽がBGMの対極にあることを改めて感じます。

「もっと電子機器をうまく利用して、以前の曲を解体して新たに仕立て直したいというような考えはありますか?」というインタビュアーからの質問に対して、「おれの中にはそういう文化はないんじゃないかな。(中略)ショッピング・センターでヘンテコな髪型を見てすぐ真似するかというと、そうはしないということさ」と答えています。本当に自分のことをよく分かっている人なんだなと思います。浮かれたり、おろおろしたり、調子に乗ったりすることなどないのだと思います。自分の力量や性格や挑む方向やチャレンジの大きさは、落ち着けば本来誰にでも分かるべきものなのだと気づかされます。

「鳴らしたベルの音はかき消せない」というのも、同じスタンスから出てきた言葉だと思います。自分が起こしたアクションやその結果をなかったことにはできないのです。だからこそ、本当に自分がやりたくてやろうとしていることなのか、言いたくて言ったことなのか、それとも周りの雰囲気とか世の中の流れとかなんとなくとか、自分では本当は重視していないはずのことがその理由になっていないか、自分の言動にもっと意識的でなければいけないと思いました。

「録音していることをまったく意識せずに演奏したい」というのも、そういう自分の本心に対する迷いのなさを徹底したいという気持の表われのように感じます。裏を返せば、意識していないと周囲の目や雑音はそれぐらい無遠慮に暴力的な影響力を持って迫ってくるということです。

あと興味深かったのは、「メイク・イット・レイン」の歌詞の一節「世界には救いがあると、もう一度信じたい」というのが、実はボブ・ディランの言葉だったことです。ボブ・ディランの文脈の中でのこの言葉と、トム・ウェイツが繰り広げる世界の中で再び使われたこの言葉がどうリンクするのか、何としてでももっとちゃんと知りたいです。

世の中の一つひとつの出来事にいちいち意味などあるのかないのか分かりませんが、自分にとっての意味ならあると思います。むしろそれを意識してこそ、さまざまな自覚の上に自分の表情や感情に気づくことができるのだと思います。トム・ウェイツのぎくしゃくとした圧倒的な独特のグルーヴに、深い人間味と優しさを感じます。

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2018年9月10日 (月)

急接近(?)

村上RADIOの第二回のオンエアがいよいよ10月21日(日)に決定しましたが、先日、FM東京からの宅急便の不在連絡票が入っていて、なんだったっけなあと思いながらタイマーズを口ずさみながら再配達に来てくれた時に荷物を受け取ると、第一回のオリジナルTシャツでした。

番組への感想をウェブサイトに投稿したところ、なんと抽選に当選したのでした。ビギナーズラックでしょうか。もしも幸運という自分の手には負えない要素があるのだとしたら、他の機会にお願いしたかったような気もしますが、こういうことも含めてのNo Fateです。

それにしても、『ハリス・バーディック年代記』での「共訳」に続いての急接近です。

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2018年9月 9日 (日)

出雲ゆうプラザ。

今日は出雲ゆうプラザに行ってきました。一年中やっている温水プールが出雲にあると聞いて、初めて行ってきました。まさか9月に入ってプールに行くとは思っていませんでしたが、屋内の温水プールなのであれば、今日がそこそこのどしゃ降りだったとしても、行きたがる息子に対して今日は無理だよと言い切る理由も自信もありませんでした。

とかなんとか言いながら、行ってみると本当に楽しかったです。けっこう高いところからぐるぐると滑り降りてくるウォータースライダーとか、けっこう高いところからくねくねと一気に滑り降りてくるロデオマウンテンとか、見ているだけで大迫力のものは怖くてできなかったのですが、施設内をぐるりと一周する流水プールは、深さが1メートルで息子にはちょっと深かったのですが、それでも時々水を飲んでしまったりしながら、楽しそうにばしゃばしゃやっていました。今日は妻は二階の観覧席みたいなところから手を振る係だったので、ママが見えるところに来ると、「ママも入らんといけんねー」とか言いながら張り切っていました。

ジャグジーもあって、ここはのんびりしたい年配の人たちが実に気持ちよさそうに陣取ってなかなか入れなかったのですが、息子と一緒にちょっとだけ入りました。あったかくて気持ちよかったです。ジャグジー初体験の息子も、最初はじょわじょわと泡立つお風呂にびびっていたのですが、だんだん慣れてきて(それでもぼくに引っついていたのですが)、面白そうにしていました。

息子は来週も行くと言っていました。そんな勝手に決められても困るのですが、たぶん行くことになるのかもしれません。

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写真はイメージです。

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2018年9月 8日 (土)

翻訳講座(土曜クラス)29.

今日は「はじめての文芸翻訳講座」(土曜クラス)の第29回の日でした。翻訳講座で取り上げるまでは、この「Who Am I This Time?」(カート・ヴォネガット)がこんなに面白いとは、実は思っていませんでした。好きな作品ではあったのですが、その前が「Auggie Wren's Chirstmas Story」(ポール・オースター)で、さらにその前が「Breakfast」(スタインベック)で、しみじみといい話が続いていたので、少し軽く読めるストーリーのつもりで選んだのでした。

それなのにところが、これがとても面白いんです。春の公演に向けてオーディションを始めたある町のアマチュア劇団に、その町にやって来たばかりの若い女性が参加することになったところ、そこで生じたさまざまな人間関係にいろいろな化学反応が起き、それぞれに新しい道が開かれる、といったストーリーなのですが、そこに描かれる人間模様がさりげなくも深く清らかで、じーんと優しいのです。

アマチュア劇団という、誰にでも馴染みがある世界というわけではないけれど、想像もつかないほどではなく、特に劇的な出来事が起きるわけでもなく、読みながら想像して感情移入するうえで絶妙の設定だと思います。

登場する人物の背景もリアルで、それぞれ異なる事情を抱えた人たちが出会うことに無理がなく、出会ったことで全てが解決するのではなく、出会ったことから新たな可能性が生まれて、そこでそれぞれが奮闘することで新たな道が開けていくという希望が描かれています。

物事は何でも考え方次第という側面があると思うのですが、どうしても希望的観測ができない境遇もそれができるようになる環境もやはりあって、だけどそれは紙一重の差なんだと思います。そういう点で、とてもさりげなく読者の人生を応援してくれているように感じます。

読書のあり方や深度は人それぞれですが、深く読んでもらうことへの耐久性という観点でも原作を再現したいと考えています。それが作品の正しい評価につながる一方で、それができていないと翻訳することでかえって作品の正しい評価を妨げることになりかねません。

翻訳講座のテキストに選ぶ基準はいろいろあるのですが、自分が好きな作品だということが前提です。好きな作品を皆さんに紹介する喜びと、みんなでじっくり読むことでさらに好きになって、そして実際に翻訳する機会を作るという、ぼくにとってもたくさんの効能があります。「Who Am I ~」は全14回中、今日で9回目が終わったところなのですが、次のテキストを希望する前向きな嬉しい声が聞こえてきているので、あれにしようか、これにしようか、どうしようかなと、楽しみながら悩んでいる最中です。

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2018年9月 7日 (金)

『Dealing With Mules & Orphans』2.

トム・ウェイツのライヴ・ビデオ『Dealing With Mules & Orphans』を、パソコンの隅っこでつけっぱなしにしています。

前半は『ミュール・ヴァリエイションズ』(1999)リリース後のライブを収録したものです。言葉の持つリズムを最大限に活かしたボーカルはド迫力で、それでもまだ活かし足りないかのように、破裂音は爆発音にまで拡声して、摩擦音は裂傷や切傷を残すんじゃないかと思うほど力強く、それを喉や口内まわりの筋肉や組織や粘膜が全面的に協力して、地底深くから響いてくるような深みを持たせて吠えるように歌っています。エフェクター付きの拡声器が胸か喉に内蔵されているのだと思います。

本当にユニークです。ユニークで、エネルギッシュで、一生懸命です。CDに収めきれなかったエネルギーをステージの上で発散しているかのようです。表現力に限界がありません。何もないところから曲を作って、それをライブで演奏するとさらに迫力があって、熱気や熱狂がうなりを上げて恍惚に達し、目には見えない素敵な世界を垣間見せてくれて、その世界に浸らせてくれて、どんな才能なのだろうと思います。

言葉にはリズムだけでなくメロディもイメージもあって、それらは全部、心の底から湧いてくるものなのだと思います。全部無駄にせず、零さないように両手で大事に掬い取って、「ほら、ね?」と差し出してみせればいいのだと思います。そもそも人生は舞台で、ライブで、どんな場面でもその時の精いっぱいで向き合う価値があって、すれ違った人や目があった人や袖を振り合った人の人生とちょっとでも重なりあうことでそれまでとはまた違った景色が見えたり、彩りが添えられたり、また明日から頑張ろうと思えたりするのだと思います。

それを、トム・ウェイツは音楽で表現しているんじゃないかなと思います。

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2018年9月 6日 (木)

『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ』(アリス/ブラッド・マネー-2002)

『トム・ウェイツが語るトム・ウェイツ』の「アリス/ブラッド・マネー-2002」の章を読みました。2枚同時に発売された「アリス」と「ブラッド・マネー」についての章です。どちらもロバート・ウィルソン監督の舞台(それぞれ「アリス」、「ヴォイツェック」)用に作られた音楽を新たにレコーディングしたもので、「ブラック・ライダー」(1993)に続くロバート・ウィルソンとの「共同制作」ということになります。

「ブラック・ライダー」の時も思ったのですが、その舞台を知らずに音楽だけ聴いていると、トム・ウェイツの音楽を聴いているというよりは、トム・ウェイツが音楽を提供して舞台を制作したロバート・ウィルソンという知らない人について考えることになって、しかもどうやらトム・ウェイツもかなりの刺激を受けている人らしいので、それはそれで刺激的です。

2002年にこの2枚のアルバムが同時発売となった時のことはよく覚えています。毎日のようにタワーレコードに通っていた時期で、1999年にリリースされた「ミュール・ヴァリエイションズ」の戸惑いからまだ抜けきっていなかったため、店頭に並ぶ日を心待ちにはしていたもののすぐには購入にいたらず、毎日視聴してはどうしようかと悩み、結局「アリス」だけ買って、「ブラッド・マネー」を買ったのはほんの数年前でした。

トム・ウェイツとかボブ・ディランは、迷わず買えばいいのだと思います。迷わず買った後に、戸惑いを感じながらでも聴き続け、歌詞を読み続けていってこそ、CDにパッケージされた世界に入り込み、そこに至る長い長い道のりを辿ることができる可能性が開けるのだと思います。それがまだまだ全然足りないことを、今回この本を読みながらアルバムを聴き返してきて痛感しています。

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2018年9月 5日 (水)

肩。

そういえば、肩がずい分と楽に動くようになってきました。まだ滑らかとまではいきませんが、あれだけ痛かったことや、それなのに何の改善策も取ってこなかったことを考えると、嘘みたいです。もしかしたらもうどこも悪くないのに、痛かった記憶が滑らかな動きを制限しているのかもしれません。

兄にも父にも同じような症状があったかと訊くと、あったと答えるのに、どうだったかと訊いてもあんまり大した返事がなかったのは、過ぎてしまえば嘘みたいに忘れてしまうからだと思います。

それにしても、たぶん一年以上かかりました。まだもうちょっと違和感が残っているのですが、違和感や少々どころではない痛みは、肩に限らずいろんなところに抱えているものです。付き合っていくしかないのだとは思いますが、痛くなった原因も痛くなくなった原因も分からないなんて、よく分からない話です。でもだいたいのことはそういうものです。

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2018年9月 4日 (火)

翻訳講座(火曜クラス)30.

今日は「はじめての文芸翻訳講座」(火曜クラス)の第30回の日でした。台風の影響で息子の通う小学校からは昨日の午前中にさっそく休校の連絡がありましたが、午前中は小雨がぱらつく程度で、無事に開講できました。

前回の範囲で、ハリーとへリーンが(オーディションの場とは言え)いよいよ共演し、それまでへリーンの行動を制限するかのように、あるいはへリーンの安全と純潔を守るかのように、へリーンを取り囲んで存在していた大きな透明の瓶が取っ払われました。

芝居に対するハリーの情熱が、瓶を突き破ってへリーンに届き、へリーンが素人ながらそれをしっかりと受け止めた結果でした。ハリーはへリーンが殻を破るきっかけとなり、へリーンはハリーの情熱に応え、いわば互いにそれぞれ必要としていたパートナーを見つけたということでもあったのです。

オーディションの様子を見守っていた演出家の二人もそこに可能性を見い出し、今回の範囲では舞台をオーディションからリハーサルに移します。ハリーとへリーンだけでなく、関係者全員の期待と満足と充実が漲(みなぎ)るリハーサルが続いていました。

そしていつもなら出演者にセリフを覚えてくるように頼まないといけない立場の演出家が、熱を帯びるリハーサルを見て、もうちょっとペースを落とさないと本番までに燃え尽きてしまうぞと言わないといけなかったというところで今回の範囲が終わりました。

ペースを落とすようにという発言が出るのは「あるラブシーンの後」でした。そこにこの二人の男女としての情熱と、舞台に対する情熱と、ちょっとしたダブルミーニングが隠されているようでした。続くシーンとの兼ね合いや、原文での表現もよく考える必要がありますが、読み取れる限りのダブルミーニングの加減は読者に残す余地として、物語の展開のうえでも翻訳をするうえでも、興味深い部分です。

ダブルミーニングというのは要するに、同じ文章を読んでも想定する背景が異なれば意味合いが変わってくるということです。想定する背景は、文章を読む読者の数だけあるとも言えるし、作者がそもそもいくつかの背景や情景を想定している場合もあると思います。自由度の高さは普遍性にもつながって、読むおもしろさがどんどん広がります。

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2018年9月 3日 (月)

No Fate.

『ターミネーター2』を観たのは大学生の時だったと思いますが、その中でサラ・コナーが圧倒的な強さを誇るT-1000から息子の命を守り抜くことを決意して、「No Fate」という一言を残して姿を消すシーンがありました。

運命なんかじゃない、ということです。要するに、未来からやって来た暴力に勝手に過去や現在を変えられることを許さず、何がこの身に降りかかろうとも自分や家族の存在は自分で守り抜くという決意です。

"You Could Be Mine"ももちろんカッコよかったけれど、当時のぼくはそれ以上にこのセリフにノックアウトされ、いろんな友達に何かのタイミングでメッセージを送る機会があれば、「No Fate」と書きまくっていました。

運命とかいう分かったような分からないような言葉で現状を納得するのではなく、何が何でも自分で、自分が……、と張り切っていたわけですが、最近はもう少し謙虚に、努力の結果として受け止めるという意味合いで、やはりNo Fateという言葉を時々思い返しています。

満足のいく結果や現状じゃなかったとしても、それは運命なのではなく、良くも悪くも自分の努力の結果であって、自分の努力の量や質や方向性次第で、もっと良くももっと悪くもなっていた可能性があったはずなので、報いなのだと思います。前世のという意味ではなく、昨日までの、あるいは数分前までの自分の報いです。Everybody rides on a Karma train.です。

息子が安心して眠れるように頑張るだけです。

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